2006年8月17日(木)「しんぶん赤旗」

小林多喜二らを虐殺した特高に勲章 本当ですか?


 〈問い〉 小林多喜二らを虐殺した特高に勲章、銀杯が贈られたと聞きました。信じられません。本当ですか?(鹿児島・一読者)

 〈答え〉 日本の政治のゆがみの根本には、過去の侵略戦争を正当化する異常さがあります。靖国問題とともに、その異常さを象徴するひとつに、戦前、天皇制支配の中枢にいて多くの共産主義者、反戦活動家を虐殺した直接の責任者=内務官僚と特高(特別高等警察)たちが、戦後も今日まで、なんら罪に問われることなくきているという問題があります。

 日独防共協定が締結された2日後の1936年11月27日、協定締結を祝うかのように、日本共産党の弾圧の先頭に立った内務・特高および司法官僚48人に昭和天皇から勲章と杯が下賜されました。

 「日本共産党ノ検挙ニ当リ日夜不断ノ努カト幾多ノ犠牲トヲ払ヒ漸(ようや)同党幹部以下ヲ潰滅(かいめつ)セシメ国家治安維持上特ニ功績アリタル者ト認メラルル」(内務大臣より天皇への上奏文、「公文雑纂(ざっさん)」昭和11年・巻15の2、国立公文書館所蔵)という“功績”によってです。

 新聞は「赤禍撲滅の勇士へ叙勲・賜杯の御沙汰」と大きく報じ、賞勲局は「異例の叙勲である」と談話をだしました。

 このときの叙勲には、纐纈(こうけつ)弥三、毛利基、浦川秀吉、山県為三らの警視庁特高課の主要メンバーが、銀杯組には友部泉三、安倍源基、富田健治らの警保局保安課長や警視庁特高部・課長経験者と、中川成夫、榎本三郎、須田勇らの警視庁の第一線の特高警察官、北海道や大阪など地方で弾圧の先頭に立った特高警察官がふくまれています。

 多喜二虐殺時の主犯格は安倍警視庁特高部長、配下で虐殺に直接手を下したのが毛利特高課長、中川、山県両警部らです。

 安倍は戦後、A級戦犯容疑で拘置されますが、占領政策の転換で釈放され、自民党政治の陰の存在として生きのびました。毛利は、終戦直後に埼玉県警察部長を退職しますが、東久邇内閣から「功績顕著」として特別表彰さえうけています。中川も戦後、東京北区教育委員長になっています。

 64年秋から生存者叙勲が始まりますが、公職追放解除後に衆議院議員になった纐纈(元警視庁特高課長)が勲二等瑞宝章をうけたのをはじめ多くの特高官僚が戦後叙勲を受けています。

 戦前、特高による拷問で虐殺されたり獄死したりした人は194人、獄中で病死した人が1503人、逮捕者は数十万人におよびます。これらの被害者に対する補償、謝罪、責任を政府はいまもほおかぶりしたままです。(喜)

 〈参考〉『告発・戦後の特高官僚』(柳河瀬精著、日本機関紙出版センター)、『北の特高警察』(荻野富士夫著、新日本出版社)

 〔2006・8・17(木)〕


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