2006年8月7日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

探したい 私流「継承」

原水爆禁止世界大会 初参加、いま模索


 広島・長崎に原爆が落とされてから今年で六十一年目。被爆者の願いと決意を若者たちがどう受け継ぐか―。四日から開かれた原水爆禁止世界大会の大きなテーマのひとつです。広島大会に千葉県からバス「ピース☆バス☆チバ」で参加した人たちのなかに若者たちの姿が。それぞれが「自分らしい継承を模索」しています。(伊藤悠希)


原爆落ちたらどうする頭の中グルグル回った

 四日に開かれた広島大会の開会総会。八千代市に住む小林さんは、初めての参加です。この日、原爆症を認めてほしいと広島地裁に訴えていた四十一人が全面勝訴したことが報告されたとき、会場の広島県立総合体育館を埋めつくした七千人を超える人たちが総立ちになって満場の拍手。会場が一体になりました。小林さんは、感動のあまり泣きそうになりました。

 夜は、六カ国から二千百人が参加した「世界青年のつどいin広島」に参加しました。テーマは「継承」です。「『継承』はやればいいというものではない。毎年同じことをやっても意味がない」という広島の青年の発言が心に残りました。

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 小林さんはいいます。「継承ってものは甘くないぞって言われたみたいで、ガツンときました。『一人ひとりは微力ではあるが無力ではない』という大学の先生の言葉も感じていたことです」

 小林さんは最近まで、大会のことを知りませんでした。原爆についての本や漫画も読んだことがありません。

 高校受験をしようと塾に通っていましたが、体調を崩し受験を断念。このままでは社会との接点がなくなってしまうと民主青年同盟に入ります。

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 世界大会に誘われたころは観光気分でした。ピースバスの実行委員会、被爆者の話を聞くにつれ、「勉強をしに行くんだ」というモチベーションに変わっていきました。

 「原爆が落ちた後、自分だったらどうするか考えてほしい」との被爆者の言葉。「頭の中でその言葉がグルグル回ってた」。考えさせられました。やけどをした被爆者の皮膚がズルっとむけた感触は今でも忘れられないとの生々しい話。

 「大会前の勉強会に参加してよかった。知らないことが多くて勉強になったし、生の声を直接聞けたから」と話します。「被爆者に戦後七十周年はない」ということを初めて認識します。「時間がないと思う。聞けるんだったらどこへ行ってでも聞きたい。いま聞きたい。聞かなきゃじゃなくて自然な気持ち。大会で私なりの継承の方法を見つけたい」

被爆者が語る言葉を自分のものにして帰る

 世界大会は初参加の大学院生、武田さん=千葉市=。四日の朝、広島につきました。開会総会が始まる前、平和記念資料館を訪れ、原爆の惨状を見せつけられました。「本当に起こったことなんだと再認識し、現実に引き戻された」。開会総会で聞いた被爆者の話に、「被爆者の中では一生終わらない課題。彼らの同じ被爆者をつくらないという覚悟が伝わってきた」と言います。

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 武田さんは高校二年生のときアメリカに留学、大学を卒業するまでの六年間アメリカに住んでいました。大会にはアメリカ人の友達、ジェシカさん(24)を誘いました。彼女はアメリカの大学を卒業後、千葉県でALT(外国人語学指導助手)をしていました。今月帰国するジェシカさんにとって特別な旅になります。

 ジェシカさんは開会総会での壇上の人々の発言に圧倒されました。「日本で見たことがないほど力強かった」。原爆症認定集団訴訟の広島地裁の全面勝訴の報告を聞いて、「六十一年も原爆症と認定されなかったことはおかしい」と言います。被爆者は差別されてきたと聞いていたジェシカさん。会場ではみんな被爆者を大事にしている姿を見て「世界平和を願っていることが伝わってきた」と話しました。

 武田さんはいままで十三の国と地域に行きました。中国では南京大虐殺記念館、抗日戦争記念館、盧溝橋などを訪れました。韓国では独立記念館や北朝鮮との国境へ。

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 台湾の友達の家に行ったときのことは印象的でした。友達のおじいさんは戦争中日本軍とたたかった経験のある人だったのです。「自分が実際そういう人と出会うとは思っていなかった」。日本がアジアに対してきちんとした戦争責任を取らない限り被爆国として世界に認めてもらうことは難しいと感じています。

 世界大会の出発前、ピースバスの集まりで千葉県在住の被爆者の話を聞きました。被爆後の差別の話に対し、視覚障害を持つ参加者が、差別のことは理解できると言いました。それを受け被爆者が「戦争が終わっても差別の芽がある限り平和はない」と応じました。この言葉を新鮮に受けとめました。「自分の考えに近かったから」と言います。世界大会では「被爆者が語る言葉を自分のものにして帰りたい」と真剣です。


お悩みHunter

仕送りを受けて生活結婚したいが母反対

  結婚を考えています。父と彼の両親は賛成ですが、母が反対です。仕事はアルバイト。奨学金も返せず、自立できないので仕送りも受けています。母はもう少し「おとな」になってからがいいと言います。私には夢があり、彼も応援してくれています。一緒に住んだ方が経済的で自立もできると思います。みんなに認めてほしいのですが…。(女性、24歳。東京都)

自立した姿をみせてみては

  結婚はふたりの同意があれば成立しますが、人生の大きな門出にはやはりお母さんにも祝福してもらいたいですよね。

 お母さんの言う「おとな」とは、おそらく「自立しているひと」という意味だと思います。でも「自立」と言ってもいろいろありますよね。その一つがお金です。いまはお母さんに仕送りしてもらっているので経済的には自立していないかもしれません。しかし、お母さんはお金のことを言っているのではないような気がします。

 あなたには大切な夢があるのですね。私もプロボクサーになってチャンピオンになる、という夢がありましたので、あなたの夢にかける思いもよくわかります。私は社会人になってからボクシングを始めたので、当然仕事をしながらということになります。

 社会人である以上は自分のやりたいことだけやればいいというわけにはいきません。私は自分のやりたいことをやるからには、周囲から「仕事を片手間でやっている」とは絶対に言われたくありませんでした。社会人としての役割を果たしてこそ、自分の夢を追う意味があると思っています。

 社会的に自立している姿をお母さんに見せるためにも、まずは少しでも奨学金が返せるように我慢してやり繰りしてみてはどうでしょうか。きっと見る目が変わってくると思います。


第41代日本ウエルター級チャンピオン 小林 秀一さん

 東京工業大学卒。家業の豆腐屋を継ぎながらボクシングでプロデビュー。99年新人王。03年第41代日本ウエルター級チャンピオン。


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