2006年8月3日(木)「しんぶん赤旗」

ヒトラー地下壕跡地に案内板

若者に正しい歴史継承

暗い過去にも向き合う


 ヒトラーが一九四五年四月三十日に自殺するまでの約三カ月間を過ごしたベルリン市中心部の総統官邸地下壕(ごう)の跡地にこのほど案内板が設置されました。この案内板の設置で初めてヒトラーが自殺した地下壕の正確な場所が公にされました。これまでネオナチの“聖地”となるとの懸念から特定が避けられてきたのです。(ベルリン=中村美弥子 写真も)


ベルリン

写真

(写真)総統地下壕(ごう)の案内板を読む女性

 案内板があるのは、観光客でにぎわうブランデンブルク門やホロコースト記念碑からわずか数百メートルの駐車場です。案内板には地下壕の間取り、写真、年表がドイツ語と英語で記されています。

 案内板を製作し、管理しているベルリナー・ウンターウェルテン(「地下の世界」の意)はベルリンの地下構築物の研究・記録を行っている団体です。ディートマル・アーノルド代表(42)は説明します。「この辺りにヒトラーの地下壕があったことは知られていました。しかし、正確な位置が特定されてこなかったためにさまざまな憶測が行きかっていました。正確な歴史を伝える必要に迫られていました」

 ベルリン市も、戦後六十年以上が過ぎ、歴史を風化させないために暗い歴史にも向き合わなければならないと判断し、案内板設置を許可しました。

取り壊しの危機

 総統官邸地下壕は厚さ三メートルのコンクリートの壁に囲まれ、約三十の小部屋に仕切られていました。ヒトラーは連合国軍による空襲から身を守るため、四五年一月十六日から地下壕での生活を開始しました。戦況が不利になり、ドイツ敗戦が色濃くなっているにもかかわらず、ヒトラーはこの地下壕から前線に部隊を進めるよう部下に無理な命令を出していました。

 地下壕は戦後、ソ連軍や旧東ドイツ政府によって何度か取り壊されようとしました。しかし、あまりにも強固な造りだったため、完全に取り壊すことができませんでした。九〇年代の大規模な地域開発の際に掘り起こされましたが、歴史的な意義が認識されないまま埋め戻されました。

 アーノルドさんは、「ここは第二次世界大戦が終わった重要な場所です。案内板が設置され、初めて正しい情報を得られたと、多くの人から肯定的な感想が寄せられています」と話します。

 案内板は団体ツアーのコースにも取り入れられ、毎日、大勢の観光客が訪れています。たまたま案内板を見つけて参加したスウェーデン人観光客のヘンドリック・ビグレンさん(39)は、「案内板の説明は客観的で詳しく参考になります」と話します。

共通認識つくる

 アーノルドさんは、若い世代の人たちが第二次大戦に関心をもっていることに大きな展望を見いだしています。「若い世代の人たちに正しい情報を提供し、偏りのない歴史を教えていきたい。あのような戦争を繰り返すまいという共通の認識をつくるために」と語ります。

 サッカー・ワールドカップ(W杯)開幕前日の六月八日に行われた除幕式には、ヒトラーとともに地下壕で生活した元ボディーガード兼電話交換手のロシュス・ミシュさん(88)の姿がありました。ミシュさんは報道陣に語りました。「人々は歴史をきちんと学ぶべきです。たとえそれが極悪な歴史だとしても」


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp