2006年7月31日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPress
「被災地ジャワに 来ています」
ネット生中継、支援活動も
マグニチュード6.3、5700人を超える死者・行方不明者――。5月27日、インドネシアでおきたジャワ島地震は、甚大な被害を出しました。震災から5日後、ビデオジャーナリストを目指す若者が被災地に入りました。支援活動をしながら被災の様子をビデオカメラで撮影。インターネットで生中継を成功させました。帰国後も、自身の見たインドネシアを伝えようとしています。(本田祐典)
ビデオジャーナリストめざす
橋爪明日香さん(24)
ビデオカメラを手に、橋爪明日香さん(24)=東京都杉並区=が、中部ジャワのジョグジャカルタに到着したのは六月一日、現地時間の夜七時ころ。被害が最も大きい地域です。まだ、余震が続いていました。橋爪さんはインターネット放送局「OurPlanet―TV」(アワープラネットティービー、NPO法人)の職員。仕事を休んで自費で来ました。
翌日、がれきの山を前に、橋爪さんはぼうぜんとしていました。訪ねたのはバントゥル県イモギリのキャンディーン村です。倒壊した家の前で座り込んでいる家族。ぐったりとした様子で地面に寝ていました。
ヤンティさん(38)という女性が笑顔で迎えてくれました。子どもは二人。夫は地震で足をケガして仕事に行けません。明るく振る舞っても、ふとした瞬間に表情が曇ります。「子どもを守らなければならない。これからどうしたらいいのか」と語りました。
「物資が届いていないところと届いているところの差が激しいようです。野菜などビタミンになるものがありません」。橋爪さんは被災の様子を、アワープラネットティービーのホームページやメールなどで伝え、支援を訴えました。集まった資金は合計で約十三万円。その資金をもとに、現地の学生と協力し、山間部の村に粉ミルクや医療品などを届けました。
支援や取材のとき、日本語を学ぶ学生たちが通訳をしてくれました。かれらの中には、地震で家族、家を失った人も。いつも一緒にいてくれた「ミタちゃん」もその一人です。壊れた家を建て直すために、夢をあきらめるといいます。別れ際にインタビューした橋爪さんは、泣きながら撮影しました。
◆感想つぎつぎ
「橋爪明日香です。わたしは今、インドネシアに来ています」。六月五日、日本時間の午後九時三十分ごろ、予定より少し遅れて被災地からの放送が始まりました。
橋爪さんが挑戦したのは、インターネットを使った海外からの生中継です。橋爪さんの所属するアワープラネットティービーでも被災地からの生放送は初めての試みでした。
番組では、現地の大学生二人と、現地に住む日本人女性がそれぞれ被災体験を話しました。また、被災した村の映像も流しました。
「生放送を見ています。現場の様子がよく分かる」「なんか今感動しています」。日本から感想がつぎつぎ寄せられました。橋爪さんは六月十九日にも再挑戦。このときは環境が整わず、生放送はできませんでしたが、録画に切り替えて放送しました。
「画面の前で応援しちゃいました」。橋爪さんを知る、都内の大学に通う女性(19)はいいます。「はっしー(橋爪さん)のがんばりがひしひしと伝わってきた。身近な人が、海外からしゃべっていて感動。被災地の人に迫る感じでよかった」
橋爪さんの上司で、アワープラネットティービー代表理事の白石草さんは、「メディアの可能性が広がったと思う。新しい光が見えた」といいます。
◆自信なくして
橋爪さんは、インドネシアに出発する前のことを振り返り、「本当は…。元気がなかったんです」と少し言葉を詰まらせました。
五月末、アワープラネットティービーのオフィスで、橋爪さんの目からポロポロと涙が流れていました。「もうダメです。わたし…」。今年春に就職し、ビデオジャーナリストへの一歩を踏み出したものの、撮影をまかされても仕事に時間がかかったり、うまくできない自分に落ち込んでいました。
自信をなくし、「休みを取って旅に出たい」と思いつめていました。「どうせなら、被災したインドネシアに」と勧められ、「わたしなんかが、被災地に行っていいの」と悩んだといいます。
「行ってよかった。わたしでもやれることがあった。いまは前向きな感じ」。橋爪さんは笑顔を見せてくれました。「いろんな人に出会えて、一生懸命に生きる姿に励まされて…。地震の報道は少なくなっているけど、インドネシアの様子をこれからも伝えていきたい」
「ミタちゃん」の思い撮影映像から
日本語を学ぶ学生、ミタさん(22)
地震が起きたとき、わたしは部屋にいました。外で母が叫びました。「たすけてー、たすけてー」。わたしは妹を助けて走りました。台所の屋根が急に落ちてきて、怖かった。母は私たちを見ると、気を失いました。
わたしたちは、とても悲しかった。家がつぶれていたからです。津波のうわさがあって、北側に走りました。みんな、命のことしか考えられませんでした。夕方帰ると、たくさん人が死んでいました。わたしはそのとき、いとこ、祖母の死体を見て、トラウマになっています。
わたしの夢も失いました。日本語をもっと勉強したかったけど、はやく卒業して仕事を探したいと思います。母と妹を手伝って、一緒に家を建てたいと思います。(橋爪さんが撮影した映像から要約)
お悩みHunter
親は反対するけれど夏休みバイトしたい
Q 私は高一の女子です。夏休みになったらコンビニでアルバイトしようと思っていましたが、両親が反対です。小遣いならだすので控えなさいというのです。私としてはいろいろ体験したいので、高校生になったらどうしてもやりたいと思っていました。親の同意なしでアルバイトはできないのでしょうか。(東京都)
目的意識もち、話し合って
A いろいろ社会体験をしたいというあなたの積極的な気持ちを応援したいですね。ただ、「社会体験」は、貴重である反面、弊害を伴うこともありますから、安易には考えないでください。
法律的には、あなたのような二十歳未満の未成年者が労働契約を結ぶには、親の同意が必要です(民法五条一項、八二三条)。
ですから、あなたがアルバイトをするには、親を説得する必要がありますね。
ところで、あなたはなぜコンビニで働きたいのですか? 高校生のあなたには、今後の進路決定のための情報収集や具体的な努力が一番大切なのではないでしょうか。
コンビニのバイトで、店長の依頼を断れきれず交替シフトに組み込まれ、疲労や生活サイクルの乱れにより、学校を休んでしまう例や、バイト代をかせぎたい一心でやはり学業がおろそかになる例もあるようですよ。両親もこうした弊害を心配されているのだと思います。
以上のことを踏まえて、あなた自身が現時点でアルバイトをする意義について真剣に考えてみてください。
そのうえで、(1)アルバイトの目的をはっきりさせる(2)期間や労働時間を限定する(3)職場の様子など親に対し「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」を徹底するなどの条件を示すなどして、親とよく話し合ってみてはいかがでしょう。
弁護士 岸 松江さん
東京弁護士会所属、東京法律事務所勤務。派遣CADオペレーター、新聞記者などを経て弁護士に。好きな言葉は「真実の力」。