2006年7月23日(日)「しんぶん赤旗」

マスメディアの現状と「しんぶん赤旗」の役割

2万号座談会

ジャーナリスト 松田浩さん

新婦人会長 高田公子さん

赤旗編集局長 奥原紀晴


 「しんぶん赤旗」は二十三日付で創刊から二万号を迎えました。日本共産党の第二十四回大会決定は、日本の多くのマスメディアが「本来のジャーナリズムの使命である『事実を伝える』『権力を監視する』の二つの原点を放棄してしまっている」ときびしく批判しています。こうしたマスメディアの現状からも、「しんぶん赤旗」のはたすべき役割は、いやおうなく大きくなっていると痛感します。二万号を迎えた機会に、マスメディアの現状と「しんぶん赤旗」の役割について、縦横に話していただきます。(奥原編集局長のあいさつから)

今日のマスメディアの状況について

松田浩さんの報告

 日本は世界屈指の「マスメディア大国」です。それだけにメディアの社会的影響力も、きわめて大きいものがあります。しかしそのマスメディアは今日、いま奥原さんも指摘されたように、真実の報道でも、権力を監視する点でも、機能をほとんど果たしていない。そこに決定的な問題点があります。

 かつて、新聞がジャーナリズムと同義的に使われた時期がありました。新聞は市民革命の武器として、また民衆のメディアとして活躍した歴史をもっています。

 二十世紀が生んだアメリカの著名なジャーナリスト、ウォルター・リップマンは、「新聞は政府の、ではなく、民主主義の番犬だ」といっています。メディアは権力を監視し、民主主義に奉仕する使命を負っている。間違っても“政府の番犬”になどならないようにという警告です。

 日本のマスメディアが、戦後の出発点にあたって真っ先に確認したのも、そのことでした。戦前、メディアは権力に加担し、民衆を侵略戦争に駆り立てる過ちを犯した。その深刻な反省のうえに立って、民衆のメディアとして、民主主義のために奉仕することを固く誓って再出発したのです。敗戦が戦後ジャーナリズムの「原点」といわれるのは、そこに理由があります。メディアだけではなく、日本社会自体が、侵略戦争や戦前の軍国主義の過ちを教訓にして、平和、国民主権、基本的人権、社会福祉、教育の政治からの独立などの諸理念を憲法に結実させたのです。

 ですから、戦後メディアの最大の課題は、その憲法の理念をいかに国民とともに現実社会のなかで血肉化し、実現していくかにあったのです。だが、戦後の歩みのなかで、メディアはその役割をどれだけ果たしてきたか。非常に疑問です。戦後の歴史は、憲法的価値を追求する国民のたたかいと、それを掘り崩して戦前的な秩序に巻き戻そうとする権力側との、いわば綱引きの歴史でした。今日、自衛隊の海外派兵や「有事立法」の制定、政治ビラ配布への弾圧、福祉切り捨て、「日の丸・君が代」の押しつけ・強制、教育基本法改悪、「共謀罪」まで出てきて、ついに憲法「改正」まで日程にのぼってきています。そうしたなかで、メディアが本来あるべき権力の監視者どころか、その共犯者の役割を演じる状況になってきていることに、危機感を感じています。


「権力監視の機能」どこに あるべき姿 こわされて

討論から

 高田 松田さんの話をうかがって、マスメディアが本来あるべき姿が切り崩されていることを、私の体験でいうと、とくに小選挙区制の問題で感じました。

 一九五〇年代、七〇年代に小選挙区制導入が企てられましたが、その時、私たちが、民意が反映されなくなる、女性が政治に出ていけないと声をあげたら、一般紙もけっこう取り上げてくれました。党略的な選挙制度だとキャンペーンもはった。その結果、国民のたたかいとあいまって、小選挙区制を廃案にすることができました。

 ところが九三年の小選挙区制反対のたたかいは様相が変わりました。マスメディアは小選挙区制を推進した。マスメディアが悪くなったと感じたのは、小選挙区制導入を答申した第八次選挙制度審議会に、マスメディアの方が何人も入っていたことです。小選挙区制は、衆議院で強行され、参議院では否決に追い込むたたかいをしましたが、結局成立してしまいました。

 いま、改憲勢力が国会で多数を占め、悪法をどんどん成立させています。民意を反映しない選挙制度の成立にはたしたマスメディアの責任は、犯罪的行為だと思います。

世論操作の共犯者役

 松田 小選挙区制導入に果たしたマスメディアの「犯罪的役割」については、当時、私自身もある機関紙にこの言葉を大見出しに使って厳しい批判論文を書いた記憶があります。しかし、六〇年代までは、マスメディアも国民とともにたたかった時期があるのです。

 今日のメディア状況の特徴は三つあります。第一は小泉流「劇場型政治」を通じて、テレビを中心にメディアが徹底して権力の世論操作に利用されていることです。権力監視機能の後退が、共犯者としての役割を演じさせる結果を招いているのです。

 第二は、テレビの基幹メディア化とコマーシャリズムの支配です。メディア企業は本来、「資本の論理」(コマーシャリズム)と「ジャーナリズムの論理」(公共的機能)の緊張関係のうえに成り立っていますが、「ジャーナリズムの論理」が後退した結果、コマーシャリズムが独り歩きする形になっている。

 第三は、その結果、生じている社会全体の閉塞(へいそく)状況の問題です。社会の矛盾や問題点が山積しながら、ジャーナリズムが機能しないため、問題の根源がどこにあるのか現状打開の方向が見いだせない。一九三〇年代初頭、ドイツでナチズムが大衆の閉塞感を利用して政権を獲得し、ファシズムを確立していった状況と非常に似てきています。

 しかし、もう一方で見落としてならないのは、この閉塞状況を打ち破ろうとする民衆自身の運動が、大きく広がっていることです。沖縄、岩国など米軍基地再編に反対するたたかいや「九条の会」の運動などがそれです。ただ、六、七〇年代と違って、一般のマスメディアがほとんどそれらの運動をとりあげていない。たたかっている人たちに勇気を与え、運動をさらに飛躍的に広げていくためにも「しんぶん赤旗」がはたす役割は、ますます大きくなってきていると思うのです。

 奥原 戦後六十一年たって、ご指摘のように、いまの日本のマスメディア状況は非常に危ういところにきています。権力側は自分に都合のいい情報はじゃんじゃん流すが、都合の悪い情報は極力抑えたがります。「事実を伝える」と「権力を監視する」は実はひとつのことではないのか。権力から独立して報道しないと真実は報道できません。

反共戦略に組み込まれる

 マスメディアと権力との癒着・一体化が本格的に進んできたのには、ここ三十数年来の歴史があると思います。六〇年代末から七〇年代初頭にかけて国政でも地方政治でも日本共産党が大きく躍進し、地方で革新自治体が人口の43%まで広がった。これをうけて、ときの支配層が体制存亡の危機感を抱いて共産党封じ込め戦略を開始した。それ以来メディアの多くは、それに組み込まれる軌跡を描いてきました。

 七〇年代初頭に自民党が「自由社会を守れ」キャンペーンを開始しますが、「産経」や「日経」が便乗し、日本共産党の民主連合政府提案を中傷する自民党の意見広告をのせました。八〇年代初頭には、当時の社会党が公明党との間に、共産党を政権協議の対象にしないという政権合意をおこない、いわば共産党排除の仕掛けをつくった。これに大半のメディアが同調しました。九三年の総選挙では、テレビなどで「自民か非自民か」の政権交代が最大の争点であるかのような偽りの対決論と「共産党はカヤの外」論がふりまかれた。そして、人為的に少数政党をしめ出す小選挙区制の導入があった。いまもマスメディアの多くが、共産党を封じ込め、支配体制を維持しようという、「二大政党」づくりの旗振り役をはたしています。

 松田 マスメディア対策の本質が共産党排除だというのは、その通りですね。共産党排除は政府に都合の悪い意見を議論から排除することであり、民主主義や言論の自由の否定につながるのです。ジャーナリズムの変質過程を振り返っても、職場から言論の自由や民主主義が失われたきっかけは特定ジャーナリストや組合活動家に対する会社側の「アカ」攻撃でした。歴史的にジャーナリズムの変質過程を考えると、きっかけは大きく三つあります。第一に政府のマスメディア対策。これは六〇年代の弾圧、介入からメディアの「取り込み」へと進化します。六〇年代に自民党が「赤旗」の寄稿者リストを放送局に送りつけて放送に圧力をかけたのは、まさに言論レッドパージです。メディアの取り込みでは政府審議機関へのメディア幹部の起用やテレビ免許に際しての便宜供与が見逃せません。

 第二は、総合情報産業化に伴う企業体質の変化です。権力とのパイプを太くすることで、電波利権獲得や国有地払い下げなど企業競争上、有利な立場を手にしようとする癒着の構造も強まっています。「読売」、「産経」を中心にメディアの一角に強力な改憲推進グループが形成され、「朝日」などの論調を右寄りに引っ張る役割を果たしていることも無視できません。ここでも「朝日」に対し「アカ」攻撃が武器として使われている事実に注目する必要があります。しかし、昨今、その「朝日」も「構造改革」では「読売」よりはるかに“政府寄り”で、積極推進論が際立っています。

 第三は、テレビの基幹メディア化に伴うメディア環境の変化です。断片情報のはんらんやスポーツ・娯楽情報の肥大化、ワイドショーを通じての物事の極端な単純化など、権力のイベント操作や世論誘導に格好の舞台として利用されています。

 奥原 今日、日本のマスメディアはどこまで来ているのか。たとえば憲法についていうと、昨年の新聞週間に「産経」が全国紙の社説を分析して、「護憲派が消えた」と書きました。実際、ことしの憲法記念日の社説をみても、全国紙には憲法九条を守れという主張はない。「朝日」は五月三日付の社説では、憲法を外しました。しかも翌日憲法をとりあげたときには、中身は天皇の皇位継承問題で、焦点の九条については「九」の字もなかった。そして大手紙は、全国で五千を超えて広がる草の根の「九条の会」については、黙殺に等しい扱いをつづけている。憲法問題でメディアが到達している地点を、象徴的に示しました。

 同時に、こうしたメディア状況にもかかわらず、憲法守れの国民的運動が大きく広がっていることには確信がもてます。


マスメディアは国民の声を伝えているか

高田公子さんの報告

 国民の知る権利にこたえていないし、声も伝えていないマスメディアにたいして、強い怒りを感じます。その一方、私は女性運動に参加するなかで、「しんぶん赤旗」に信頼を寄せ、頼りにし、励まされてきました。

 新婦人は国連のNGO(非政府組織)にも認証され、世界の女性たちと連帯し、情報も得ています。六月にカナダのバンクーバーで開かれた世界平和フォーラムに、私たちは代表を送りましたが、本人たちが帰ってくる前に「しんぶん赤旗」を通じて、「戦争のない世界は達成できる。そのために各国政府は憲法九条のように憲法で戦争を放棄するよう呼びかけよう」と訴えたアピールの採択が報じられ、運動をすすめる私たちに希望と展望を与えてくれました。残念ながら他のマスメディアには「しんぶん赤旗」のような報道はありませんでした。

 イラク戦争反対の地球をおおうようなたたかいのひろがりを報じたのも「しんぶん赤旗」だけでした。中南米での、新自由主義と格差社会に反対し、民主的な政治をめざす一連の流れについての報道もそうです。他の新聞では世界の流れが読み取れません。

 「しんぶん赤旗」が私たちのたたかいを後押しし、世論をつくりだす力になっていることを、最近強く実感しています。国会に教育基本法改悪案が提出されましたが、与党が圧倒的多数を持つなかで廃案にこそできなかったものの、継続審議に追い込むことができたのも、国会での日本共産党のがんばりと「しんぶん赤旗」の報道が大きかった。国会で日本共産党の志位和夫委員長が「愛国心」通知表の問題を取り上げ、小泉首相に評価が難しいことを認めさせた追及は、さすがに他のメディアも取り上げましたが、「しんぶん赤旗」が連打することで、私たちの運動に弾みがつき、街頭で署名を訴えても、学校などへの申し入れでも、変化が実感でき、うれしかったですね。

 三月末から四月はじめにかけ、マスメディアが民主党の代表選挙で一色の時期にも、「しんぶん赤旗」は一面トップで医療改悪法案の審議入り(四月六日)を報じた。「しんぶん赤旗」が載せた各県の医師会長の声は、すべての命を助けたいという願いにたつ医師の良心を感じさせるもので、涙が出ました。この国は閉塞感におおわれ、たいへんなところにきているけれども、それを許さない広範な国民の良識があるという事実に光をあてた記事に、明日への希望を持つことができました。

 地方では女性の「九条の会」など私たちの草の根の活動を、一般紙の記者が取材にくることがあります。しかしその記者が、「この記事は絶対に没(ぼつ)になる」となげいています。権力に屈することなく、読者が知りたいことを報じる「しんぶん赤旗」の存在意義は大きい。心からエールを送りたいと思います。


国民の知る権利に応えず 生活にかかわる報道しない

討論から

 奥原 「しんぶん赤旗」にたいする心強い声援、ありがとうございます。

 国民との結びつきが、メディアの機能として大事ですね。大手紙には、「規制緩和」だ「官から民へ」だと、小泉「構造改革」の推進で旗振り役を果たしてきたため、国民生活に直接かかわる情報、たとえば医療制度「改悪」で、どこがどうなるかの基本的な情報すらほとんど出ない。高田さんがいわれたように、国会で法案の審議が始まったときも、一般紙は民主党代表選の動きが一面で、医療改悪の記事は「朝日」でもさがさなくては見つからない状況でした。

保険会社の広告に依存

 こうした状況の種あかしにもなることですが、医療改悪法案が国会にかかる時期を見透かしたように、アメリカ系の保険会社「アリコジャパン」などの大広告が、大新聞にどんどん載った。医療制度が改悪され、保険の利かない混合診療が拡大されて、もうけ仕事が一挙に増えることを見とおしてやっているわけです。こうした広告に依存していては、国民の立場に立った医療問題の報道ができないのもうなずけます。

 国民の粘り強い運動が各分野で広がり、医療問題でも二千万を超える反対署名が国会に寄せられています。米軍基地強化に反対する自治体ぐるみの運動も進んでいます。各分野の運動の広がりに日本共産党と「しんぶん赤旗」は少なくない役割を果たしてきました。

 こうした運動の広がりがメディアに影響を与え、「規制緩和万能論に影」(「朝日」)とか「規制じわり再強化」(「日経」)といった記事も出るようになっています。しかし、マスメディアの報道だけでは国民の側に何が起こっているかの正確な情報がないわけですから、それを伝えることが「しんぶん赤旗」の役割だと思っています。

世論調査まで操作する状況

 高田 憲法問題では、いまのマスメディアは、国民の九条守れの声を伝えないどころか、世論調査すら操作する状況がありますね。ことし四月三日付「読売」の憲法問題での世論調査は、一面の見出しには「自衛隊『憲法上明確に』71%」「改正賛成9年連続過半数」とあります。ところがていねいにみてみると、「改正する方がよい」という答えが昨年、一昨年より減っていて、しかも九条の明文改正への賛否という点では「解釈や運用で対応するのは限界なので」という質問をしても、「改正」支持派は39%しかいない。「改正しなくていい」が54%と多数です。国民を間違った方向に引っ張っていくという、戦前を思わせる状況があります。

 松田 日本のマスメディアが国民の立場に立てなくなった一つの背景に、社内民主主義の問題があります。六〇年代、ジャーナリズムが曲がりなりにも健在だったのは、職場での自由や民主主義が労働組合によって保障されていたからなのです。ところが、労組の弱体化が進み、内部で自由にものを言えない状況がつくられた。がんばっている人たちはいるが、個々に孤立化させられている。私自身、ジャーナリストの職能運動やNHK改革の市民運動にかかわっているのですが、メディア内部でたたかっている人たちをどう励まし、国民との連帯関係をどう強めていくか、これからの重要な課題と考えています。

 高田 私たち新婦人では、いい記事や放送には、「よかったよ」と激励し、「これはおかしい」と気になるものには、一声出していこうと話し合っています。イラク戦争報道のときに、民放は、派兵される自衛隊員の家族が泣き崩れる姿を報道していました。ところがNHKは、家族が日の丸を振って送り出すところしか報道しない。良心的なジャーナリストが本来の仕事ができるようにおおいに励まし、連帯していく活動も大切だと考えています。


「しんぶん赤旗」の特質、果たすべき役割

奥原編集局長の報告

 「しんぶん赤旗」は、日本共産党の創立から六年後の一九二八年二月一日に創刊されました。当時は、天皇絶対の専制政治のもとで、真実を書くこと自体が重大犯罪とされた時代でした。しかし「赤旗」は、国民の苦難のもとを取り除き、主権在民の国にする必要があるとして、「君主制の撤廃」「民主的議会の獲得」「帝国主義戦争反対」「植民地の完全なる独立」という真実の主張を創刊号からかかげました。

 「赤旗」は権力の迫害をおそれず、真実を書くためにつくられた新聞でした。その創刊は日本共産党の歴史で画期だったばかりでなく、ジャーナリズム本来の使命を担った新聞が日本に生まれた日として、日本のジャーナリズムの歴史のなかでも特別の日として、記録されていいのではないかと思います。

 日本の大手新聞の出発点との比較でもはっきりします。たとえば毎日新聞(当時は東京日日新聞といいましたが)は創刊二年目に「太政官記事印行御用」となり、文字通り「御用新聞」を買ってでました。朝日新聞は、事実上の創業者が会社を譲渡されたとき銀行から融資を受け、それを政府の機密費で返済してもらった。社史にも記されているそういうスタートですから、もともと権力の庇護(ひご)の下に生まれた新聞です。ときに政府批判はやっても、全体としては「国策」の旗振りをやりました。とくに一九三一年の「満州事変」にはじまる十五年戦争では、戦争をあおる先導的な役割を果たし、歴史に大きな汚点を残しました。

 「赤旗」は、戦後も、歴史の節々で、国民にしらせるべき真実をしらせる役割を果たしてきました。

 とくにマスメディアだけでなく、日本の社会にあったいろいろなタブー、たとえば天皇・皇室や占領軍にたいする「菊タブー」や「星タブー」にはじまって、創価学会への批判を許さないという「鶴タブー」、“今太閤(たいこう)”ともてはやされた田中角栄元首相にたいする「角タブー」、「解同」(部落解放同盟)による暴力、利権あさりにたいする「解同タブー」などを正面から打ち破りながら、ジャーナリズムとしての活動を前進させてきました。

 現在、私たちがひとつの合言葉にしているのは「国民の苦難あるところ『しんぶん赤旗』あり」ということです。いまの小泉「構造改革」路線、規制緩和万能の新自由主義路線のもとでいかに国民が苦しめられているかの告発と、その打開の道を考える報道に力を入れています。耐震偽装問題から村上ファンドの事件にいたるまで「規制緩和」「官から民へ」といって、大企業の大もうけを保障するために国民にしわよせするという政治の本質をつく追及をしています。

 自分でいうのは面はゆいんですが、いまの日本でほんとうに大事なこと、知りたい情報を得ようとすれば「しんぶん赤旗」でこそという役割をはたしつつあるのではないかと自負しています。


紙面が政治を動かした 心ある人たちの発言の場に

討論から

 高田 私が「赤旗」にはじめて出合ったのは、一九六〇年の安保闘争のさなか、初めてデモにいった帰りに駅前で買い求めたときです。共産党のことも何もしらないときでしたが、読んでみたら、私の気持ちといっしょ。何十部かいただいてクラスの仲間に配り、みんなと読みました。

解決するまで報道し続ける

 「しんぶん赤旗」はいったんとりあげたら、それが解決するまで報道し続けてくれるというのが魅力です。生活の現場、職場の労働者、家計の告発なども、思わず「そうだ、そうだ」と声を出していたりして。

 松田 世の中のことが本質的によくわかり、運動の糧にもなるという記事の質の高さが、「赤旗」への支持になるのだと思います。今後とも、より幅広く、奥行きのある紙面づくりをめざしてほしいですね。

 奥原 この一年で、「赤旗」の紙面が運動をリードし、政治をも動かしたことがいくつかあります。

 靖国問題では、昨年五月の不破哲三議長(当時)の演説が大きな力になり、「しんぶん赤旗」もキャンペーンして、靖国神社にある「遊就館」という戦争博物館の問題が世界に広がり、過去の侵略戦争を美化する「靖国史観」が浮き彫りにされました。そしてその靖国神社への参拝を重ねる小泉首相の態度の異常さを際立たせ、世界の世論にも影響を与えました。

 身近な問題では、冷蔵庫の消費電力問題、中古家電が売れなくなるという問題でも、政府を動かす成果をあげました。

メディアにも影響を与える

 この「しんぶん赤旗」の紙面を研ぎ澄まし、さらに部数を大きくのばしていくことが、国民の苦難の打開と希望ある日本の明日を切り開く力になります。そして、いまのメディアの危機的な状況をかえていくためにもいい影響を与えるだろうと思っています。

 松田 「しんぶん赤旗」は共産党の機関紙ですが、同時に日本の心ある人たちの発言の場にもなっている。紙面を通じて広範な“統一戦線”がつくられているわけで、素晴らしいことだと思います。

 ひとつ希望をいえば、専門的な知識を持った影響力のある記者をさらに育てていっていただきたい。紙面の深みがもっと増すし、そのことは一般のマスメディアのジャーナリストにも一定の刺激や影響力を与えていくと思います。彼らも「しんぶん赤旗」の記事を少なからず読んでいるのですから。

 高田 労働運動や農村での活動の記事もそうですが、働く女性のたたかいを取り上げた連載や、サービス残業問題で交渉して若い母親がパパを家庭に取りもどしたという記事に大いに励まされています。この面でも「しんぶん赤旗」の活躍に期待します。この間、女性運動も、国際的にも国内的にも大きく前進しています。私の立場でいえば、女性運動の記事をもっと増やしていただくとうれしいですね。(笑い)


 松田 浩(まつだ・ひろし)さん ジャーナリスト。日本経済新聞編集委員、立命館大学教授、関東学院大学教授をへて、現在メディア総合研究所研究員

 高田公子(たかだ・きみこ)さん 新日本婦人の会会長。新婦人大阪府本部事務局長、同中央本部事務局長、副会長をへて2003年から現職

 奥原紀晴(おくはら・としはる) 赤旗編集局長


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