2006年7月22日(土)「しんぶん赤旗」

日本共産党創立84周年記念講演会

政党としての大道を歩む日本共産党

志位委員長の講演(大要)


 日本共産党の志位和夫委員長が、十九日の党創立八十四周年記念講演会でおこなった記念講演「政党としての大道を歩む日本共産党」の大要を紹介します。


 会場いっぱいに参加されたみなさん、CS通信をご覧の全国のみなさん、こんばんは。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます。きょうはあいにくの天気ですが、たくさんのみなさんが私たちの党創立八十四周年の記念講演会におはこびくださいまして、まことにありがとうございます。心からお礼を申し上げます。(拍手)

北朝鮮によるミサイル発射問題

――国際社会が一致して外交的解決を

写真

(写真)講演する志位和夫委員長

 はじめに、この間、大きな問題になっている北朝鮮によるミサイル発射問題について、日本共産党の立場をのべます。

 わが党は、この問題がおこった直後の記者会見から、今回の北朝鮮の行為について、通告なしのミサイルの発射は国際ルールを破る無法行為であり、「日朝平壌宣言」など国際的取り決めにも違反すると、きびしく批判してきました。そして、北朝鮮にたいして、ミサイル発射を中止し、国際ルールと取り決めを順守すること、六カ国協議にすみやかに復帰して外交的解決をはかることを強く要求してきました。さらに、北朝鮮が責任ある国際社会の一員になるためには、国際ルールと取り決めを順守する立場の確立が不可欠であるということを、強調してきました。

 同時に、国際社会の対応としては、国連安保理が分裂してはならない、一致結束して問題解決にあたることが何よりも大切であると主張してきました。その点で、七月十五日、国連安保理において、北朝鮮のミサイル発射を非難するとともに、ミサイル開発計画の全面停止と発射凍結という従来の誓約を復活させることを要求し、六カ国協議への即時無条件復帰と核開発計画の放棄を強く促す決議が、全会一致で採択されたことは、歓迎すべきことであります。(拍手)

 わが党は、北朝鮮が安保理決議にしめされた国際社会の総意に従うことを、強く要求するものです(拍手)。国際社会の対応としては、今後とも、安保理が、一致した対応という立場を堅持し、外交的な解決のために力をつくすことが大切であるということを、かさねて強調しておきたいと思います。

 なお、日本の政界の一部に、この問題を利用した軍事対応強化論がおこっていますが、この議論はきわめて有害なものです。とくに「敵基地攻撃」論は、軍事的対応の悪循環をまねくとともに、先制攻撃論という無法に、みずから踏み込むことになります。麻生外務大臣は、「金正日に感謝しなければならない」とのべたと伝えられました。あわてて「冗談だ」といったそうでありますが、本音というものはこういう形であらわれるものです。この問題を利用し、軍拡と改憲をすすめる口実に使うというのは、絶対に許されない党略的態度だといわなければなりません。(拍手)

 わが党は、北朝鮮問題について、冷静で道理ある外交的解決をはかるために、ひきつづき力をつくすものであります。

政治の“流れの変化”のなかで政党の値打ちが試される

 さてみなさん、先日、私たちは、第二回中央委員会総会を開き、そこでいま政治の“流れの変化”がおこりつつある、ということをつっこんで明らかにいたしました。

 昨年の総選挙では、小泉・自民党が、議席で圧倒的多数をえました。数の力で何でもできるかのようにみえました。しかし、思いどおりにことがすすみません。外交は、靖国問題でますますゆきづまる。憲法改定、教育基本法改定、「米軍再編」を無理押ししようとしていますが、国民の側からの大反撃がはじまっています。経済問題でも、格差と貧困の拡大、ライブドア事件や村上ファンド事件などで、一時、猛威をふるった規制緩和万能論にたいして、国民的な批判が広がっています。

 そんななかで、七月二日、うれしいニュースが飛び込んできました。人口五十一万人の東大阪市の市長選挙で日本共産党員の長尾淳三候補が勝利して、民主市政を奪還したというニュースであります(大きな拍手)。この選挙では、不公正な同和行政の復活、住民犠牲の市政のゆがみへの怒りとともに、国政への怒りが沸騰しました。お年寄りに住民税の大増税の通知がとどき、役所に抗議が殺到し、怒りの渦のなかの選挙戦となりました。大阪では、お年寄りのなかから、「これで二度目の赤紙だ。一度目は鉄砲で、今度はじわじわと殺される」、「役所に枝ぶりのいい木を植えろ。みんなで首をつってやる」(どよめき)――この大増税を決めた張本人は小泉・自公政権ですが――、そういう激しい怒りの声もあがったと聞きました。市政への怒りと国政への怒りが合流して、新しい政治をもとめる市民の審判がくだりました。これは、いまおこっている政治の“流れの変化”を象徴する快挙であります。(拍手)

 今年一月に開いた第二十四回党大会の決議で、私たちは、昨年の総選挙で小泉・自民党が圧倒的多数の議席をとったことにたいして、これは「国民をあざむく方法」で獲得した議席だ、「うそとごまかしが明らかになれば、政治の大きな激動はさけられない」とのべました。これは、けっして強がりを言ったわけではありません。いままさに「うそとごまかし」が明らかになり、「政治の大きな激動」がおこり始めています。

 このもとで、政党の値打ちが深いところから試されています。きょうは、この記念すべき講演会にあたって、「政党としての大道を歩む日本共産党」と題して、日本共産党というのは、そもそもどういう政党なのかを、五つの角度からお話しさせていただきたいと思います。

第一。自民党政治を根本から変える綱領をもつ党

 第一は、いまどの党も「改革」というわけですが、自民党政治のゆがみを根本から改革する綱領をもつ党は、日本共産党しかないということであります。

綱領がのべている日本社会のゆがみの告発が、国民の常識となりつつある

 私たちは、二〇〇四年の第二十三回党大会で、二十一世紀の先々まで展望して綱領の全面改定をおこないましたが、いま痛感するのは、わが党の綱領がのべている日本社会のゆがみの告発が、国民のみなさんの常識となりつつあるということです。

こんなひどいアメリカいいなりでいいのか――地方紙の社説から

 一つは、綱領では、異常なアメリカいいなり政治をただそうとのべていますが、日本があまりにアメリカいいなりだということは、いまや国民のみなさんの常識となりつつあるのではないでしょうか。

 この間、憲法九条を変えて、アメリカとともに「海外で戦争をする国」をつくる動きにたいして、「九条の会」の運動が前進し、日本列島津々浦々に五千をこえる「会」がつくられ、文字どおりの国民的運動として発展しています。

 「米軍再編」の名で日米の軍事一体化と基地強化をおしつける動きにたいして、全国各地で、保守の方々もふくめて自治体ぐるみ、住民ぐるみの運動が前進しています。七月九日には、横須賀で「原子力空母来るな、米軍再編『合意』撤回」をもとめて三万人が参加する首都圏の大集会が成功しました。集会会場のすぐ目の前には、米海軍のイージス艦が泊まっている。イージス艦に乗っていた米兵も、三万人をみて驚いたと思います。ここでも奥深いところから国民の運動がおこっています。

 こうした国民のたたかいの前進のなかで、世論にも大きな変化がおこりつつあります。私は、ずっと地方紙の論調を見てみまして、地方紙の社説に、つぎつぎと注目すべきものが出されていると感じました。三つほど紹介したいと思います。

 まずこれは神奈川新聞の、「原子力空母問題 あくまでも『ノー』を貫け」と題する社説(6月14日)です。「原子力空母の予測を超えた事故、甚大な被害が起きた場合の市民の不安は払しょくされていない。……日米安保条約があるからといって米軍の戦略に追随するだけでいいのだろうか」。こうのべています。

 それからこれは北海道新聞の、「米軍再編と日米安保 拠るべきは民意と憲法だ」と題する社説(5月3日)です。「米軍再編」の日米合意について、「この合意は拠(よ)るべき民意と憲法をないがしろにしていないだろうか。……米国の戦争に日本が巻き込まれる。日米同盟はすでにそうした危険水域に迫っている」。こう警鐘を鳴らしています。

 さらにこれは琉球新報の、「過剰な対米追従見直しを」と題する社説(4月28日)です。「県民の声より、米国の意向が優先されている。……過剰な対米依存、対米追従という日本の外交、安全保障の枠組みを見直すよう政府に求めたい」。

 政府は、「日米同盟」の四文字さえいえば、何でもとおると錯覚しています。この四文字で、憲法改悪をすすめ、「米軍再編」をおしつけようとしています。しかし、もはやそれだけでは通用しなくなっている。安保条約があるからといって我慢せよというが、こんな乱暴な地元無視のやり方はないではないか、こんなひどいアメリカいいなりがあるか。そうした国民の声がわきおこり、それが地方新聞の社説にもあらわれているではありませんか。

「ルールなき資本主義」――内外メディアの論調に変化も

 いま一つ、綱領では、「ルールなき資本主義」をただそうとのべているわけですが、これも、一方で、格差社会と貧困が広がる、他方で、ライブドア事件や村上ファンド事件にみられるように、ぬれ手で粟(あわ)の錬金術がはびこるなかで、「ルールなき資本主義」という告発が、国民の実感とぴったりあうものになっているのではないでしょうか。

 最近になって、全国新聞の論調にも一定の変化が見られると思います。

 これは読売新聞ですが、「誰が堀江・村上を生んだのか」という連載をおこないました(6月22日から)。連載の見出しを紹介すると、「『拝金』助長 改革の影」、「倫理置き去り 踊る財界」、「錬金術 ノーチェック」。こういう批判的な連載が始まりました。

 朝日新聞では、「検証 構造改革」という連載をおこないました(6月28日から)。その第一回では、「規制緩和万能論に影 順風一転 格差に批判」という見出しで、この経済路線の害悪について批判し、最後にこう結んでいます。「規制緩和万能論からも、小泉政権の熱狂からも離れ、それ(政府が果たすべき役割)を冷静に考えるときが来ている」。もう少し早く「冷静に考え」てほしかった(笑い)と思いますが、ともかくも論調に変化がおこりつつあります。

 海外メディアからも批判の声がよせられています。イギリスの『エコノミスト』という雑誌が、連続して日本特集をくみました。第一回(05年10月8日号)は、ライブドア問題を扱い、日本の資本主義は「驚くばかりに規制がない」とのべました。第二回(06年6月23日号)は、「日本の不平等」という題で格差拡大を扱い、こうのべています。「日出ずる国は、一部の国民を日陰に放置」(どよめき)。痛烈な批判の記事です。

悪政の根源をつき、打開の展望しめす綱領路線を広く国民のものに

 異常なアメリカいいなりと、「ルールなき資本主義」――綱領で告発している日本の社会のゆがみが、国民の常識となりつつある。いまや誰もがこの異常な現実に目をつぶるわけにはいかなくなってきました。

 だから自民党、公明党、民主党などのなかからも、アメリカとの関係はこれでいいのか、格差社会をどうするかという議論が出てきます。秋におこなわれる自民党総裁選では、格差社会が「争点」になるそうです。民主党も、規制緩和を自民党と競いあってきたことを忘れてしまったかのように、「格差は問題だ」といいだしています。しかし、これらの党は、物事の表面のあれこれについてのべても、日米安保条約、大企業中心主義という悪政の根源には、手がつけられません。この古い政治の枠組みのなかに、閉じ込められてしまっています。ですから、いま噴き出している矛盾をどうしたら打開できるかの展望をしめすことはできません。

 日本共産党の綱領は、異常なアメリカいいなり政治、「ルールなき資本主義」の害悪を告発するとともに、その根源にある政治の仕組みを明らかにし、その打開の展望を明らかにしています。日米安保条約を廃棄して、ほんとうの独立国といえる日本、憲法を生かした平和な日本を築く。大企業の横暴な支配をおさえて、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」をつくる。ここまで日本の政治を大本から改革する展望を掲げている政党は、ほかにありません。

 私は、まさにいま、わが党の綱領の出番の情勢だと思います。綱領がのべている日本社会のゆがみの告発は、国民の常識になりつつある。それなら、さらにそこからすすんで、綱領がのべている日本の民主的改革――日米安保条約をなくし、大企業中心主義をただす改革を、国民多数の合意にするために力をつくそうではありませんか。(拍手)

人類史の未来についての壮大な展望を掲げている党

 さらに、日本共産党の綱領は、こうした民主的改革の先の展望として、資本主義をのりこえた未来社会――社会主義・共産主義社会の展望について、まとまった形で明らかにしています。日本の政党のなかで、人類史の未来について、資本主義をのりこえる展望をもっている党は、日本共産党だけであります。

 実は、かつては、ほかの政党のなかにも、「社会主義」を掲げる政党がありました。

 かつて社会党は、「いますぐ社会主義革命を」という方針を掲げていました。社会党は、日本共産党が四十五年前にいまの綱領の原型にあたる綱領路線を確定して、まず民主主義革命を実現し、そのうえで社会主義にすすむという方針を打ち出したときに、わが党を批判するパンフレットまで出して、つぎのように攻撃したものでした。「こんなに社会主義への条件が熟しているのに、すぐに社会主義をめざさないのは日和見主義だ」。こういう勇ましい攻撃を(笑い)、してきたものでした。

 公明党まで、かつては「人間性社会主義」をめざすとのべ、中身は怪しげだったのですが、ともかく資本主義体制の「欠陥」を「克服」する社会が目標だといったものでした。私は、ここに一九六四年に公明党が出した『大衆福祉をめざして』という冊子をもってきましたが、こういっています。「資本主義体制は資本家階級にとっては、その利潤追求にもっとも都合のよい体制ではあるが、国民の大部分を占める勤労者大衆にとっては、いくたの矛盾、欠陥をはらんで、貧困の苦しみからのがれることのできない体制であるということができよう」。いまの公明党の幹部に読んでいただきたい(笑い)。そんなことを言ったこともあるのです。

 しかし、いま、資本主義をのりこえた未来社会の展望を高々と掲げている政党は、日本の政党では、日本共産党だけであります。

 それでは、二十一世紀の世界の現実は、資本主義という制度が、万々歳で、未来永久につづくことを保障しているのでしょうか。反対に、利潤第一主義を原理とする資本主義体制では、いま人類が直面している貧富の差の拡大、南北問題、環境問題などの問題に対応できず、人類の生存条件そのものが脅かされてしまうのではないか。そのことが、人類の前途を真剣に考えている人々のなかから、さまざまな形で提起されています。

 私は、一昨年、東京大学で講演する機会がありましたが、そのときに、地球環境問題の専門家で、いま東大総長をされている小宮山宏さんの著書『地球持続の技術』に注目し、学生のみなさんに紹介したことがあります。小宮山さんは、この著作で、「規制緩和の大合唱」を批判するとともに、こうのべています。

 「環境やエネルギーの問題のように、徐々に損なわれていく文明の基盤に対して人類全体が長期的な対応をしなくてはならないという状況において、市場はうまく機能するであろうか。そうは思えない。市場原理への予定調和的期待は、短期の視野で企業が対応する限り、成り立たないのではないだろうか」

 目先だけの利害を追う利潤第一主義の対応では、人類が長期的な展望をもって対応しなければならない課題について、対応不能になるのではないかという、専門家からの警鐘として、私は、印象深く読みました。

 いま一人紹介したいのは、ラテンアメリカですすんでいる民主革命のリーダーの一人、ベネズエラのチャベス大統領が、昨年二月の第四回社会債務サミットでのべた言葉であります。チャベス大統領は、「資本主義モデルのなかでは、貧困と不平等を解決できない。地球環境を破壊し、地球の生命が持続不可能になる」とのべ、「個人の資格」ということをことわりながら、「われわれは、二十一世紀の社会主義をつくりあげなければならない」とのべました。

 みなさん、二十一世紀というのは、資本主義という制度が大きく傾きつつある時代、その耐用年数が尽きつつある時代です。そのなかで、人類の前途について、こうした新しい模索と探究がおこっているのです。

 そうした激動の世界において、いまの資本主義の社会を、これ以上の社会はない、永久不変の社会だと信じ込んでいるとしたら、これはあまりにも寂しい話になるのではないでしょうか。

 この激動の時代に、日本共産党が、新しい綱領のなかで、未来社会論の中心に「生産手段の社会化」をすえ、「人間の全面的発達」を目標とする、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会をめざすことを明らかにしたことは、壮大でロマンあふれる、大きな意義をもつものだと、私は確信いたします。

 私たちは、日本共産党という未来社会の展望・理想とかたく結びついた名前を高く掲げて、二十一世紀にのぞみたいと考えるものであります。(拍手)

第二。草の根の力で政治を動かす党

 第二に、日本共産党は、草の根で国民と結びつき、草の根の力で政治を動かす政党です。

 日本共産党は、全国に四十万人の党員をもち、職場、地域、学園あわせて二万四千におよぶ支部をもち、三千三百八十五人の地方議員、二百八十八万人の後援会員、百六十万人の「しんぶん赤旗」読者をもっています。

 全国津々浦々に自前の草の根の組織をもち、日夜、国民の苦難と要求にこたえて活動する政党は、わが国では日本共産党以外にはありません。

 二万四千の支部といいましたが、全国でこれだけの規模のネットワークをもっている組織がほかにあるかと調べてみました。郵便局が二万四千カ所、小学校が二万三千カ所、保育園が二万三千カ所です。「郵便局、小学校、保育園、共産党支部」ということになります(笑い、拍手)。これだけのネットワークが、国民の利益を守ってがんばっているのは、わが党の最大の誇りであります。(拍手)

草の根の運動との共同で現実政治を動かす――最近の四つの経験

 まず強調したいのは、日本共産党が、つねにこれらの草の根の力に依拠し、草の根の力と共同して、現実の政治を動かしてきたということです。

サービス残業の一掃――職場と国会との連携プレーで

 たとえば、サービス残業一掃のたたかいです。日本共産党国会議員団は、この問題について、一九七六年以来、二百七十六回にわたって追及を重ねてきました。二〇〇一年に厚生労働省に是正の通達を出させ、最近ではサラ金の武富士に三十五億円の不払い残業代を払わせ、これまでに総額六百五十三億円の不払い残業代を払わせました。どうしてわが党の国会議員団が、こうした抜群の働きができたのか。

 実は、厚労省の通達が出された後も、労働基準監督署は、なかなか大企業の実態調査に踏み出しませんでした。そのときに電機関係のある大企業の共産党支部から具体的告発がよせられました。「パソコンに、基準時間以上の残業時間を打ち込むと、入力を拒否されて、『上司の決裁を得てから再入力するように』というメッセージが出る」(どよめき)というのです。とんでもないパソコンです(笑い)。パソコンが悪いのではありませんが(笑い)。こういう現場からの具体的告発がきっかけになって、サービス残業の手口が明らかになり、一つひとつの是正がはかられていきました。

 現場からの告発で政治が動く。職場と国会とのこういう連携プレーができる政党は、私は、日本共産党しかないといえると思います(拍手)。六百五十三億円の不払い残業代を取り戻したことは、職場のたたかいに支えられた文字どおりの共同の成果であります。(拍手)

サラ金の高金利引き下げ――粘り強い生活相談活動とむすんで

 それからサラ金の高金利引き下げの問題です。多重債務、自己破産、自殺に追い込まれるなど、サラ金被害はきわめて深刻です。今年の通常国会で、わが党の議員団は、年利29%もの暴利を可能にしてきたグレーゾーン金利、灰色金利という問題に、正面から切り込む追及をおこないました。このなかで小泉首相が「高金利をむさぼる業者に被害を受けない対策を講じる」と答弁し、金利引き下げの流れがつくられました。さらに与謝野金融担当大臣が「不愉快なことは、テレビコマーシャルにサラ金業者の広告が堂々と載っていること」と答弁し、サラ金業界はコマーシャルの一部自粛に追い込まれました。

 テレビのコマーシャルにかわいいチワワを登場させて、「どうする?アイフル」と大宣伝していたアイフルというサラ金業者があります。この企業は、なんと一カ月に三百十六回もチワワのテレビコマーシャルをやっていたというのです。チワワがほんとうに気の毒であります(笑い)。この会社も、暴力団まがいの取り立てが明らかになって業務停止処分となり、コマーシャルも一時中止に追い込まれ、文字どおりの「どうするアイフル」になってしまいました。(笑い)

 サラ金問題は、実に深刻な社会問題になっているのに、自民党も公明党も民主党も、ここに手がつけられなかったのです。サラ金業界がつくる政治連盟からパーティー券を購入してもらっているからです。引け腰で、助け舟さえ出すというありさまです。日本共産党だからこそできた追及でありました。(拍手)

 そしてこの追及の根底には、党支部のみなさんと地方議員のみなさんが、地道に粘り強くとりくんできた生活相談活動があるということを、私は紹介したいのです。サラ金被害の相談でも、日本共産党ほど真剣にとりくんでいる政党はないと思います。二十数年来とりくんできた蓄積があります。この問題で親身になって相談にのっているのは、政党では共産党しかないという実態があります。

 私たち日本共産党では、生活相談に来る方に対して、どこで知って来られたんですかとよくたずねます。そうしますと「あそこにいけば聞いてくれるというのが、街の声になっている」と、これがいちばん多いです。さらに、「役所に行ったら、共産党に行きなさいといわれた」(笑い)、「警察に行ったら、共産党に行きなさいといわれた」(爆笑)と相談に来る方も少なくないのです。なかには、創価学会の会員も「共産党に行きなさい」(笑い)といわれたという人もいます。そういう活動と一体になって、政治を動かした。サラ金問題でも、草の根の力で政治を動かしたというのが、この間の成果であって、これもわが党ならではの成果といっていいのではないかと思います。(拍手)

PSE問題で政府方針を撤回――広範な市民運動との共同で

 それからPSE問題で政府方針を撤回させたという快挙が、この間ありました。今年二月から三月にかけて、電気用品安全法によるPSEマークのない中古家電が四月から販売できなくなることが大問題になりました。わが党の議員が繰り返し問題をただし、「もともと中古品は電気用品安全法の対象外ではないか。中古品を対象とすることは、法令集のどこに書いてあるのか」と政府を追及しますと、とうとう答えられなくなりました。法的根拠がないことが明らかになった。これが決定打になり、経済産業省の内部から「ギブアップ」、「火だるま状態」だという悲鳴があがり、二階経済産業大臣も「経産省は“焼け野原”みたいになった」というところまで追い込み、政府方針の撤回という大きな成果を勝ち取りました。

 この問題では、独特の形で市民運動との連帯が広がりました。業者のみなさん、音楽関係者、多くの若者たちの運動との連携が広がり、その共同の成果となりました。わが党の質問は、インターネット上で大反響となり、「左バッター特有の鋭い当たりでクリーンヒット」(笑い)――「左バッター」というのがうまいいいかたですが(笑い)、こういう書き込みがされ、たくさんの激励がよせられました。

 今回の問題の背景には、電気用品の安全性を国が保証する制度から、家電メーカーの自主検査にゆだねるという規制緩和が、やはりここにもありました。この法改悪にきっぱり反対したのは日本共産党だけでありました。これが今回の活躍につながったということも、ここで紹介しておきたいと思います。(拍手)

「愛国心通知表」――全国で是正のとりくみがすすむ

 もう一つ、「愛国心通知表」の問題です。通常国会で政府・与党が提起した教育基本法改定のくわだてに、わが党は総力をあげてたちむかいました。福岡市で「愛国心」をABCで評価する通知表が使われていた問題について、私が、国会の質疑で、その通知表の写しを小泉首相に一部お渡しして、「こんなことが許されると思いますか」と聞いたところ、首相は、「評価は難しい」「必要ない」という答弁をしました。この国会質疑がきっかけになって、全国で是正のとりくみがおこなわれました。

 これも草の根の運動との連携したとりくみが広がっています。校長先生や教育委員会との話し合いが全国各地でおこなわれていますが、教育委員会と話し合うときには、首相答弁を示して、「教育委員会はこの答弁に異議がありますか」と問うと、「首相がおっしゃったとおりです」(笑い)ということになって、各地で改善がはかられてきました。これもまた国会質問と草の根の運動の共同の成果であります。

 朝日新聞では、この質疑に注目した特集をくみ、「文科省シナリオ狂う」との大見出しで報じました(6月25日)。なぜか共産党がとりあげたことには触れていませんが(笑い)、ともかくも世論を一歩動かしたと思います。教育基本法改定をめぐっては、たたかいはこれからが重大場面となります。国民的運動を大きく広げて、何としてもこの法案をつぎの国会では廃案に追い込もうではありませんか。(拍手)

なぜ地方議会で健闘しているか――住民にとってなくてはならない議席

 わが党が誇る草の根の力で、いま一つ紹介したいのが、三千三百八十五人の地方議員のみなさんの力であります。

 この間、自治体では市町村合併がすすみましたが、わが党は健闘しています。大会後の中間地方選挙の結果では、わが党の議席占有率は6・7%から7・7%にのびています。合併が開始されたこの二年あまりで、定数一で勝利した選挙が十三、定数二で勝利した選挙が十七におよびます。定数一での勝利というのはかつてはまれで、だいたい都市部だけでした。ところが最近では、長崎、宮崎、香川、高知、奈良、岡山、新潟、北海道などの農村部にも広がっています。

 なぜ勝利しているのか。もちろん、わが党の政策と路線への信頼があります。同時に、それ以前の問題として、それぞれの地域で、地方議員としてのまともな仕事をしているのは、日本共産党議員しかいないということが評価されていることが多いのです。

 たとえば、長崎市に合併した旧香焼(こうやぎ)町では、定数一の選挙を保守候補との一騎打ちで争いました。この選挙では堂々の勝利を勝ち取ったわけですが、決定打となったのは単純明快な話でした。「住民の利益を守るために、しっかり発言する人か、発言をしない人か」(笑い)。わが党の候補者は、百二十六回の発言をしています。相手は八年間やってゼロであります(笑い)。こちらの批判に苦しくなって、「私は与党だから共産党のように議会でいちいち発言する必要がない」といいました。そこで「発言する必要がないなら、議会に必要がない」(爆笑、拍手)と切り返した。これで勝負ありとなったわけであります。

 合併した旧自治体の議長さんなどが、日本共産党の候補者を応援してくれるケースも目立ちます。栃木県佐野市に合併した旧葛生(くずう)町では、保守系の元議長さんが、共産党候補者にこういう熱い推薦文をよせてくれました。「葛生のために、勝たせてほしい。……つねに住民サイドで勉強もし、発言もし、行動する。何がなんでも市議会に出したい。出さなければ、みなさん損ですよ」(拍手)。この選挙でも、保守の人々の支援を広くえて勝利を勝ち取りました。

 市町村合併で、なくなる自治体の住民にとっては、日本共産党の議席は、その地域の声を議会にとどけるうえでなくてはならない、絶対に落とすわけにいかない議席です。その声が党派の違いをこえて広がり、定数一や二の選挙区での勝利にもつながっているのです。

 住民の利益のために日夜献身的に奮闘する三千三百八十五人の地方議員もまた、わが党が誇る宝であります(拍手)。どうか来年のいっせい地方選挙では、この力を大きくしていただきたい。よろしくお願いいたします。(大きな拍手)

たえず反共攻撃とたたかい、鍛えられた組織

 くわえて私が強調したいのは、わが党が、こういう草の根の組織を、日本共産党への攻撃が強い風土のなかでつくり、守り、育ててきていることの特別の意味であります。

 先日、わが党は、全国の職場支部の代表が参加して、「職場問題学習・交流講座」をひらきました。職場支部のみなさんの代表の発言で、私が何よりも感動したのは、どんな困難ななかでも労働者と国民の利益の守り手としてたたかう不屈な姿でありました。発言のなかでは、日本共産党員であるがゆえの無法な差別をなくすために、十三年におよぶ裁判闘争をたたかい、ついに勝利した経験も語られました。この発言をした方は、「多くの困難があったが共産党員であってよかった。よく私を日本共産党員にさそってくれた。入党の働きかけをしてくれた先輩党員に感謝しています」と発言しましたが、私は、たいへん大きな感動をもって聞きました。

 日本では、職場で日本共産党に入ったことがわかると不当な差別をうけるという事態が、だいぶなくなってきたとはいうものの、まだ残されています。これは、フランス、イタリア、ドイツ、スイスなど、西ヨーロッパでは考えられない話だといいます。パリの地下鉄には、共産党員だった詩人の名を冠した「ルイ・アラゴン駅」というのがあります。イタリアのナポリには、戦前の共産党指導者の名を冠した「グラムシ通り」というのがあります。日本でいえば、「宮本百合子駅」とか(笑い)、「小林多喜二通り」(笑い)があるようなものであります。こうした国々との比較でも、日本での共産党にたいする攻撃の強さというものを痛感するものです。

 日本共産党がもつ草の根の組織というのは、たえず反共攻撃とたたかい、鍛えられた組織だということ、これも私たちが誇りにするところであります(拍手)。どうか、このかけがえのない草の根の力を大きくするために、みなさんのご協力を心からお願いするものであります。(大きな拍手)

第三。国民に依拠した財政活動をすすめる党

 第三は、日本共産党が、国民にのみ依拠した財政活動をすすめる党であるということであります。

政党が誰を基盤に、誰に目をむけて活動しているかの試金石

 政党の財政というのは、たんなるお金の問題ではありません。その政党が誰を基盤に、誰に目をむけて活動しているかの試金石であります。

 日本共産党は、党をつくって八十四年になりますが、この歴史をつうじて企業・団体献金を一切受け取ってきませんでした。国民の思想・信条を無視して政党への「募金」を強制する憲法違反の政党助成金も受け取っていません。その財政のすべてを、国民のみなさんに依拠してまかなっております。党員のみなさんからの党費、「しんぶん赤旗」読者のみなさんからの購読料、党員と支持者のみなさんからの個人募金。この三つにのみ、私たちの活動は支えられています。

 財政活動には、苦労や困難も多いことは事実です。しかし、国民にのみ依拠した財政活動をすすめていることは、私たちがどんな問題でも国民の利益を守りぬく、たしかな保証となっています。それは、財界の横暴勝手と正面からたたかう力の源泉になっています。また、わが党が、何ものも恐れず、政治腐敗を追及することができるのも、財界献金と無縁な清潔な党だからであります。

 最近、私は、国民に財政的に支えられた党の素晴らしさを、別の形で実感した出来事がありました。この間、世界各地で大災害があいつぎました。そのたびに、党として救援募金をよびかけてきました。「しんぶん赤旗」でよびかけるのですが、たくさんの方々から募金がよせられるのです。パキスタンの巨大地震にたいしては千四百十万円、インドネシア・ジャワ島の地震にたいしては五百八十万円の募金がよせられています。

 募金の振替用紙の通信欄には、募金してくださった方から、「赤ちゃんにミルクを! 貧者の一灯です」、「シルバー人材センターで働きだしました。三日分の分配金を送らせていただきます」などの声がつづられていました。海外での出来事にも、同じ人間として心を痛め、救援の気持ちを、楽とはいえない生活費のなかから工面して送ってくれる。何という素晴らしい人間のネットワークに、私たちは支えられているのかと、私は、胸が熱くなる思いでこれらの声を読みました。募金は、大使館に直接お届けしましたが、パキスタン大使からも、インドネシア代理大使からも、丁重な感謝の気持ちがよせられたことを、この機会に報告しておきたいと思います。(拍手)

政治と財界の癒着の新しい特徴――政党買収の「年間サイクル」

 他党はどうでしょうか。私たちは、企業・団体献金の害悪について、政治を金で買う賄賂(わいろ)だと批判してきましたが、その害悪がこれまで以上に深刻になっています。いま財界と政治の癒着という点で、二つの新しい特徴が生まれていることに目をむけていただきたいと思うのであります。

財界代表が、政治を直接支配する司令塔に座る新しい仕組みが

 第一は、財界代表が、政治を直接支配する司令塔に座るという新しい仕組みがつくられたということであります。小泉内閣の「構造改革」を実際に推進してきたのは、財界直結のつぎの二つの機関でした。

 一つは、「経済財政諮問会議」であります。これは、日本経団連の奥田会長、経済同友会の牛尾元代表幹事らが事実上牛耳り、毎年の予算編成にむけて、あの悪名高い「骨太の方針」――国民の“骨を削る”方針を決め、庶民増税、社会保障切り捨てをはじめ、ありとあらゆる国民いじめの政策をおしつける悪政の震源地となっています。

 いま一つは、「規制改革・民間開放推進会議」なる機関であります。これはオリックスの宮内会長が議長に座り、この十年間で六千もの規制緩和をおしつけてきました(一九九五年に「行政改革委員会規制緩和小委員会」としてスタートし、つぎつぎとその権限を強化してきた)。

 ここにその「実績」を自慢したパンフレットをもってまいりました。「規制改革・民間開放で豊かな社会を」(内閣府発行)と題するパンフレットです。

 何と書いてあるか。たとえば、「派遣労働者が多様な働き方を選択できるようになりました」と書いてある。派遣労働を拡大したことを自慢しているのです。「モノのように使い捨てにする」労働をつくりだしたことを自慢している。

 それから、「タクシーの利便性が向上しています」と書いてある。タクシーの規制緩和で何がおこったか。タクシー労働者に激しい賃下げが押しつけられ、年収二百万円という低賃金にあえいでいます。とても生きていけない水準まで賃金が下がり、企業に勤めていながらホームレスになる――「企業内ホームレス」という事態が引き起こされている。この深刻な実態は、「しんぶん赤旗」が告発して大きな反響をよびました。

 「ルールなき資本主義」を極端にまでひどくした元凶がここにあるということを、私は告発したいと思うのであります。(拍手)

 許しがたいのは、こうした「新自由主義」の経済政策を推進してきた当事者が、自分のつくったマネーゲームの仕掛けで、ばく大な利益を得ていることです。村上ファンドの経済犯罪が大問題になっていますが、オリックスの宮内会長は村上ファンドの実質的創設者であり、牛尾会長もここに巨額の投資をしており、日銀の福井総裁はオリックスを通して村上ファンドに投資をしていました。庶民を痛めつけた張本人が、自分のつくった仕掛けで、ぬれ手で粟の富をえる。私たちは、この財界直結の新しい利権政治を、これからも徹底的に追及していきたいと決意しています。(大きな拍手)

こういう姿勢でどうして財界権益という最悪の「既得権益」を打破できるか

 第二は、こうした財界による政治支配をいっそう確実なものとするために、日本経団連は二〇〇三年五月に企業献金のあっせん再開を宣言し、政党をまるごと買収する「年間サイクル」の仕組みをつくったということです。この「年間サイクル」とは、つぎのようなものであります。

 まず、日本経団連が毎年、「優先政策事項」なるものを発表します。ここには法人税を下げろとか、消費税を上げろとか、財界の勝手な要求が並んでいます。

 つぎに、日本経団連と自民党、民主党との「政策を語る会」なるものが開かれます。この「語る会」には、自民党も民主党も手ぶらではいけないのです。「日本経団連の○○年の優先政策事項と○○党の政策・取り組み」と題した「レポート」を提出しなければなりません。私は、この「レポート」を、ここにもってまいりました。こちらが自民党のもの、こちらが民主党のものですが、「レポート」の書式がまったく一緒なのです。書式まで決められているのです。まるで試験の答案用紙に答案を書くというありさまです(笑い)。この答案用紙をもって「政策を語る会」にいきますと、居並ぶ日本経団連の幹部から「口頭試問」を受けるわけです。

 こうして自民党、民主党への「通信簿」が決まる。A・B・C・D・Eの五段階評価がされ、「通信簿」にもとづいて企業献金があっせんされる。こういう「年間サイクル」がつくられているわけです。まさに政党をがんじがらめにして、まるごと買収する仕掛けです。

 今年五月に開かれた「民主党と政策を語る会」では、小沢代表とともに出席した鳩山幹事長が、外資系企業の政治献金も解禁されるべきだと表明しています。私は、これにはあきれました。日本経団連の新しい会長となった御手洗氏が会長をつとめるキヤノンという会社は、外国法人持ち株比率が過半数を占める事実上の外資系企業になっています。ですから、現行法では政治献金ができません。そこで法律を変えて、キヤノンからも献金がもらえるようにしましょうということを、本人の目の前でいうんですから、これはあぜんとさせられる話ではありませんか。

 みなさん、自民党も民主党も、さかんに「既得権益の打破」といいます。しかし、こういう姿勢で、どうして財界権益という最大・最悪の「既得権益」を打破できるか。企業献金、財界献金でまるごと買収されている政党には、国民のための政治を語る資格はないということを、私ははっきりいいたいのであります。(大きな拍手)

政党助成金――この制度がどんなに政党を堕落、腐食させているか

 企業献金にくわえて、政党助成金制度という大問題があります。この問題で目をむけてほしいのは、この制度が、日本の政党をどんなに堕落させ、腐食しているかということであります。

 政党助成金制度が導入されてから十年がたちました。この十年で、自民党の財政がどうなったでしょうか。他の党のことですが、国民の税金にかかわりますので、調べさせてもらいました。自民党の収入に占める、党費と個人献金という健全な収入の比率がどうなっているか。党費といっても、自民党の場合、「幽霊党員」とか「立て替え払い」とかいろいろ問題になったこともありますが、ともかく建前上は党費と個人献金というのは健全な収入といえます。この比率が十年間でどうなったかを調べてみますと、一九九五年はあわせて14・4%だったのが、二〇〇四年には5・1%まで激減しています。政党助成金をもらうと、健全な収入がどんどん細っていくわけです。

 民主党はどうか。この党は、もともとこの健全な収入がきわめて少ないのです。収入に占める党費と個人献金の比率は0・8%です。民主党本部への個人献金は、二〇〇四年は年間わずか三十六万円(どよめき)。「共産党でいえば一支部分だ」(笑い)と話題になったほど少ないんですね。健全なお金が入ってこなくなる。

 かわりに政党助成金への依存は高まるばかりです。収入に占める比率は、自民党59%、民主党84%です。「官から民へ」を唱え、民営化と公務員切り捨ての競争をしている両党が、自分たちは総額で年間三百億円の税金でぬくぬく暮らす“国営政党”になっていることを、どう説明するのでしょうか。(拍手)

 政党助成金というのは、国民と政党との財政的結びつきを断ち切り、政党を根無し草のような存在にしてしまうものであります。そして、一度もらったら麻薬のように中毒にかかり、ときとともに中毒をますますひどくし、体をぼろぼろにむしばんでしまうというものであります。

 ですから、この問題は、中途半端な解決はできないのです。憲法に反し政党政治を堕落させる政党助成金制度は、きっぱり大本から撤廃するしかない(大きな拍手)。わが党は、こういう立場でがんばりぬきたいと思います。(拍手)

 企業献金も政党助成金も受け取らず、国民にのみ依拠した財政活動をつらぬく日本共産党の立場こそ、「国民が主人公」というわが党の政治信条を支えるたしかな保証となっていることを、多くのみなさんに知っていただきたいと思います。

第四。戦前・戦後の一貫した歴史をもつ党

 第四は、日本共産党が、戦前・戦後の八十四年間の一貫した歴史をもつ党であるということであります。

党をつくって84年、なぜ一つの名前で活動できたか

 日本共産党は、党をつくって八十四年間、「日本共産党」という党名を一度も変えずにやってきました。

 よくなぜ名前を変えないのかという質問がありますが、私は、なぜ一度も名前を変えないで活動できたか――ここをぜひ見ていただきたいと思うのです。

 だいたい、みなさん、政党が名前を変えるときというのは、国民に顔向けできないような大きな誤りを犯したときではないでしょうか。この点で、政党の真価が問われる歴史の岐路が、戦前と戦後にありました。

侵略戦争反対の不屈のたたかいと、その今日的な意義について

 まず、かつての日本軍国主義による侵略戦争と植民地支配への態度という問題であります。アジア諸国民と日本国民に耐え難い犠牲をもたらしたこの戦争にたいして、命がけで反対をつらぬいた政党は、日本共産党だけでありました。だから戦後も、党の名前を変えずに、堂々と「日本共産党」と名乗って活動を再開できました。戦前史を、誇りをもって語れる政党は、日本共産党だけであります。(拍手)

 その意義は、過去の問題にとどまりません。この間、わが党は、小泉首相の靖国参拝問題について、この問題の核心は、遊就館に象徴される「あの戦争は正しかった」という戦争観を肯定することにあると批判してきました。この批判は、国内外に大きく広がりました。私は、わが党が、こうした核心をつく提起ができた根本には、侵略戦争に命がけで反対をつらぬいた歴史の重みがあることを痛感します。

 この歴史は、かつて日本軍国主義の侵略戦争によってたえがたい犠牲をこうむった東アジアの人々と交流をすすめるうえで、大きな信頼の源となっています。

 東アジアの国では、さまざまな歴史的経緯から共産党が非合法とされている国も少なくありません。そのなかでこういう出会いもありました。これは時事通信の方が書いた本のなかで紹介されていることですが、「しんぶん赤旗」の記者が取材のためにシンガポールを訪れたときに、応対したプレス担当の女性の方の感想が書かれている。「今日は大変なことがあったの。生まれて初めてコミュニスト(共産主義者)と話したのよ」「始めは怖くてドキドキしたが、でも特に変わったこともないのね」(笑い)。こういうことが話題になったこともありました。

 しかし、そうした国々との交流でも、日本共産党が侵略戦争と植民地支配に反対をつらぬいて、そのために多くの党員が投獄され、拷問などによって犠牲になった話をすると、「日本にそういう政党があったのか」、「われわれと同じバリケードの側でたたかっている政党だ」と、いっぺんに信頼が得られるという経験を、私たちはたくさんしてきました。

 侵略戦争と植民地支配に反対をつらぬいた歴史が、いまアジアの人々との友好をすすめるうえでのかけがえのない懸け橋となっている、これは、ひとり日本共産党にとってのみならず、日本国民全体にとっての財産といえるのではないでしょうか。(拍手)

“名前を変えたが、心は変わらない”勢力による、憲法・教基法改悪を許さない

 他の党はどうでしょうか。他の党は、すべて侵略戦争に加担した歴史をもっています。戦前の政党は、政友会、民政党などの保守政党も、社会大衆党など「社会主義」をかかげていた政党も、太平洋戦争の前夜には党を解散し、日本共産党以外のすべての政党が大政翼賛会に合流しました。だから敗戦のときに、「昔の名前では出られません」となりまして、みんな名前を変えました。保守政党は、やがて自由民主党をつくりました。社会大衆党などの流れをくむ勢力は、日本社会党になりました。

 しかし、ここで深刻な問題が残りました。名前を変えても、心は変わらない――侵略戦争を推進しそれに反省のない勢力が、日本の戦後政治の中枢に座ったことであります。小泉首相の靖国参拝問題、歴史をゆがめる教科書問題など、いま歴史問題をめぐる逆流がおこっている根っこには、この問題が横たわっています。

 この前の国会での教育基本法の特別委員会で、自民党、民主党の議員が繰り広げた議論は、驚くべきものでした。私も、議事録を読んでみまして、その内容に仰天いたしました。自民党の議員が、戦前、天皇のために命をささげよと国民に強要した「教育勅語」について、「実に自由で寛容、平等主義的で、かつ謙虚だ」(どよめき)と賛美し、「国民のモラル憲章のような形で、教育勅語を参考にして、新しい道徳律をつくれ」、こういう発言をしているのです。そうしますと民主党の議員が、「教育勅語」の「現代語訳」なるものを議場に配ったのです(どよめき)。この「現代語訳」なるものを取り寄せて読んでみると、悪い部分を都合よくとりのぞいた文字どおりの「誤訳」なのですが(笑い)、これを議場で配っている。「教育勅語」は素晴らしいことを書いているのに、この基本が教育から失われているのが問題だと説く。まるで、戦前の帝国議会にタイムスリップしたかと目を疑うような事態が、繰り広げられました。

 こうした議論の旗振りをしているのが、日本会議国会議員懇談会なる自民、民主が参加する議員集団であります。誰が参加しているのか、その会員名を明らかにしていないのです。ホームページを見てもでていない。名乗れないぐらい恥ずかしいことをしているのかと私はいいたいけれども、何を決めているかははっきりしています。憲法を改定しろ、教育基本法を改定しろ、首相の靖国神社参拝を定着させろ、「愛国心」教育をおこなえと叫んでいる、侵略戦争肯定の右翼・改憲集団であります。

 こういう勢力の手によって、子どもたちの未来を奪う教育基本法改悪がおこなわれ、「海外で戦争をする国」づくりのために、日本が世界に誇る憲法九条を壊させるなどということは、絶対に許すわけにはいきません。(大きな拍手)

戦後史においても、自民党政治への一貫した対決者としての立場をつらぬく

 いま一つ強調したいのは、戦後史においても、自民党政治にたいする一貫した対決者としての立場をつらぬいた政党は、日本共産党だけだということであります。

 とくに、一九九三年以降の政党の離合集散の歴史のなかで、わが党以外のすべての政治潮流は、自民党政治の加担者であるか、加担者であった歴史をかかえています。私は、そこでの負の歴史が日本の政党政治の弱さになっていることを指摘したいのであります。

 たとえば、「二大政党」といいますけれど、その一方の民主党は、どういう潮流が集まってできているでしょう。

 民主党の小沢新執行部が発足時に自民党の小泉首相にあいさつに行きました。顔合わせが終わった後、小泉首相が感想を問われてこう答えました。「小沢代表も鳩山幹事長も渡部国対委員長もみな自民党だった。田中派、竹下派と話しているような気持ちだった。野党といわれてもピンとこない」(笑い)。正直な感想だと思います。

 考えてみますと、民主党とは、旧社会党、旧さきがけ、旧自由党の出身者など、自民党との連立政権を組んだ経験をもっている潮流と、自民党から飛び出した潮流が、合流してつくられた政党です。そして、旧社会党にせよ、旧さきがけにせよ、旧自由党にせよ、自民党と連立政権を組んだ政党は、みんな名前を変えるか、党を解消せざるをえなくなっているではありませんか。そういう勢力が合流してつくったのが民主党ということになります。

 この党が、「対立軸」路線といいながら、「対立」の実態がない、憲法改定でも、教育基本法改定でも、消費税増税でも、悪政の競い合いという枠内から出ることができないのは、こういう歴史とも深くかかわっているのではないでしょうか。(拍手)

 こうして戦後史においても、自民党政治と対決する野党としての立場を一貫してつらぬいた政党は、日本共産党だけであります。

 わが党は、歴史において、いっさい誤りはなかったなどという無謬(むびゅう)主義の立場をとるものではありません。個々の誤りや歴史の制約があったことは、党史――『日本共産党の八十年』のなかでも、きちんと明らかにしている党です。しかし、平和、民主主義、国民生活を守りぬくという歴史の根本問題において、わが党は、八十四年の歴史をつうじてつねに国民の利益の擁護者としての立場をつらぬいてきました(拍手)。ここに党をつくって八十四年間、党名を一度も変えずにやってきた理由があるということを、ぜひ知っていただきたいと思うのであります。(拍手)

 日本共産党という党名には、戦前、戦後、政党の真価が問われた歴史の岐路において、歴史の試練にたえてきた幾多のたたかいが刻まれているということを、私は強調したいと思います。

第五。自主独立の立場で、国際連帯をすすめる党

 第五は、日本共産党が、自主独立の立場で、国際連帯をすすめる党であるということであります。

半世紀前にうちたてた自主独立の立場

 日本共産党は、「五〇年問題」といいまして、当時のソ連などの干渉と結びついて党が分裂したつらい経験をもっています。わが党は、この問題をきちんと総括し、党の統一を回復した一九五八年の第七回党大会で、自主独立という立場を打ち立てました。どんな大国であっても、日本の運動について口だしはさせない、日本の運動は、日本共産党が自分の知恵で考え、自分で決め、自分の力で前途を開く。この立場をいまから約半世紀前に決めました。

 その後、ソ連のフルシチョフの時代、中国の毛沢東の時代に、両方からたいへんな干渉を受けました。その干渉のやり方というのは、言葉で非難するだけではありません。日本の党のなかに自分たちの干渉の手先をつくって、内部から党をひっくりかえそうというものでした。ソ連が崩壊した後にわかったことでしたが、ソ連共産党は、戦後も、世界の共産党のなかに、自分たちのいいなりになる工作員――エージェントを送り込み、内部から支配する網の目を、まるで蜘蛛(くも)の巣のように張りめぐらせていました。日本共産党の一部の幹部にも、秘密の工作員として内通していた人物がいました。

 わが党が、ソ連の干渉とたたかっている最中には、こういう仕掛けの全体がわかったうえで、たたかっていたわけではありませんでした。そういう状況のなかで、「社会主義の本家」を名乗る超大国が、国家権力の総力をあげてわが党を転覆しようとした攻撃に、正面からひるまずたちむかい、それを打ち破った。私は、よくもそういうたたかいができたものだと、わが党の先輩たちの理性と勇気にたいして、心からの尊敬の気持ちをもつものであります。(拍手)

干渉は許さない、相手への干渉はきびしくいましめる、いうべきことをいう

 このたたかいは、いまに生きる力となっています。

 一つは、私たちが、この経験をつうじて、党の外交活動の原則をすえたということであります。すなわち、どんな相手でも干渉や無法な攻撃は許さない。同時に、私たちの見解にあわないことがあるからといって、他国のことに口を出す内政干渉的な態度はきびしくいましめる。同時にまた、国際的な性格をもった問題については、節度をまもっていうべきことをきちんという。私たちは、どんな国際活動にあたっても、この外交活動の原則をつらぬいてきました。

 たとえば、中国共産党との関係です。一九六〇年代の後半、毛沢東指導部による乱暴な干渉によって、両党関係は断絶状態におちいりました。しかし、一九九八年、中国の指導部は、過去にさかのぼって事実を調べ上げ、間違いを明らかにし、両党の関係は正常化されました。そのときに私たちが驚いたのは、中国の指導部が、日本共産党との関係についての歴史的な反省を、新聞やテレビで大々的に中国の国民に知らせたことでした。私は、一九九八年に不破委員長(当時)に同行して中国を訪問したさいに、こうした態度のなかに、いまの中国の指導部の物事にあたる誠実さを強く感じたものでした。

 その後の八年間の両党関係の発展は、たいへん大きなものがあります。それは、イラク戦争に一致して反対するなどの国際政治での共同の対応にとどまらず、日中理論交流という形で、いわば双方の世界観にかかわる交流に発展しています。

 この交流のなかで、私たちは、中国国内の問題でも、それが国際的な性格をもつ問題については、節度をもって率直にいうべきことはいうという態度をとってきました。私自身がかかわったことで、たいへん印象的な出来事を一つ紹介したいと思います。

 昨年四月、中国でいわゆる「反日」デモがおこりました。その直後に、中国の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)の路甬祥(ろ・ようしょう)副委員長が来日し、私と会談する機会がありました。私は、その場で「両国民間の関係が悪化していることを憂慮しています」とのべ、「その原因はさまざまだが、根源は、日本の一部に過去の侵略戦争と植民地支配を肯定、美化する動きがあることだ」と指摘したうえで、「中国のみなさんがふまえてほしい」点として、つぎの三点を提起しました。

 一つは、過去に日本がおこなった侵略戦争と、現在中国で日本の民間がおこなっている経済活動などとを区別することです。

 二つ目は、歴史逆行の動きをみせている日本の一部政治家と、日本国民全体とを区別することです。

 三つ目は、日本の一部の動きへの抗議や批判を暴力で表すのではなく、どんな問題でも、道理ある、冷静な態度を守ることです。

 路副委員長は、私の三つの提起について、一つひとつうなずきながら聞いて、それを自分の言葉で確認しながらこう言いました。「このような時期でも日本共産党は確固とした立場をつらぬいている勇気ある政党だ」、「三点は十分に理解できるものであり、中国政府も人民もそうするでしょう」。

 この会談は、心が通じあったという実感のもてる、とても気持ちの良い会談でしたが、その後の中国政府の対応は、路甬祥副委員長が答えた方向ですすみました。私たちは、この問題を通じても、いまの中国の指導部の物事にあたる理性的な態度を感じとったものでありました。

 日本の運動への干渉は許さない、相手への干渉もきびしくいましめる、いうべきことは節度をもっていう――私たちは、どんな国際活動にあたっても、この原則をつらぬいてきたし、今後もつらぬくつもりであります。(拍手)

世界で新しい友人を広げる信頼の証し――イスラム諸国との交流にふれて

 いま一つは、日本共産党が自主独立の立場をつらぬいてきたことが、私たちが野党外交のなかで、これまで交流のなかった国々と新しい友人を広げるうえで、何よりもの信頼の証しとなっていることであります。

 たとえば、わが党は、野党外交のなかで、イスラム諸国との友好を発展させることを重視してきました。わが党が代表団を送ったイスラムの国は、一九九九年の不破委員長(当時)のマレーシア訪問からはじまり、二〇〇二年の緒方国際局長の中東六カ国――ヨルダン、イラク、エジプト、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦――の歴訪、同じ年の私のパキスタン訪問、さらに二〇〇三年の不破議長(当時)のチュニジア訪問と、東南アジアからアフリカまで広がりました。

 どうして広がったのか。わが党の自主独立の路線への信頼、とくにソ連の覇権主義とたたかいぬいた歴史への信頼はたいへん大きな要素だったと思います。

 イスラム世界のなかで、崩壊した旧ソ連への批判は非常に強いものがありました。ただこれは、ソ連が誕生した当初からのものだったかというと、そうではないのです。イスラムの盟主といわれるサウジアラビアの歴史を調べてみますと、一九二〇年代のソ連とはたいへん友好的な関係でした。アラブ世界ではじめてソ連と国交を結んだのは、この国でした。しかし、スターリンの専制政治が強まるもとで、ソ連国内のイスラムの同胞が弾圧されるようになる。中央アジアのソ連国内のイスラム教徒の信仰や聖地巡礼が禁止される。このことを契機として関係は悪化し、一九三〇年代後半にサウジアラビアとソ連の国交は断絶し、この断絶はソ連崩壊の直前までつづきました。さらに一九七九年のソ連のアフガン侵略は、イスラムの同胞への侵略として、イスラム世界の激しい批判をよびおこしました。つまり、イスラム世界は、共産主義に反対していたのではなくて、スターリンの暴政、ソ連の覇権主義と専制政治にきびしい批判をむけていたのです。

 そういう歴史があるだけに、日本共産党が、ソ連の覇権主義とたたかいぬき、専制主義への批判をつらぬいてきた党だと知ると、わが党への見方がいっぺんに変わってきます。太い信頼の絆(きずな)がイスラム世界とつくられつつあることを感じています。

 一つ紹介したいのは、わが党とパキスタン政府との関係です。パキスタンは人口一億五千万人を擁し、イスラム世界で重要な役割を果たしている国です。その国の政府と、わが党との関係が、この間、重要な発展をしつつあります。

 ことのはじまりは、前駐日パキスタン大使のフセインさんが、日本共産党という自主独立の党が日本にあることを、“発見”したことにあります。二〇〇一年のアフガン戦争のさいに、わが党は、パキスタンでの実態を調査するために緒方さんを団長とする日本共産党代表団を派遣しました。その後、あいさつのために緒方さんがフセイン大使を訪ねました。そうしますと大使は「日本共産党に会うのははじめてだ」と、質問ぜめにあったというのです。「歴史の古い党なのですか」、「モスクワとの関係はどうなっていたのですか」、「中国との関係はどうなっているのですか」と詳しくたずねてきました。緒方さんが、わが党の自主独立の歴史を話すと、「たいへん興味深い」とうなずきながら聞き、「ぜひまたわが国を訪問してほしい」とのべました。フセイン大使が、あとで明かしてくれたことですが、これを契機に日本共産党を研究し、本国政府に日本共産党についての報告書を書いたとのことでした。

 そういう経過を経て、つぎの年の二〇〇二年十二月に、私と緒方さんと国際局次長の森原さんなど五人の代表団が、パキスタンを訪問することになりました。この旅は、インド、スリランカにつづいて、パキスタンを訪問するというものでしたが、実は、二つ目の訪問国のスリランカでの日程が終わってパキスタンに向かおうというときに、新聞を広げてみますと、私たちのパキスタン訪問と同じ時期に、イランの当時のハタミ大統領の一行がパキスタンを訪問するという記事が載っているのです。ハタミ大統領の一行は、百五十人の代表団で、主要閣僚がそろっています。こちらは五人の野党の代表団です。隣国の大代表団と同時では、受け入れる側もたいへんではないかという思いもありました。

 しかし、私たちがパキスタンに入りますと、日本共産党の代表団をたいへん重視し、主要な閣僚の面々が丁重に応対してくれました。

 まず、カムラン・ニヤズ外務次官補(現駐日パキスタン大使)と会談し、イラク問題が重要なテーマになりました。私が、イラクにたいする軍事力行使に反対し、国連の枠組みのなかでの解決をはかるべきだというわが党の立場をのべますと、「それはパキスタン政府の立場でもある」と意見の一致がえられました。その後、国連の安保理を舞台に、イラク問題をめぐる息づまる激しいやりとりがおこなわれましたが、当時、非常任理事国の一員だったパキスタンが、最後までイラクへの武力行使に堂々と反対をつらぬいたことは、勇気ある態度だったと思います。(拍手)

 私は、この訪問のときに、シャウカット・アジズ財務大臣と会談しました。たいへんよい話し合いができました。かつてソ連のアフガン侵略によって、パキスタンに大量の難民と銃と麻薬が流れ込んで、たいへんな被害をこうむったことが話題になりました。「日本共産党はこの問題でソ連に抗議し、激しい論争がつづいたが、論争をやっているうちにソ連が先につぶれた」(笑い)と私がいいますと、アジズさんが、「答える前につぶれたんですね」と応じたことがたいへんに印象的でした。会談の中で、アジズさんが、「日本共産党について研究しました。日本の重要な党であることを私たちはよく知っています」とのべていたことも記憶に焼きついています。

 そのアジズさんが首相になりました。昨年八月に来日し、私は再び会談しました。ここでは、さらにテーマが広がって、二十一世紀の世界秩序という大きなテーマを話し合いました。アジズ首相は、昨年三月に、「新世界秩序の中でのパキスタン外交」という論文を書いています。この論文を読みますと、「公正な秩序の基本原則」として、四点をあげています。一つは、「強固な国連システム」、二つ目は、「紛争の平和解決」、三つ目は、「異なる価値観と文化への寛容と理解」、四つ目は、「平等で公正な経済秩序」の四点であります。私が、「この論文を注目して読みました。これらの観点は、わが党が新しい綱領に書き込んだことと共通しています」とのべますと、アジズ首相も歓迎し、たいへんに意気投合した会談となりました。

 わが党の自主独立の立場への注目が、イラク問題での見解の一致、さらには二十一世紀の世界秩序についての見解の一致に発展し、交流と友好の関係が前進している。私は、この経験を通じても、自主独立というわが党の路線のもつ値打ちを、強く実感しているしだいであります。

日本の国の進路を、文字通りの自主独立とするために

 他の政党の外交をみますと、「窓口外交」とよくいわれるのですが、相手側の言い分を無条件に聞いて日本に持ってきて、それを報告する。こういう大国に迎合する傾向や、自主的立場の弱さが共通しています。そうした自主性の弱さは、政府・与党の外交が、「日米同盟」という四文字を聞くと、とたんに思考停止に(笑い)陥ってしまう、異常なアメリカいいなりの政治を、異常と感じないところに、もっとも集中的にあらわれているのではないでしょうか。(拍手)

 私たちは、先輩たちがつくりあげた自主独立という路線を、相手がどんな国であっても、どんな外交活動にあたっても、今後もゆるがず堅持する決意であります。そして、日本という国の進路を、アメリカいいなりの束縛を断ち切って、文字どおりの自主独立とするために、国民のみなさんと力をあわせてがんばりぬく決意を申し上げるものであります。(大きな拍手)

日本共産党――この歴史でためされた旗を高く掲げ、来年の二大選挙で勝利者に

 日本共産党とは、どういう政党なのかを、五つの角度からお話しさせていただきました。政治を大本から改革する綱領をもつ、草の根の力で政治を動かす、国民に依拠した財政活動をすすめる、戦前・戦後の一貫した歴史をもつ、自主独立の立場で国際連帯をすすめる――この五つは、どれをとっても国民に責任をおう政党なら、政党として当たり前の姿ではないでしょうか。この当たり前のことを当たり前に実行している、政党としての大道を歩んでいるのが、日本共産党であります。(拍手)

 参議院選挙まであと一年、いっせい地方選挙まで九カ月となりました。私たちはいっせい地方選挙での前進をめざすとともに、参議院選挙では、比例代表で六百五十万票以上を獲得し、さきほどあいさつした五人の候補者全員の勝利を必ず勝ち取る決意であります(拍手)。五人ともすべて、私よりも若い。先々まで国民の代表として奮闘できるベストメンバーです。この五人をすべて勝利させていただきたい。そして、わが党は、すべての選挙区に候補者をたてて積極果敢にたたかうとともに、首都・東京の議席を必ず守りぬかせていただきたい。緒方さんから田村さんへのバトンタッチを、必ず果たさせていただきたい(拍手)。そしてまた、埼玉、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫という前回議席を失った選挙区で、議席を奪還する決意であります。(拍手)

 冒頭に、政治の“流れの変化”ということをのべましたが、わが党にとって、どんな選挙でも「風」だのみで勝てる選挙というのはありません。自分の力で「風」をおこして勝つためにがんばりぬく決意です。そしてどんな激動の情勢が展開しても、自分の力で「風」をおこせる強く大きな党をつくって、選挙での勝利を必ずつかみとる決意であります。

 日本共産党という歴史で試された旗印を高く掲げ、来年の二大選挙で必ず勝利者になるために、私も先頭に立って力をつくす決意を申し上げ、全国のみなさんのご支援とご協力を心からお願いして、きょうの講演を終わりにいたします。長い間ご清聴ありがとうございました。(大きな拍手)


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