2006年7月3日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

地域を学ぶ


 「津軽学」「鳥取学」「日本海学」「長崎学」―。総称して「地域学」とよばれる活動・研究が盛んです。地域の自然と文化を総合的にとらえ、地域を見直す試みです。


街づくり 講座 本も出版

 地域の名を冠した「地域学」は地域団体、行政・教育委員会、NPO、専門家、大学、高校、博物館などが多様な取り組みを広げています。

 東北地方にあるのは「東北学」「会津学」「仙台学」「盛岡学」「最上学」など。地域誌も発行します。

 「山形学」では県生涯学習文化財団が市町村や地域団体と協力して連続講座を開講しています。弘前大学が四月から開講したのは「津軽学」。「弘前ねぷた絵の歴史・実演」「旧制弘前高校の太宰治」「津軽塗」「津軽三味線」などをテーマに専門家が講義・実演しています。

 生涯学習としての地域学は数多く、教育委員会など行政部門が郷土を見直す講座を開き、地域活性化を目指します。博物館が主体の「山梨学」「長崎学」などがあり「萩学」もその一つです。

 地域活動とともに、学問としての地域学研究も活発です。大阪府立大学は「堺・南大阪地域学」を提唱。京都造形芸術大学は昨年、教科書として『地域学への招待』のタイトルで本を編集し出版しています。

 いずれも地域を深く知って、その価値を発見し、地域づくりへと結び付ける方向があるようです。

 近年は「京都検定」「房総(千葉)学検定」などの“試験”を実施。観光と文化の振興を目指して人材を育成する動きもあります。

萩学

萩焼、幕末パン、裂き織り…

地図

 萩市は、橋本川と松本川でつくられた三角州に市街地があります。毛利輝元が萩城を築き、三十六万石の城下町として栄えました。明治維新の原動力となった吉田松蔭や高杉晋作、木戸孝允、大村益次郎、伊藤博文など数多くの志士を生んだところでもあります。

持ち運び可能

 町なみは、いまでも白壁や黒板塀が数多く残されていて、昔の面影がしのばれます。江戸時代の古地図がいまでも使えるほどです。

 このような萩の歴史や文化、産業などにふれ、萩のよさを再発見しようと、萩博物館が「萩学なんでもBox」を設置しました。

 「萩学なんでもBox」の特徴は、いつでも、どこでも持ち運びができ、視覚障害者の人でも「触れる、聴く、かぐ」ことで内容が理解できることです。小中学校の授業の一環として活用されています。

 「テーマに沿って資料をそろえるのに時間がかかりますが、子どもの『へぇ〜』と驚く顔を見ると苦労が報われます。要請があればどこにでも出かけていきます。これが『萩学なんでもBox』のよさですから」と主任学芸員の清水満幸さんは言います。

 萩博物館の開館は二〇〇四年、どういう博物館にしていくか、協議を始めたのは開館の三年ほど前からです。幅三十五センチメートル、長さ五十センチメートル、高さ三十センチメートルの持ち運び可能な箱の中に、萩の歴史や文化、産業に関する資料や情報を収め、もっと地域に密着し、地域の魅力を引き出せる体験型の展示として考案されました。

市民から募集

 二〇〇三年に「Box」に収めるテーマや内容について市民や小中学校から募集。現在二十二のテーマで六十箱に集約されています。

 箱の中身を紹介すると、「萩焼ができるまで」―実物に触れながら、萩焼の原料や製造過程を学ぶ。「幕末パンのつくりかた」―幕末に作られたパンを当時の方法で再現する。「裂き織りを着てみよう」―裂き織りで使用する布の原料を実物で学び、実際に製作するなどがあります。

 (山口県・松尾俊則)


木曽学

農山村の文化再評価 その時はきっとくる

田中町長 地域づくりを語る

地図

 昨年春、私は木曽学運動について、ある雑誌のインタビューを受け、次のように語った。

 「市場主義とグローバリズムが吹き荒れる今日の時代では、農山村は衰退を余儀なくされ、時代の落伍者として捨てられようとしています。しかし、そうした時代がずっと続くわけがない。必ず農山村や伝統・技術・文化が必要になり、全国民的な運動として農山村のローカルな文化を再評価する時期が来るのではないでしょうか」

 いま全国的に地域学がたくさんある。「東北学」「東海学」「飛騨学」等々だ。

 これらの多くは、学者や地方史研究家による「この列島の諸地域の縄文時代からの生き方のつながりの中で、今日に生きることの意義を探求する学」(『地域学への招待』中路正恒)であろう。

 木曽町が「木曽学」と銘打ってこの運動をはじめたのは二〇〇四年のことであった。私たちはもちろん学者ではないし研究家でもない。地域づくりの運動としてはじめたものであった。

 わたしが木曽学という地誌的な名称で、木曽学運動を提唱したのは、山村復権運動としてだったが、この課題を自らの生涯の課題にしたいと思うようになったのは久しい。ある意味若い時代から今日まで、わたし自身の全生活を貫いた人生観そのものでもあった。

 若かった青年時代から、また長い町議(八期)の時代も、木曽福島町(旧)の町長(二期)になってからはなおさら農業と林業、山村問題・中心市街地活性化事業に取り組み、女性グループのお母さんたちや商工会の若者らと膝(ひざ)を突き合わせて論争しながら、「元気を出せばきっと開ける」と、町づくりへの参加をよびかけてきた。

 私たちの木曽学研究所は、こうした運動の過程で産声を上げ、立ち上げられた。きっかけとなったのは、創造都市論との出会いだった。「創造都市」の町づくりは、木曽谷だけでなく、二十一世紀の国づくりの道ではないかと考えさせられた。

 「創造都市論」というのは、「世界都市」の対極にある都市再生の考え方で、地域に根ざした文化や技術、人材を活用して都市や地域経済の再生をめざす考え方だ。このとき私は、「木曽学研究所を立ち上げ、木曽学運動として全国発信しよう」と考えたのだった。

 いま木曽町では、さまざまな運動が広まっている。伝統文化の保存発掘、衰退した漆器や木工業の発展継承、地域に根ざした産業の育成、街道文化と結合した観光などだ。そして何よりも我々自身が学び、明日を目指す確かな目を養うことだった。この間のシンポ・木曽学講座でさまざまな講師を呼んだ。その参加者も関西から首都圏まで広がっている。最近は、よばれて神奈川県に出前講座にも出かけた。

 古い木曽福島町を知る人たちは、「最近の町は変わったね」と口々に言う。確かに変わった。外観も変わったが、私は何よりも人々の心の内側に変化が生まれていると思っている。

 (木曽町長・田中勝己)


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