2006年6月21日(水)「しんぶん赤旗」

陸自撤退 空自は拡大

内戦続きテロ激化 侵略加担に無反省


 陸上自衛隊撤退は、遅きに失したとはいえ、多国籍軍撤退を求める圧倒的多数のイラク国民の願いに照らして当然です。

 しかし、首相の陸自撤退発表の会見では、米の無法な侵略戦争に加担したことを「正しかった」と言い放ち、イラク国民への謝罪はおろか、反省めいた言葉さえいっさい口にしませんでした。その上、航空自衛隊の活動を逆に拡大するというのでは、国民感情を逆なでし、状況をさらに悪化させかねません。

 小泉首相は会見で、「自衛隊の活動はイラク政府や国民から高く評価されている」などとのべました。この首相の認識は、カイロをベースに、この四月までイラク戦争を取材してきた者にとって、絶対に許せないものです。

復興の兆しみえず

 戦争開始から三年三カ月。イラクではいまだに復興の兆しさえみえず、国民は塗炭の苦しみにもがき続けています。これまでに戦争で十万人以上ともいわれる民間人が命を落としました。米海兵隊が昨年十一月に西部ハディサで無差別攻撃し、幼児ら二十四人を虐殺したことが最近明るみに出て大問題となりました。

 イラクでは今年五月に正式政府が発足しましたが、事実上の内戦状態が続きテロも激化しています。八日に国際テロ組織アルカイダのイラクにおける指導者とされるザルカウィ容疑者が米軍攻撃で殺害されたと発表された後も、十七日に首都バグダッドと周辺で自爆テロなどが頻発し四十三人が死亡するなど事態は深刻です。

 また米民間調査機関は、戦争勃発(ぼっぱつ)から昨年末までに国外に逃れた避難民は約九十万人に達したとしています。その中には医師や教師、技術者などが多数含まれているとされ、まさに国家の存立基盤が脅かされる事態に至っているのです。

 イラク戦争にたいする小泉内閣の無反省ぶりは、戦争開始のときから一貫しています。

“米軍虐殺”後押し

 政府をはじめ自民、公明両党は、大量破壊兵器の存在という完全な「ガセネタ」をうのみにして、米国のイラク戦争計画をいち早く支持。首相は一昨年十一月、米軍が中部ファルージャを総攻撃し、数千人の住民を殺害した際も、「(攻撃を)成功させなければならない」などと虐殺を後押ししました。

 昨年九月にパウエル前米国務長官さえ、イラク戦争正当化の国連演説を「人生の汚点」と述べた後も、首相は「正しかった」と開き直りに終始しました。

 侵略加担を真摯(しんし)に反省し、米政権にたいし、戦争を一刻も早く停止するよう迫ることがない限り、暴力に打ちひしがれたイラク国民に希望の灯を与えることはできません。


 陸上自衛隊イラク派兵部隊 全国各地の師団・旅団からなる「イラク復興支援群」(約五百人)と、陸自幕僚監部が選抜した「業務支援隊」(約百人)で構成。これまでに約五千五百人が派兵されました。 海上・航空自衛隊を合わせた派兵人数は約七千六百人です。


余儀なくされた撤退 残るは米軍支援だけ

 小泉首相は、「現地の人々の感謝のうちに撤収できる」と強調しますが、実態は「人道復興支援」とはほど遠く、憲法九条との矛盾も抱え続け、撤退を余儀なくされたのが真相です。

部隊一巡で派兵隊化

 「十年分の弾を一―二カ月で撃たせた。これ以上撃てないというぐらい、徹底して撃たせた」(第一次派兵隊の番匠幸一郎群長)

 陸自はイラク派兵にあたり、「敵」の殺傷を想定した激しい訓練を行ってきました。イラク戦争に参加した米兵から、「殺し方」の指導まで受けています。北海道から九州まで全国の部隊の派兵が一巡し、「戦場」を経験したことは、「海外派兵隊」への本格的な一歩になりました。

 しかし、オランダ軍と豪州軍にサマワの治安任務を委ねたため、陸自が交戦することはありませんでした。特に豪軍は「自衛隊に安全な環境を用意する」(豪国防省ホームページ)ことを主任務としています。憲法九条によって、イラク特措法に「武力行使は行わない」という“制約”がついているからです。

 イラク政府への治安権限移譲に伴って豪軍などが撤退し、自衛隊だけが残れば武装勢力の攻撃が集中するのは明白です。そのため自衛隊も撤退せざるをえないのです。

 陸自はイラク「復興支援群」を名乗り、給水、医療支援、学校建設・道路補修などの公共工事を行ってきました。とりわけ力を入れていたのが給水活動でした。しかし、外務省がODA(政府開発援助)で六基の浄水装置を提供し、陸自の十数倍の供給が可能になったため、昨年二月に打ち切りに追い込まれました。

 次に力を入れたのが公共工事です。しかし、実際に陸自が建設を行うのではなく、イラク人を雇用し、作業を監督するだけでした。このため、サマワでは、「自衛隊がどこで何をやっているのか分からない」という声が相次いでいます。

派兵強行の理由は

 政府がイラク派兵を強行した最大の理由は、「人道復興支援」とは無縁の、日米同盟の維持・強化にあります。航空自衛隊の活動範囲をイラク全土の二十四空港に拡大したことで、その本質があらわになりました。

 空自は十九日現在で三百三十回、約四百七十二トンを空輸してきましたが、大部分は陸自関連の人員・物資でした。陸自が撤退すれば、イラクでの自衛隊の活動は米軍支援に特化することになります。

 イラク駐留米軍は、地上での作戦を徐々にイラク軍に委ねる一方、空輸能力の強化を図っています。米軍の軍事活動には直接、貢献しない陸自は撤退しても、米軍の人員・物資の輸送を行っている空自の活動は逆に拡大させる―。米軍の狙いに沿った動きです。

図

イラク派兵関連年表

 2003年
3月20日 米英軍がイラク攻撃開始
5月23日 日米首脳会談でブッシュ大統領と小泉純一郎首相が「世界の中の日米同盟」の強化で一致
7月26日 自衛隊派兵のためのイラク特措法が成立
11月29日 イラク中部で日本人外交官2人が殺害される
12月9日 自衛隊派兵の基本計画を閣議決定

 04年
1月9日 陸自先遣隊と空自本隊に派兵命令
  19日 陸自先遣隊、サマワ入り(本隊は2月8日に到着)
4月7日 迫撃砲弾が陸自宿営地付近に初めて着弾
  8日 カタールの衛星テレビ局、イラクで日本人3人拘束と放送。7日後に解放
  14日 バグダッド近郊で日本人2人拘束。3日後に解放
5月27日 日本人フリージャーナリスト2人がバグダッド近郊で襲撃され、死亡
6月11日 オランダ政府、05年3月にサマワからの軍撤退を決定
  18日 政府、多国籍軍参加を閣議決定
  28日 イラク暫定政府に主権移譲
10月26日 武装勢力が日本人男性を拘束。4日後に男性の遺体発見
  31日 ロケット弾が宿営地のコンテナ貫通
12月9日 自衛隊派兵の1年延長を閣議決定
  10日 自衛隊海外派兵の「本来任務」化を打ち出した新防衛計画大綱を閣議決定

 05年
1月30日 イラク暫定国民議会選挙
3月7日 オランダ軍から英軍へサマワの治安維持任務引き継ぎ
4月24日 オーストラリア軍がサマワ到着
  28日 イラク移行政府発足
6月23日 陸自車両が宿営地外を走行中、路上爆弾が爆発、1台が損傷
10月15日 新憲法草案の是非を問う国民投票
  29日 日米が在日米軍再編合意。海外での軍事協力を「同盟の重要な要素」と規定
11月16日 日米首脳会談で小泉首相が自衛隊の派兵延長を事実上表明
12月4日 サマワ郊外でデモ隊による投石、陸自車両1台が損傷
  8日 自衛隊の派兵期間を1年再延長
  15日 イラク国民議会選挙

 06年
2月22日 イラク中部のシーア派聖廟が爆破。以後、各地で暴動やテロが頻発
4月22日 イラク正式政府首相にマリキ氏
  28日 陸自第10次隊に派兵命令
5月20日 イラク正式政権発足
6月9日 海外派兵を「本来任務」にする自衛隊法改悪案を国会提出
  19日 マリキ首相、ムサンナ州での治安権限移譲を発表
  20日 陸自撤退を決定

 (日付は現地時間)


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