2006年5月21日(日)「しんぶん赤旗」

イラク正式政権発足

内相・国防相は暫定


 【カイロ=松本眞志】 イラクのマリキ首相は二十日、憲法で決められた期限(二十一日)を目前にして、内務相や国防相、治安担当国務相のポストを除き組閣の作業を終え、議会に閣僚名簿を提出し、承認されました。

 当面、イスラム教・シーア派のマリキ首相が内務相を兼任し、ザウバエイ副首相(イラク合意戦線)が暫定国防相、サレハ副首相(クルド人)が暫定治安担当国務相に選ばれました。

 議会勢力を反映し、シーア派与党連合の統一イラク同盟が財務相や石油相などを含む十七の閣僚ポスト、世俗政党のイラク国民名簿が六、スンニ派のイラク合意戦線が五つの閣僚ポストを獲得し、クルド人勢力が外相を含む複数のポストを得たとされます。

 内相については、移行政権の時にシーア派が同省の実権を握り、スンニ派住民を迫害してきたとの強い非難が出ていました。

 主な閣僚

 首相 ヌーリ・マリキ(シーア派・統一イラク同盟=UIA)▽副首相 バルハム・サレハ(クルド人・クルド同盟)▽副首相 サレム・ザウバエイ(スンニ派・イラク合意戦線)▽内相 マリキ首相が当面兼任▽国防相 ザウバエイ副首相が当面兼任▽石油相 フセイン・シャハリスタニ(シーア派・UIA)▽財務相 バヤン・ジャブル(シーア派・UIA)▽外相 ホシャル・ゼバリ(クルド人・クルド同盟)▽法相 ハシェム・シェブリ(世俗派・イラク国民名簿)▽人権相 ハウジ・ハリリ(キリスト教・イラク国民名簿)▽企画相 アリ・ババン(スンニ派・イラクの調和)▽治安担当国務相 サレハ副首相が当面兼任


イラク戦争開始後の歩み

【2003年】

 3月20日 イラク戦争開戦

 4月9日 イラク戦争でバグダッド陥落。フセイン政権崩壊

 5月16日 米主導の占領統治機構、連合国暫定行政当局(CPA)設置

 7月13日 イラク人による意思決定機関、統治評議会が発足

【04年】

 3月8日 基本法(暫定憲法)成立

 6月1日 暫定政府発足

  28日 CPA、暫定政府に主権移譲

【05年】

 1月30日 暫定国民議会選挙実施

 4月28日 移行政権発足

 10月25日 新憲法、国民投票で承認

 12月15日 国民議会選挙実施

【06年】

 4月22日 正式政権の指導部決定

 5月20日 正式政権が発足


宗派間で異なる利害関係

解説

 米軍の占領が続いているとはいえ、憲法と選挙に基づく正式政権の発足は、二〇〇三年のサダム・フセイン政権崩壊以後のイラク国民自身による国づくりの新たな一歩となります。

 〇四年六月に当時の連合国暫定行政当局(CPA)からイラク暫定政府に主権が移譲され、〇五年一月に同政府のもとで、憲法制定を主任務とする暫定国民議会選挙が実施されました。スンニ派の多くがボイコットし、投票率は58・3%でした。

 十月には国民投票によって新憲法が承認され、これに基づく十二月の国民議会選挙(投票率70%)にはスンニ派も加わり、イラク国民の手による議会が成立しました。

 しかし、正式首相のポストをめぐる国民議会での宗派間の争いで、四カ月近い政治空白が続きました。この間に爆弾テロ、宗派間の暴力がエスカレートし、二万人近くが犠牲となりました。

 イラク国民がようやく手にした新政府ですが、多くの難問も抱えています。

 第一に、現在の困難の根源である米軍の侵略と占領がまったく清算されていないことです。イラク戦争の道理のなさが日々明らかにされ、有志連合を構成する国々が次々と撤退しているにもかかわらず、米国はイラク全土に軍事基地建設を推進するなど占領体制を強化し、反対派に軍事攻撃を加えています。イラク政権成立の過程でも各局面で干渉してイラク国民の主権と独立を侵害し続けています。

 また、占領下での米軍による軍事行動、宗派間による暴力の応酬、武装勢力による無差別テロなどで治安がますます悪化し、子どもや女性を含む多くのイラク人が犠牲となり、避難民も五十万人を数える事態となっています。

 イラクの主要な収入源だった石油産業も武装勢力による破壊活動で壊滅し、電力や燃料、水の供給不足、不衛生のまん延が住民生活を苦しめています。正式政府自身も異なる利害関係を持つ宗派や民族から構成されているため、宗派対立は逆に激化するのではないかとの見方もあります。(カイロ=松本眞志)


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