2006年2月1日(水)「しんぶん赤旗」

主張

「赤旗」創刊記念

78年の歴史を誇りとして


 「しんぶん赤旗」はいまから七十八年前、一九二八年二月一日に創刊されました。日本共産党の創立から六年後のことです。謄写版刷りで発行された創刊号の表紙には、「赤旗」の文字がくっきりと刻まれています。困難に屈せず脈々と発行を続けてきた「赤旗」の題字とその歴史は、私たちのかけがえのない財産であり誇りです。

■権力の横暴ただす論陣

 七十八年の間には戦争による惨害、経済変動、自然災害などさまざまなできごとがありました。「しんぶん赤旗」はその中で、国民に真実を伝え権力の横暴をただす、正義の論陣を張ってきました。

 「赤旗」が創刊された当時、国民主権と侵略戦争反対を主張した日本共産党の活動は、天皇制の政府によって禁止されていました。「赤旗」は、迫害や弾圧にくじけることなく非合法で発行され、手から手へと渡されて読み継がれたのです。

 日本は世界でも最もマスメディアの発展した国です。にもかかわらず商業メディアは権力に対して弱腰で国民に真実を伝えません。「赤旗」の創刊直後、日本が中国への侵略戦争を開始したとき(一九三一年)も、商業新聞はこぞって戦争賛美・推進の立場を取りました。そのなかで「帝国主義戦争反対」を堂々と主張した「赤旗」は、文字通り暗黒政治の時代に行く手を照らす役割を果たしました。

 戦後、言論・表現の自由が憲法に明記され、新聞、放送などマスメディアの発展はさらに急速にすすみます。しかし、権力に弱く、国民に真実を伝えない商業メディアの弱点はなくなったわけではありません。

 たとえば日本の進路を大きく左右した一九六〇年の日米安保条約の改定です。戦後公然と発行されるようになった「赤旗」は、「安保反対」の旗を高く掲げ、国民のたたかいの前進に貢献しました。ところが商業メディアは、当時の新聞協会機関紙でさえ「改定反対は一紙もなし」と書く状態で、国民のたたかいが盛り上がると、全国紙、地方紙そろって逆に国民の運動を抑える側に回ったのです。

 ジャーナリストであり研究者でもあった新井直之氏(故人)は、「ジャーナリストは国民の〈知る権利〉の行使として働いている以上、民衆の側に立つことが極めて当然であり、民衆の立場、つまり権力と反対の立場に立たないものはジャーナリストとしての資格を有しないのではないか、と私は思う」と書きました。(『新聞戦後史』)

 この言葉を踏まえれば、「しんぶん赤旗」は、日本のマスメディアの中で、もっともジャーナリズムの精神を発揮してきたメディアであると自負できるのではないでしょうか。

■闇夜のたいまつとして

 「しんぶん赤旗」の役割は、今日ますます重要になっています。

 アメリカのイラク攻撃を「侵略」の言葉を使って批判したのは「しんぶん赤旗」だけです。憲法改悪をめぐっても、改憲派の「産経」は昨年、大手紙の中で「護憲派が姿を消した」と、自慢げに書きました。全国紙で唯一反対を貫いている「しんぶん赤旗」の役割を痛感します。

 第二十四回党大会決議は「真実を報道し、『権力を監視する』というジャーナリズム本来の仕事をはたす『しんぶん赤旗』は、闇夜のなかで輝く理性と良心の“たいまつ”ともいうべき存在」といっています。

 その役割にこたえ、これからも奮闘する決意です。


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