2005年10月23日(日)「しんぶん赤旗」

防寒着を 毛布を

震災2週間 パキスタンを行く


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(写真)4日間山を歩いてバラコットまで避難しテントで暮らすタヒラちゃん(左)といとこのカイナットちゃん=21日

 「町はもう消えてしまった」――住民の一人が小さくつぶやきました。がれき、砂ぼこり、行きかうトラック、無数のテント…。八日発生した地震で大きな被害を受けたパキスタン北部の町バラコット。観光名所カガヤン渓谷への玄関口として栄えたこの町で、無傷で残っている建物は見当たりません。地震から二週間、バラコットはいま、もがき苦しんでいます。(パキスタン北西辺境州バラコット=豊田栄光 写真も)

■冬の足音迫る

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 町の高台に救援物資の毛布と防寒服を載せたトラックがやって来ると、男たち数十人がいっせいに駆け寄ってきました。「群がる」という表現がぴたりとくる光景です。物資は新品。荷台後方だけでなく左右のさくからも手が伸びてきます。

■「争奪戦」

 「下がって」「一列に並んで」。支援団体職員の掛け声がむなしく響きます。仕方なくジャンパーを放り投げはじめました。それは争奪戦のゴングでした。言い争いから殴り合いを始める人も現れました。人さし指を一本立てて「一枚でいいから」と懇願する者、手を大きく伸ばしアピールする人…。気が重くなるシーンの連続でした。

 「必要な人に公平に分配するというのが基本ですが、それを仕切る役所も団体もありません。いまは、とにかく無秩序でも配るだけです」。支援団体職員アワンさん(37)は残念そうです。

 男たちの争奪戦を横目にみながら遊んでいたのはタヒラちゃん(6っ)といとこのカイナットちゃん(5っ)です。彼女たちの足元には無数の衣類が。町の至る所で衣類が捨てられたも同然に散乱しています。被災者がほしがっているのはテントと毛布と防寒服です。秩序だった救援活動、物資の調整がいかに困難かを物語っています。

 タヒラちゃん一家は、山間部のナラーン村から四日間、わき水だけを飲みながら歩いてバラコットまでやってきました。「家は倒壊、援助物資が届かず食料が底をつきました。二カ月の赤ちゃんに母乳が与えられなくなったので山を下りざるをえませんでした」。母のティルシャファさん(28)はいいます。

■山頂は雪

 モハマド・イルファンさん(40)はバラコットから三十キロ離れたビシラー村からバラコットにやってきました。「地震から十日たってもテントが届かない。トウモロコシの茎と葉を束ねただけの屋根で雨をしのいでいます。五人の子どものためにもテントを手に入れなくては」。イルファンさんがもらえたのはコメと砂糖だけでした。救援物資をめぐって被災者間の格差が明らかに生まれています。

 人命救助、負傷者の手当て搬送といった地震直後の救援活動はひとまず終了しています。バラコットの奥の山の頂上には雪が積もっています。これからは、冬に向けて生活をどう支えるかが救援活動の最大の課題。多くの困難が待ち受けていることはまちがいありません。

■めい、生死もわからない がれきの下からは教科書が…

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(写真)「あの斜面に家があった」と指差すフサインさん=21日、バラコット

 川沿いにあるヘリコプターパッド(着陸帯)から、パキスタン軍兵士らが毛布を担いで歩いてきます。ここは救援物資の集積場です。食料などを山間部の村に運ぶ馬やロバもいます。小麦粉六十キロと紅茶、塩を積んだ馬は三十キロ先のサンガル村へ出発するところでした。

■つめ跡

 バラコットのヘリパッドと輸送の責任者であるパキスタン陸軍ムハモド・カリド少佐はこう語ります。

 「政府は住民に山から下りてくるよう要請していますが、応えてくれたのは二割ほどです。家や畑にやはり愛着があるのです。家は壊れていても畑の作物があるから、テントと毛布と防寒服をくれと言っています」

 「軍はヘリから物資の空中投下も行っています。危険をともなうのでヘリパッドを増設し、そこから陸路で運ぶように努めていますが、ヘリが足りません。私の管轄区では外国のものも含めて二十六機運用していますが、あと五十機は必要だと考えています」

 「家の下敷きで生き埋めになった八時間、何度もこれで終わりかと絶望した」。アシュク・フサインさん(32)はイスラム教の聖典コーランを唱えながら耐えました。がれきの間に見える小さな穴、そこに向けて何度も助けを求めました。

 フサインさんは地震の二日前、運転手として働く出稼ぎ先の首都イスラマバードから帰省していました。全身にあざができ、すり傷を負いましたが元気です。しかし、妻と三歳の娘を失いました。地震から一週間後、二人の遺体は埋葬されました。

 生き残った長男アトフ君(9っ)と長女ルットバちゃん(5っ)は、母と妹の死を乗り越えて笑顔が戻ってきたといいます。アトフ君は小学校で地震にあいました。三階建ての校舎の屋上で英語の授業中でした。がれきの下敷きにならず軽傷で済みました。

 いまは親子と親せき八人でテント暮らしです。一番大変なことはトイレと水だといいます。水場はテントから一キロ離れています。トイレも飲み水の確保もここでおこないます。「簡易トイレをつくりたいのですが、水がないことにはどうしようもありません」とフサインさんは語ります。

 フサインさんの自宅は丘の斜面に建っていました。斜面には一つの建物もありません。がれきの丘となっています。「妻と娘の遺体は援助団体の人が見つけてくれましたが、二人の写真はまだがれきの下です。探したいのですが、すべがありません」。フサインさんがただ一度、弱気な表情を見せた瞬間でした。

■ショック

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(写真)倒壊した高校の校舎から行方不明になっているめいのかばんを探し出したスルタンさん=21日、バラコット

 「見てくれ、やっと探し出した」。マレリック・スルタンさん(50)は、めいが通っていた女子高のがれきの下から彼女のかばんと教科書、ノートを発見しました。

 八百七十人の生徒のうち生存が確認されたのはわずか三十五人。地震直後、軍による救助がありましたが、負傷者の搬送先、遺体の処置など不明なことが多々あるといいます。

 「生きているか死んでいるか分からないなんてあんまりだ。まだめいはどこかの病院で生きていると信じているよ。彼女の母親(スルタンさんの姉)はショックで寝込んでいるんだ。きょうは一時間かけてかばんを見つけた。姉を励まそうと思っている」

■懸命な姿

 バラコットの町を歩いていて何度も出くわしたのが、自動車をがれきの下から引き出そうと懸命に作業をしている男たちの姿でした。車の修理工場を営むタリク・ジャベドさん(35)もその一人です。ガレージの屋根をハンマーで壊し、がれきをシャベルでかき出していました。

 「見えるだろう。がれきの下にあるのはイギリス製のジープさ。四十万ルピー(約八十万円)もしたんだ。取り出して修理してまた乗るんだ。家も工場もガレージもみな失った。この車だけは意地でも救い出して再生させる」

 絶望的な状況、困難な生活。その中でも希望を見いだそうとがんばる被災者の姿に胸が熱くなりました。

■理髪店・食べ物屋に行列

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(写真)営業再開し大人気の食べ物屋店長ウラムラさん(右)=21日、バラコット

 地震で大打撃を受けたバラコットの町の中心地でにぎやかさを取り戻した場所がありました。営業を再開した理髪店と露天の食べ物屋です。お客が輪をつくり、順番を待っています。

■営業再開

 理髪店の店主アリザマンさん(40)は二十日から営業を再開しました。初日は約五十人が来店しました。

 理容師はアリザマンさんを含め三人、フル回転で髪を切っています。再開二日目も客足は止まらず、十人以上が順番を待っています。屋外にもいすを出して応対。お客さんはみな明るい表情です。

 「男たちはサルのように毛むくじゃらになっていた。みんなから早く店を開けろとうるさく言われたんだ」とアリザマンさんは笑います。散髪代金は二十ルピー(約四十円)。客の一人シャビルさん(20)は「おしゃれをして気分転換がしたいんだ」と話していました。

 揚げ物とカレーのいいにおいが漂ってきます。トウモロコシの粉とタマネギを混ぜて揚げたピコラができあがりました。カレー味チャーハンにも注文が殺到しています。ナツメヤシの甘煮もおいしそうです。

 店長のウラムラさん(22)は愛想がなく無口ですが、手際よく客をさばいています。「十九日から営業を再開した。油が不足しているからだと思うけど揚げ物は大人気さ」とだけ話してくれました。

 店先では兄弟でピコラを奪い合う三人兄弟の姿も。少しですが町は活気を取り戻してきたようです。

■明るさも

 ファージアちゃんは十歳の少女。きょうは父親を手伝って畑で野菜の収穫をしています。「きょうの晩ご飯のおかず」と笑みを浮かべます。彼女の家は全壊しました。

 地震から一週間は泣いてばかりいましたが、いまは妹の面倒もみるようになり、明るさも取り戻しました。畑の先にある丘はがれきの山。「もう怖くないよ」。また笑って答えてくれました。

 ロバに道の段差を登らせようとしていた少年三人組。見事なまでに失敗を繰り返し、三人とも大笑いです。六度目の挑戦で成功。「やった!」

 川では水浴びを楽しむ少年やおとなたちの姿が。久しぶりの好天で気温も上昇、水浴びには快適な日でした。カメラを向けると、水を掛け合ったりと「絵になるシーン」を演出してくれました。

 川の岩場では、メッカに向かい祈りをささげるイスラム教徒のおとなたちの姿が目に飛び込んできました。「地震から時間がたってやっと落ち着いてお祈りできるようになりました」と語るのはイスマイルさん(55)。川の周辺では多くの男たちがお祈りをしています。厳かな雰囲気がそこにはありました。(バラコット=豊田栄光 写真も)


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