2005年8月14日(日)「しんぶん赤旗」

「自衛軍」が突出した九条全面改悪案

自民党・新憲法条文案の批判

上田耕一郎


 自民党の新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)は八月一日、現憲法の一条から九十九条までを条文化した「新憲法第一次案」を発表した。十一月の結党五十周年の党大会で発表する新憲法草案のたたき台となるもので、与謝野馨政調会長は、今後内外の声をとりいれて「完成度を高めていく」とのべている。

 政党のものとしては初めての、とくに政権与党・自民党の全条文案なので、全面的に論ずる必要がある。とくに総選挙で日本共産党は憲法問題を大きな争点の一つとしてたたかうので、自民党の全条文案は論戦の重要材料である。この小論では、とりあえず三つの問題についてのべておきたい。

■予想外の早さは政局への懸念から

 第一は、今回の第一次案のもととなった七月七日の「改憲要綱案」発表との間がわずかに一カ月足らずという条文案発表の予想外の早さである。

 「読売」八月二日付によれば、与謝野馨・起草委事務総長から指示されて舛添要一事務局次長が急いで書き上げたという。急いだ理由を「読売」は二つ挙げている。

 「『具体的な条文が無いと本当の憲法改正論議はできない』――。自民党新憲法起草委員会が一日に公表した憲法改正草案原案は、抽象論の域を出なかった同起草委の論議を前に進めようという宮沢喜一・元首相らの意見に後押しされ、当初予定よりも早く作成された」。

 二つ目は郵政民営化法案をめぐる政局への懸念だったという。

 「『政局が流動化すれば起草委の作業は中断してしまう。作業を急いで条文をできるだけ固めてしまった方が安心できるということだ』(起草委幹部)というわけだ」。

 「国民各層に幅広く新憲法の姿を考えてもらうための“起爆剤”とする」(「読売」同)ためにも解散・総選挙がらみの政局余波で改憲の勢いがそがれるのは絶対防ぎたい――与謝野氏ら起草委幹部の改憲にたいする執念の結果が早期公表となったとみてよい。

 八日の参院本会議での郵政民営化関連法案大差否決、ほとんど「狂」に近い小泉首相の独断衆院解散、総選挙の投票日は九月十一日というその後の政局激動をみれば、与謝野氏らの懸念は的中していた。しかし同時に、改憲問題を総選挙の争点として照射する役割も果たす皮肉な結果ともなった。

■「公共の福祉」を「公の秩序」に置き換え

 第二は、「改憲要綱案」について、私の小論「『戦争する国家』をめざす自民党改憲案」(「しんぶん赤旗」七月九日付)で指摘した「二面性」の問題である。

 「二面性」とは、「できるだけ自民党らしさをだすべきだ」という意見と、「民主党・公明党との一致に留意すべきだ」という意見の二つにかかわる。舛添氏は「改正ではなく新憲法制定」(「東京」八月二日付)というが、実際は「今回、書き直しの対象となる九十九の条文のうち、内容が修正されたものや削除されたものが三十九条」(同)、「約三分の一」(「産経」八月二日付)についての改正案である。その改正部分での「二面性」の優劣が注目された。

 量的には、「民主党・公明党との一致に留意」が優先されている。作業にあたった舛添氏は、起草委の方針について「皆が合意できない内容は極力落とす」(編集委員・根本清樹「自民改憲草案」、「朝日」八月二日付)と語っている。事実、「集団的自衛権の行使」や「国防の責務」など「新たな責務」の盛り込みは見送られた。先程引用した「読売」記事は、「9条部分など詰めの必要な部分も多いが、民主、公明両党ともに、議論のたたき台とすることが可能な内容だ」とし、「『自民党らしさ』薄まる」と見出しを付け、「朝日」の根本編集委員の論評も「合意優先、『らしさ』抑制」という見出しである。

 しかし見逃せないことは、質的には、「自民党らしさ」の著しい、立憲主義否定の思想が随所に顔を出した反動的案だということである。

 いくつかあげてみると、まず現憲法の「公共の福祉」は、すべて「公益及び公の秩序」という「国益」優先・「秩序」維持の国家的観点――軍事的観点も含みうる――を示す、福祉とはまるで反対のとんでもない危険な概念に置き換えられた。

 この置き換えの意味は大きい。近代憲法の、主権者としての国民が国家権力の「恣意的専制を抑止する」(『註解日本国憲法』下巻)という立憲主義の本質を逆転させて、国家権力が国民に「秩序」を守る義務を負わせ、国民の権利と自由を縛る鎖に変えてしまおうという本音が隠しようもなく出ている。たとえば十二条は、表題も「自由及び権利の保持責任・濫用禁止・利用責任」から「国民の責務」に取り換えられ、「自由及び権利には責任及び義務が伴う」「常に公益及び公の秩序に反しないように」と明記された。

 二十条「信教の自由」では、「社会的儀礼の範囲内にある場合を除き」という例外規定で靖国神社参拝その他の国などの宗教活動容認への道筋を付けてある。

 六十四条には、「政党」条項が新設された。条文の内容はともあれ、もっとも自由であるべき政党について、憲法で規制しようというのは尋常でない。七十二条では、内閣総理大臣の「行政各部」への「指揮監督」権が出てきた。秩序重視、強権確立の志向はきわめて明りょうである。

 最も重大な改悪の一つは、九十六条「改正」で、改憲発議の要件を「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」から「過半数の賛成」に大幅に緩和したことである。自民党は、衰えたりといえども今でも衆議院の過半数の議席を持っている。自民党の思うままの改憲発議ができるように憲法できめておきたいという論外の改悪である。

■「自衛軍」の憲法認知で九条は完全放棄

 第三は、核心中の核心としての憲法九条の条文案の中身である。

 現憲法の九条は「第二章 戦争放棄」と題した一条二項からなっている。今回の自民党案は、「第二章 安全保障」と題も変えた三条十項目からなり、項目はなんと五倍に拡大された。全体のバランスも何もない突出した肥大化で、アメリカと財界の中心注文たる集団的自衛権行使憲法が終始念頭にある自民党改憲派の“アメリカべったり”ぶり、“軍事駄々っ子”ぶりがよく出ている。「東京」の社説も、その「異色さ」を次のように評している。

 「その中で異色さでひときわ目を引くのが『戦争放棄』を『安全保障』と言い換えた現行憲法九条の大幅書き換え、そして改正発議の条件の緩和である。改憲の照準は主としてここに向けられている、といっていい」(「『憲法』一次案 身が入らぬ自民の論議」、「東京」八月三日付)。

 中身はひどいもので、各紙がそろって予想していた線よりも後退している。

 現行憲法の平和主義は、前文の「平和的生存権」、九条一項の「戦争放棄」、二項の「戦力不保持」、「交戦権否認」の四つの柱からなっているといっていい。

 今回、前文は案から除かれた。「委員会事務局は『改正案全体が決まったあとで、前文を最後に書く』と言っている」(「毎日」八月二日付)そうだが、私の前掲小論で批判したように、「要綱案」の「前文作成の指針」のあの恐るべき内容からいって、「平和的生存権」が削除されることはまちがいない。

 小林直樹氏は『憲法講義』で「第九条の構造」は「戦争放棄」、「戦力不保持」、「交戦権否認」の「いわば三規範から成る」と論じているが、自民党案からは、小林氏のいう「三規範」すべてが削除された。私のいう四つの柱も全部引き抜かれた。条文案の九条一項は「平和主義」の「理念」を語っているけれども、内実は平和憲法全面放棄である。

 九条一項の「戦争放棄」については、そのまま残されるだろうという見方が多かった。昨年十一月に発表された自民党憲法調査会の保岡興治会長の試案も、今年一月に発表された中曽根氏を会長とする世界平和研究所の試案も、一項はほとんどそのままである。というのは、「戦争放棄」をうたった一項の文章が、国連憲章とともに、戦前の日本も批准した一九二八年の「不戦条約」(フランスのブリアン外相とアメリカのケロッグ国務長官の主導で生まれたため別名「ケロッグ・ブリアン条約」という)の次の第一条にも依拠したもので、国際的には侵略戦争を放棄した条項という解釈が一般化しているからである。

 「第一条 締約国は、国際紛争解決の為戦争に訴えることを非とし、且その相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言す」

 不戦条約以後の各国憲法は、たとえばスペイン共和国、タイ、アイルランド、戦後のイタリアなど、「戦争放棄」を規定している。

 現行九条一項と今回の条文案とを並べて比較してみよう。

 現憲法「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。

 自民党の条文案「前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする」。

 一見して明らかなことは「国権の発動たる戦争」が削除され、「放棄する」が「行わない」に変更されたことである。九条の表題も「戦争放棄」から露骨にも「安全保障」に取り換えられた。「戦争する憲法」をめざす以上、「国権の発動たる戦争」の「放棄」など、誤解を招く表現はあくまで避ける姿勢である。そして民主党との協議にそなえ、国連憲章レベルの「武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わない」という文言となった。

 こうして九条二項は完全に削除され、「戦力不保持」も「交戦権否認」も消え去った。戦力も持つ、交戦権も認めるという公然たる軍事国家宣言である。

 「交戦権」についての政府の解釈は、九九年三月十五日、参院外交・防衛委員会における秋山收・内閣法制局第一部長の答弁がある。

 「伝統的な戦時国際法における交戦国が国際法上有する種々の権利の総称でありまして、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、それから中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕などを行うことを含むものを指す」(前田哲男・飯島滋明編著『国会審議から防衛論を読み解く』、三一ページ)。

 つまり、改憲後は交戦する――敵国の兵力の殺傷及び破壊も、領土の占領も行う、中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕もやるということにほかならない。

■やれなかった三つの実行部隊――「自衛軍」

 志位委員長は、五月三日に開かれた「5・3実行委員会」主催の憲法集会で、憲法九条があるために日本の自衛隊ができないことが三つあるという内閣法制局長官の重要答弁を紹介した。その三つとは(1)「いわゆる海外派兵、武力行使の目的を持って武装した部隊を、他国の領土、領海、領空に派遣すること」、(2)「集団的自衛権の行使」、(3)「目的・任務に武力行使をともなう国連軍への参加」で、国連平和協力法案を審議した九〇年十月二十二日、参院予算委員会での工藤敦夫内閣法制局長官の答弁である。志位委員長は「憲法に『自衛軍(隊)を保持する』を書き込んだとたんに、今の三つのことが可能になってしまう」と警告し、九条をあくまで守り抜く共同をよびかけた。

 今回の自民党の条文案は、九条削除によって可能になったこの三つを実行する部隊としての「自衛軍保持」を、「九条の二」として書き込み、条文化して前面に押し出した。

 「九条の二 (自衛軍)侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する。

 2 自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる」

 集団的自衛権は「認められることを前提に明文化しないことにした」(「東京」八月二日付)、「条文には書かず、解釈で認める」(「日経」八月二日付)そうである。

 要綱を決めた七月の起草委幹部会議で、「中曽根康弘元首相が『自衛軍が(海外での)武力行使可能との文章であるべきだ』と主張し、これに宮沢喜一元首相が『海外での武力行使を禁ずる憲法であるべきだ』と反論した」(「産経」七月八日付)経緯があり、また民主党、公明党との協議にもそなえて、条文案には、「国際法規及び国際慣例を遵守」、事前あるいは事後の「国会の承認」などの一定の「歯止め」的規定も付け加えられた。

 (1)海外派兵して武力行使できる、(2)集団的自衛権を行使できる、(3)国連の武力行使に参加できる――できるようになった「三つのこと」は、結局は一つに収れんする。それは、自衛軍が、海外派兵され米軍が始めた戦争に米軍とともに参戦するということである。

 ブッシュ政権と財界、自民党、民主党など、改憲派がそろってめざす「自衛軍」が、その恐るべき姿をここに現した。五倍の分量で平和憲法破壊を鮮明にした九条案、それによる反国民的「自衛軍」の公然たる登場が今回の自民党案の最重大問題である。

 国民の多くは、今問題になっている「改憲」とは、自衛隊の存在を憲法で認知することくらいに思い込まされていて、改憲派が、海外では戦争しない国から、地球規模でアメリカいいなりに戦争する国に変えることをねらっていること、したがって若い人々にとっては徴兵制という攻撃さえ予想される危険な重大事態であることが、まだ十分に知られていない。今回の自民党起草委員会の「新憲法第一次案」は、かれらの狙いを、「自衛軍」を突出させた具体的な条文案で示したもので、国民の中にある誤解や安易な思い込みを一掃するためにも、憲法闘争をいっそう発展させるためにも、その暴露と追及はきわめて重要な課題となっている。

 (日本共産党憲法改悪反対闘争本部長)


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