2005年5月8日(日)「しんぶん赤旗」

どれだけの人が涙したか

JR脱線 一両目にいた木村仁美さん(21)

生き残った者として伝えていきたい


 「一、二分の遅れの損は取り戻せるけど、失った命は二度と帰らない。早さや利益よりまず安全を優先してほしい」――。死者百七人、重軽傷者四百六十人を出した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故。先頭車両に乗っていてかろうじて脱出した木村仁美さん(21)=西宮市在住、甲南大学四年生=は、JR西日本の「利益優先、安全軽視」の経営姿勢に憤りを隠せません。


写真
脱線事故現場の歩道でうずくまり手を合わせる女性=7日、兵庫県尼崎市

 四月二十五日朝、木村さんは就職活動で大阪に向かうため、一両目の後部に立って乗車していました。伊丹駅でオーバーランした後、ぐんぐん上がるスピードに、偶然乗り合わせた高校の同級生と「速すぎない?」と会話を交わした直後、急ブレーキがかかりました。

飛ばされた

 とっさに友達の腕をつかみますが、車体が大きく左に傾いて手が離れ、足が浮きました。反射的にかばんを抱きかかえ、体を丸めました。大きな衝撃があり、洗濯機のなかでかき回されたような状態で飛ばされました。

 気がつくと、辺りは真っ暗。自分の下に、何人もの人が重なり合っていました。「怖いくらい静まり返っていて、みんな死んだのかな…と思いました」。起き上がって見回すと、わずかなスペースに、ピンク色の服を着た女性と、会社員らしき男性、男子高校生がぼうぜんと立っていました。

 二両目の窓が割れ、そこから血を流した乗客二、三人が降ってきました。なかには動かない人も…。車がめりこんだ右上から光が差し、フェンスが垂れ下がっていました。「ここから出るしかない」。木村さんは「一人ずつゆっくりいこう」と声をかけ、三人に続いて外へ脱出しました。

 事故発生から四分後の九時二十二分に携帯電話から一一〇番し、面接先の会社や自宅にも電話。幸い足の軽傷だけで済みましたが、スーツもかばんも血まみれ。駆けつけた救急隊員に、「私は大丈夫。早く友達を助けて!」とすがりました。一時間後、ようやく救出された友人に駆け寄り、「生きとった!」と手を取り合って喜びました。

 しかし、死傷者の数は増え続けました。

 「私の下でだれか死んでいたかもしれない。もっと大勢の人を救えたかもしれない。生きていることが申し訳なくて…」

胸に刺さる

 木村さんは、いま紙一重で生き残った“負い目”を抱えています。人前では努めて明るく振る舞っていますが、「よかったね」の言葉が胸に刺さります。

 同時に、百人近くからお見舞いの電話やメールがあり、「私ってこんなに大事に思われてたんや」と気づかされたといいます。

 JR西日本の対応や次つぎ明らかになる体質、不祥事に怒りは増します。「亡くなった運転士も犠牲者の一人だと思います。一、二分の遅れであんな事故を起こすようなところに追い込まれてる。それにJRの社員があの惨状の現場から立ち去るなんて…。社の体質が問題」という木村さん。

 「この事故で、どれだけの人が涙を流したか…。遺族はきっと、何で大切な家族が死んだのか知りたいはずです。生き残った者として、事故のことを伝えていきたい」と語ります。

 (兵庫県・塩見ちひろ)


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