2005年5月7日(土)「しんぶん赤旗」
NPT(核不拡散条約)再検討会議
千人超す日本代表団に反響
“巨大な力くれた”
被爆の実相きき 米教師も「何かしたい」
「日本から千人を超える人たちが来たのはすばらしいことだった! 巨大なエネルギーを与えてくれた!」―平和市長会議の一員としてNPT(核不拡散条約)再検討会議に訪れた米国のスティーブ・リーパーさん(57)の言葉です。
(ニューヨーク=本吉真希 写真も)
二日からニューヨークの国連本部で始まった同会議に、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)や日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表団をはじめ多くの日本人が、核兵器の完全廃絶を訴えるため訪米しました。
同会議開幕前日のメーデーの日、平和行進の波は祭りのような雰囲気で進みました。しかし日本原水協の代表団が持つ横断幕が近づいてくると、周辺の空気が変わり、心地よい緊張感が走りました。
署名の数に驚き
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横断幕の一つには日本原水協が日本全国で集めた「いま、核兵器の廃絶を」署名の数が書かれています。メーデーの行進終了までに集まった署名の数は五百三万八千百八人分。
「署名の数を示した横断幕がデモ全体でいちばん大事なメッセージだ」―何人もの米国のジャーナリストたちがその数に驚きました。
日本原水協は八百三十人もの代表団を送り米国でも連日にわたり奮闘しました。
新潟県新発田市から来た伊藤敏夫さん(70)と八幡紀さん(64)らは出発前日の夕、市民九万人の一割にあたる九千三人分の署名を達成しました。「核廃絶の市民の願いを国連や世界に伝えたい」と話していました。
「世界の人と行動したいと思った」という松繁悦子さん(22)。高知県で原水協の専従をしています。「平和な社会は、みんなが笑って安心して生活できること。私が伝えられる範囲は平和を訴えてがんばりたい」
世界中の人たちから寄せられた核廃絶の思いは、日本原水協の高草木博事務局長らによって直接、再検討会議のドゥアルテ議長に手渡されました。署名したすべての市民の願いが届けられた瞬間でした。
「原爆と人間展」
被爆者三十人が訪米した被団協は「原爆と人間展」を国連本部のロビーで開き、被爆者らが証言しました。平和市長会議のトーレ・サンドビッキ市長(ノルウェー)は「六十年前の事実を忘れさってはならないという責任を感じた」と語りました。
長崎で被爆した中山高光さん(76)は「国連で写真展ができたことは一歩前進」としつつも、「本当の原爆の悲惨さを伝える写真が展示できなかったのは残念。原爆とは何か、実態を知ってもらいたい。日本政府が原爆を伝える責任を果たすべきだ」。真実を知る中山さんにとっては複雑な思いでした。
被団協はニューヨーク周辺の学校や寺院などでも証言しました。被爆の実相を聞いた歴史の教師が声を詰まらせて言いました。「私たちに何かできることはありませんか?」―。「聞いたことをそのまま生徒たちに伝えてほしい」。被爆者は答えました。
日本から始まった核兵器廃絶の願いは、草の根の運動を通じて確実に世界の人々に届き、その心を動かしています。