2005年4月30日(土)「しんぶん赤旗」

メーデーとは? 日本での始まりは?


 〈問い〉 メーデーの起源はなんですか? 日本はいつから始まったのですか? (東京・一読者)

 〈答え〉 メーデーは、1886年5月1日、アメリカの労働組合が八時間労働制を要求してストライキ・デモ行進を行ったことが起源です。当時は12〜14時間労働が当たり前でした。このため、アメリカの労働者は「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」という「8時間労働の歌」を歌いながらたたかい、8時間労働制をかちとりました。

 しかし、運動の中心地だったシカゴでは5月4日、ヘイマーケット広場に集まったストライキ参加者を武装警官が襲い、多数の死傷者が出たのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。

 そこで、労働者側は、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけます。これにこたえて、労働組合・社会主義運動の国際組織だった第2インターナショナルは89年7月の創立大会で、この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定。翌90年に各国で第1回メーデーが実施されます。

 日本では、1920年5月2日(日曜日)、上野公園で5千人が参加したのが最初です。集会では「(ストライキ等を弾圧した)治安警察法17条撤廃、失業の防止、最低賃金制の確立」を決議。8時間労働制、東京市電争議支援、シベリア即時撤兵の動議を可決しています。

 その後、戦前のメーデーは1935年の第16回まで各地でとりくまれましたが、36年の2・26事件で戒厳令が敷かれたのを機に禁止されました。

 戦後は、46年の第17回メーデーから復活。東京では“人民広場”とよばれた皇居前広場に約50万人が集まり「民主人民政府の即時樹立」「食える賃金を」などを決議しました。

 皇居前広場のメーデー使用は、サンフランシスコ講和条約発効直後の52年の「血のメーデー」事件後、占領軍指示で使用禁止とされ、東京地裁は違法としますが、政府が控訴し、禁止に固執したため、会場はその後、明治神宮外苑に移されるなどの経緯があります。(喜)

〔2005・4・30(土)〕


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