2011年7月20日(水)「しんぶん赤旗」

原発反対運動を監視

科技庁(当時) 80年代後半に

チェルノブイリ事故で世論警戒


 1986〜89年にかけて、当時の科学技術庁が日本国内の原子力発電に反対する運動を監視していたことが分かりました。原発を押し付けるために、政府機関が先頭に立って国民に敵対する異様な姿が浮き彫りになりました。


写真

(写真)原発反対派を監視していた科学技術庁の報告書

 同庁は監視した結果を89年6月に原子力局原子力調査室名で「最近の原子力発電に対する反対運動の動向について」としてまとめています。当時、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故(86年)をきっかけに、日本を含め世界各地で原発に反対する運動が起きていました。

 報告書は、四国電力伊方原発での出力調整運転試験に反対する運動(88年2月)を取り上げています。出力調整は、チェルノブイリ原発で事故が起きたきっかけとなった実験です。伊方原発での出力調整に反対する運動に対して、「チェルノブイリ事故の原因となった実験と同様の試験を行うものであり、同様の事故が起こるとの誤解によって盛り上がる」と記述していました。

 当時、「伊方等の原発の危険に反対する愛媛県民連絡会議」などで出力調整に反対する運動をしていた中川悦良元愛媛県議(84)は、「私たちは通常の運転でも危険な原発をさらに危険にするものとして出力調整に反対してきました。誤解だなんていいがかりです。実験に反対する署名を14万人分以上集めるなど多くの県民と共同した運動です。そうした運動を監視してきたとはとんでもないことです」と憤ります。

 また、88年9〜11月には北海道の泊原発と幌延町の核廃棄物処理施設の設置に反対して、(1)建設の中止を事業者に勧告する(2)幌延の「貯蔵工学センター」設置に反対し一切の協力をしないこと―を知事に求める条例制定のための直接請求運動が取り組まれました。この運動に対して報告書は、「共産党系反対派」とレッテル貼りをしています。

 当時、原発問題全道連絡会として直接請求運動に取り組んだ菅野一洋さん(79)は、「署名運動は労働組合や女性団体など18の団体で実行委員会をつくって取り組み、125の地域実行委員会がつくられました。幅広い道民の力で50万もの署名を集めたのです。“共産党系”などというレッテル貼りは許されません」と話します。

 報告は「原子力反対運動の特徴」として、「従来」と「最近」の運動を比較します。「技術論、安全論などの理論中心↓感覚的、情緒的反対」「悲そうな使命感↓遊び感覚、お祭り気分」などと運動の変化を描いており、運動に参加する市民を見下す姿勢が反映しています。

 また、「原子力反対運動の背景」を分析して「欧州の一部の国における原子力政策の転換がマスコミを通じ大きく報道されたため、世界的に原子力から撤退する傾向にあると誤解している人が多い」などと、マスメディアにも攻撃の矛先を向けます。さらに、反対運動は「原子力による危険性のみを特別視している」として、反対運動を敵視しています。

 この分析を受けて、「科学技術庁におけるPAの考え方」として「従来のマス・メディアの利用だけでなく、一般の人々との直接対話による草の根広報を導入する(講師派遣制度の実施等)」「反対派が国際的な結び付きを持ってきていることにかんがみ、国際的な連携を強化する(国際シンポジウムの開催等)」と説明しています。これらの施策は現在も行われています。


 PA 「パブリック・アクセプタンス」の頭文字をとったもので、「社会的受容性」とも訳されます。円滑に企業活動や事業展開ができるように、社会において企業活動の理解促進を図る働きかけをさします。





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