2011年6月16日(木)「しんぶん赤旗」

政府復興会議委員を送るソニー

被災者を大量解雇

期間社員 労組に加入、撤回要求


 政府の復興構想会議に財界を代表して委員を送っているソニー(本社・東京都港区)が東日本大震災を理由に、仙台テクノロジーセンター(仙台TEC、宮城県多賀城市)の事業縮小計画をすすめています。雇い止めを通告された期間社員22人がソニー労働組合仙台支部(電機連合加盟)に加入し、雇用継続を求めるたたかいに立ち上がっています。 (田代正則)


 ソニーは、津波によって仙台TEC構内の1階部分が浸水する被害をうけました。このため、労働者約1500人のうち、正社員280人が県外広域配転、150人以上の期間社員全員が雇い止めとなる計画を4月27日に発表しました。

泥のかき出しも

 期間社員にとっては、自宅が被災したのに長時間かけて出勤し、泥のかき出し作業に参加したり、避難所から復旧作業に通っていた直後の計画発表でした。

 期間社員は、ほとんどが同一業務で5年以上働いており、正社員として雇用されて当然の人たちです。12年も偽装請負や派遣などで働いてきた人もいました。

 正社員も、異動となれば被災地に家族を残さざるをえない人もおり、事実上、退職強要に等しい命令です。

 ソニーの期間社員の年収は平均270万円。150人全員の雇用を維持する金額は年間4億円です。ソニーの2010年3月期の内部留保は3兆4088億円(現金および現金同等物1兆1916億円)もあり、役員報酬はハワード・ストリンガー会長が8億2550万円、中鉢(ちゅうばち)良治副会長が2億1304万円という高額です。ソニー労組は「会社に被災地の雇用を守る体力は十分にある」と強調しています。

 ソニーは政府の復興構想会議の委員に、中鉢副会長(宮城県出身)を送っています。その大企業が被災者の雇用を脅かし、被災地の復興に大打撃を与える計画を発表したことに、地元自治体も強いショックを受けています。

市長ら「やめて」

 ソニー労組は5月、宮城県春闘共闘会議とともに宮城県や多賀城市に、ソニーに計画撤回を働きかけるよう要請。日本共産党宮城県議団や多賀城市議団も同席しました。

 宮城県経済商工観光部長は「実情を把握して対応したい」と答えました。多賀城市の菊地健次郎市長と石橋源一市議会議長は8日、上京してソニー本社に事業縮小をやめるよう求めました。

 日本共産党の高橋ちづ子衆院議員は5月11日、国会でソニーを例に大企業の責任を追及しました。細川律夫厚労相は「震災で工場が流されただけでは解雇できない」「大きな企業はしっかりした責任も果たしていただかなければいけない。経団連に雇用維持を要請している」と答弁しました。

正社員になれると信じていたのに…

「雇い止め 許せない」

復興へ、力発揮したい

 「正社員になれると信じて頑張ってきたのに許せない」

 ソニー仙台テクノロジーセンター(仙台TEC、宮城県多賀城市)で、突然、雇い止めの通告を受けた期間社員たちは口々に言いました。

 5年以上ソニーで働いてきた男性(26)は「派遣から、直接雇用に切り替わるとき、『正社員への登用あり』と書いてあった。正社員として貢献したいと頑張ってきた」と話します。

避難所から通い

 東日本大震災の津波で、家が浸水し、2週間は避難所で生活しました。その避難所からソニー仙台TECに通い、泥のかき出しに汗を流しました。「復興のために自分も動きたかった」

 しかし、4月初め、期間社員は突然、自宅待機となり、次に呼び出された5月下旬、あと3カ月だけ契約更新して雇い止めとするといわれました。

 ソニーは、2006年にキヤノンなどの偽装請負が社会問題となったとき、自社の請負社員を派遣社員に切り替えました。09年9月、「派遣切り」被害者の労働局申告で過去の偽装請負に対し是正指導を受け、その前後に派遣から直接雇用の期間社員に切り替えました。今回、雇い止め通告を受けたのは、そのとき期間社員になった労働者であり、正社員になれる労働者ばかりです。

 家が半壊し、交通網の寸断で出勤困難になった男性(30)は、会社から何度も「復旧作業に来てほしい」とメールが届き、長靴を買って、バスを乗り継ぎ3時間かけて出勤。「それなのに、雇い止めと言われた。頑張った人を踏みにじる行為だ」と憤ります。

地域全体の問題

 男性(25)は、「ソニーの社員証をつけて近所の商店に行くと、『ソニーはいつ落ち着くんですか』『頑張ってくださいね』と声をかけられます。事業縮小は、ソニーだけの問題じゃない。地域全体の問題なんです」と力を込めました。

 ソニー労働組合は13日朝、JR多賀城駅前で、リストラ反対を訴える宣伝を行いました。加入したばかりの期間社員はじめ、支援者など30人が参加。市民から大きな注目を浴び、1時間で1500枚のビラが受け取られました。

 ソニーが宮城県に進出したのは、1954年。まだ「東京通信工業」と名乗っていた時代でした。宮城県にとっても、初めての誘致企業でした。

 初めてソニーの名称を使用し、日本初のトランジスタラジオを売り出したのは、翌年55年のことです。

 磁気テープの生産などで戦後復興を東北とともに歩んだ仙台TECが事業縮小することは、震災復興に立ち向かおうとする被災者に計り知れないショックを与えています。

 ソニー労組の旗を持った男性(30)は、「これから一丸となって復興に力を合わせる時期に、解雇なんて大企業のやることじゃない」と強調します。

 「組合はこれまで、期間社員が入るものだとは思っていなかった。『組合に入れば変えられるかもしれない』と聞き、知り合い2人を誘って加入しました。宣伝もみんなでできるし、頼もしい」

 「0歳と3歳の子どもがいる。震災で苦しいときに職を失うわけにはいかない」と話す男性(31)。「私のいたディスプレイフィルム製造は、派遣中心で一から立ち上げた部署だった。復興させるには、立ち上げ当初を知る私たちの力を発揮させるべきです。みんなで頑張って、もう一度働きたい」と話しました。

「杞憂」発言守れ

 ソニー労組仙台支部は、多賀城市でのビラの全戸配布も行い、地域ぐるみでリストラ反対を呼びかけています。松田隆明支部委員長は、「ソニーは被災者の思いや現場をよくみて、計画を考え直すべきだ」と強調しました。

 ソニー労組の長谷川隆委員長は、「4月12日の本社団体交渉で、被災地の雇用を守れとただしたとき、会社側は『杞憂(きゆう)(無用の心配)だ。雇用を守るのは基本だ』と繰り返した。会社に発言を守らせ、全国の連帯でたたかっていく」と強調しています。





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