2011年2月9日(水)「しんぶん赤旗」

えひめ丸事件10年の航跡

米原潜、9人の命奪う 遺品に重油 今も

安保優先で再発防げるか


 9日(日本時間10日)で「えひめ丸事件」発生から10年になります。米海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」がハワイ沖で「緊急浮上」し、同海域で遠洋航海訓練中の愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に衝突、沈没させて実習生ら9人の命を奪った事件。「えひめ丸」の生存者と遺品が語る「終わらない悲劇 えひめ丸10年の航跡」を追いました。(山本眞直)


写真

(写真)ハワイ沖での航海訓練を前にした新「えひめ丸」=愛媛県、宇和島港

 愛媛県宇和島市の宇和島港。出漁の準備に追われる漁船と並んで係留された真っ白な船体にくっきりと浮かび上がる4文字。「えひめ丸」(449トン)。事件後に新造された宇和島水産高校の第5代実習船です。

 えひめ丸が係留されているフェリー岸壁から1キロほど離れた海沿いにある宇和島水産高校を訪ねました。

納得いかず

 「ここが追想室です」。校舎の一角に設置された部屋の入り口に掲げられた表札には「えひめ丸事故追想室」とあります。2001年2月9日午後1時すぎ、一瞬のうちに沈没した第4代「えひめ丸」の遺品が展示されています。

 入室すると目に飛び込んできたのが、沈没するえひめ丸から実習生たちが飛び移った救命ゴムボート。案内してくれた教職員が言いました。「よく見てください。何度、拭いても重油が染み出してくるんですよ」。確かにボートのふちのところどころに黒い重油がたまっています。

 重油は大破した「えひめ丸」から流出したものです。重油のしみが、暗い海に投げ出された実習生たちの驚きと恐怖、家族や友人、未来への希望を一瞬のうちに断ち切られた悲しみの涙に見えてきました。

写真

(写真)宇和島水産高校の「えひめ丸事故追想室」に展示されているえひめ丸の救命ゴムボート=宇和島市

 「えひめ丸」生存者の一人、1等航海士の柳原修二さん(59)は、事件のことをこの10年間、引きずってきたと言います。「昼食後、バーンという音と同時に船尾が持ち上がりだした。厨房(ちゅうぼう)にはコック長や生徒が何人かいたが、すぐに甲板にあがるよう指示した。何が起きたのかわからなかった。一瞬のことで実習生や仲間を助けられなかった」

 事件後も続くハワイ沖での遠洋航海訓練。事故海域で船を止め、全員で黙とうすることぐらいしかできないと悔しがります。

 「アメリカ海軍が最低限、事前に訓練通告をしていれば事故はおきなかった。いまだに納得がいかない」

 柳原さんは自らに言い聞かせるように、こう締めくくりました。「(事故のことは)墓場まで背負っていくしかない」

ミカンの木

 宇和島水産高校は今年、校庭の「えひめ丸慰霊之碑」の脇にミカンの木、四季橘を植樹します。野上完治校長が「命を大切にし、世界の海の安全と平和を願う思いを託します」と力を込めました。

 愛媛県は「日米関係を損なわない処理」を基本にした日本政府、「日米安保体制を揺るがしかねない」と危機感をもった米海軍と足並みをそろえ、事故を招いた米海軍上層部の責任追及などの真相究明を回避、もっぱら示談交渉に限定してきました。

 9遺族のうち実習生、乗組員の2遺族が委任した「えひめ丸被害者対策弁護団」の副団長を務めた井上正実弁護士は当時の資料を示しながらこう語りました。「米海軍は事故の真相、海軍上層部による民間人の搭乗体験プログラムにはふれず艦長の操縦ミスで幕を引いた。こんな決着では再発防止はない」





もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp