2010年8月13日(金)「しんぶん赤旗」
日航機墜落25年
空の事故 もう二度と
高齢化する遺族――
若者“私が引き継ぐ”
「いとしい子どもたち、安らかに眠りたまえ」―。520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故から25年。遺族らは犠牲となった肉親や友人への思いと、もう二度とあんな事故は起こさせまいという、それぞれの思いを胸に、12日を迎えました。
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群馬県上野村。事故現場へ通じる登山口から約800メートル登った場所に「昇魂之碑」があります。その向かいに飾られた風ぐるまが、勢いよく回っています。遺族らの手で作られたものです。
大阪府豊中市から来た男性(24)も、自らの手で風ぐるまを飾りました。男性は、生まれる半年前に父親=当時(29)=を亡くしました。「25年たって遺族も高齢化しています。私たち若い人たちが、お手伝いをしていくうちに、それが引き継ぎになるのかなと思います」と語りました。
尾根の中腹に位置し、4人の生存者が見つかったスゲノ沢で静かに黙とうしていた47歳の男性は、会社の同僚だった=当時(22)=を事故で亡くしました。「大学も一緒で同じ会社に入った。お互い工学部で勉強していて、『将来は建築関係の会社を一緒にやりたいな』と飲みながら話していた。たった4カ月の社会人生活…。信じられなかった」と話します。
男性は「アパートも一緒だったので事故のあとはしばらく眠れなかった。筋の通ったやつで墓前にむかって、『もう一度一緒に働きたい』と話しました。彼の分まで頑張って生きたい」とうつむきました。
この日は、地元や各地から集まったボランティアが遺族らの追悼登山をサポートしました。接骨院の整体師らでつくるJB日本接骨師会では、下山してきた遺族らにマッサージなどをしました。
同日午前中に登ってきたという整体師をめざすボランティアの女子学生(19)=神奈川県平塚市=は「事故は私が生まれる前。小説などでしか知りませんでしたが、現場に行ってみて、すごい力を感じました。事故が再び起きないように、私たちがこの事故を忘れてはいけないと思いました」と語りました。