2010年3月19日(金)「しんぶん赤旗」
地下鉄サリン事件から15年
オウム犯罪 防げた
ぬぐえぬ警察不信 今も通院
「家族の会」会長 永岡弘行さんが語る
13人が死に、6000余人の被害者をだした地下鉄サリン事件から20日で15年。1989年10月にオウム真理教被害者の会(現「家族の会」)を結成し、会長をつとめている永岡弘行さん(71)が事件の背景や事件への思いを語りました。
|
《オウム告発と被害者救済に取り組んできた永岡さんが、オウムから猛毒VXガスを噴射されたのは95年1月。生死の境をさまよいました。後遺症はいまも続き、通院生活》
下半身の激痛。担当医によると、内臓も骨も異常がないけれど、痛いなんてものじゃない。軍事機密なんでしょうね。VXガスのデータがなく、治療方法もないんだそうです。
圧力に屈した
《オウムは80年代末期から連続して「事件」を起こしています。VXガスから2カ月後のサリン事件は一連のオウム事件の「結末」だったかもしれません》
サリン事件を回避する機会は何回もあったと思えてなりません。例えば地下鉄サリンの2年前に起きた松本サリン事件。私たちはオウムの犯行だと直感したが、警察もマスコミも被害者である河野義行さんを犯人だと決めつけ、結果、オウムを見逃してしまった。
山梨県の旧上九一色村の竹内精一さん(のち共産党村議)ら村民の決死的な調べで、サティアン(オウムの施設)の違法建築の事実をつかんだのに、県も警察も立ち入り調査をしなかった。
89年8月に東京都がオウムを宗教法人として認証したこと自体が悔やまれます。すでに被害が発生しており、認証したら大変なことになると訴えたけれど、都はオウムの圧力に屈してしまった。オウムは認証直後、坂本堤弁護士一家を殺したのです。坂本先生は家族の訴えを真正面から受け止めてくれる、数少ない弁護士の一人でした。
《らつ腕の営業マンだった永岡さんが退職し、被害者の会の活動に専念するきっかけになったのは1人息子の入信・出家(その後脱会)と坂本弁護士の一言でした》
先生の「世の中には誰かがやらなければならないことがある」という言葉がグサリと胸にささり、会長を引き受けました。妻の全面的な支えもあり、ここまでやってこられたと思っています。
それとマインドコントロールの恐ろしさを目の当たりにしたこと。麻原(彰晃=松本智津夫)教祖とは何回か直接対面したけれど、彼の一言で信者は右にも左にも素直に動く。自分の頭で考えられない状況になっている。彼らを何とかしてもとの状況に戻してやりたい。その一念です。
裁判だけでは
《永岡さんはオウムの裁判に通い続けています。被告人、検察それぞれの証人にもなりました》
もしかしたら、被告人席に息子がいたかもしれない。そうだったら自分はどうなっていただろう。被告たちと面会し、手紙のやりとりもしています。「なぜあんなことをしたのかわからない」という被告もいます。
その言葉で逃げないでほしいけれど、その一方でわれわれはおとなとして何をしたのだろう。彼らをあんな人間にしたのはわれわれではなかったのかという気持ちもあります。
裁判だけでは決着はつきません。二度とあんな事件を起こさせないための教訓をどう引き出せばよいのだろうかとくりかえし考えています。(柿田睦夫)