2010年3月11日(木)「しんぶん赤旗」

日米核密約問題

志位委員長の会見(一問一答)


 日本共産党の志位和夫委員長が9日の記者会見で、政府が同日発表した日米間の密約問題に関する「有識者委員会」の「報告書」について党の見解を明らかにしました。会見での一問一答を紹介します。


「報告書」は「広義の密約」であれ核持ち込み密約を認めていない

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(写真)核密約問題で記者会見する志位和夫委員長=9日、国会内

 問い 「有識者委員会報告書」では、「狭義の密約」を否定しているが、「広義の密約」は認めているのではないか。

 志位 「有識者委員会」の「報告書」の最大の問題点は、「討論記録」の存在を認めながら、これを核持ち込みの密約――核搭載艦船の寄港を事前協議の対象としないという秘密の合意であることを認めず、そのことを否定していることにあります。

 それは、「報告書」が、「討議の記録2項Cだけをもって、日米間に核搭載艦船の寄港を事前協議の対象外とする『密約』の証拠と見ることは難しい」、「核兵器を搭載した米軍艦船の日本寄港は、『安保条約第6条の実施に関する交換公文』にいう事前協議の対象になるか。日米両政府間には、今に至るもこの問題に関する明確な合意がない」と明記していることからも明らかです。

 しかし、冒頭の発言(「日米核密約」に関する「報告書」について)でものべたように、(1)「討論記録」はそれ自体が、核持ち込みの密約そのものであり、(2)日米安保条約の一部を構成する日米間の公式の合意文書という性格をもつものであり、(3)「討論記録」の解釈についても、1963年の大平・ライシャワー会談で、日米間に「完全な相互理解」が存在していたことは、明らかです。日米両政府間に、「討論記録」に対する解釈の相違があった、だから「討論記録」をもって核持ち込みの密約とはいえないという、密約否定論は成り立ちません。

 「報告書」が、日米間の「暗黙の合意」=「広義の密約」としているのは、「日本政府は、米国政府の(『討論記録』に関する)解釈に同意しなかったが、米側にその解釈を改めるよう働きかけることもなく、核搭載艦船が事前協議なしに寄港することを事実上黙認した。日米間には、この問題を深追いすることで同盟の運営に障害が生じることを避けようとする『暗黙の合意』が存在した」ということです。

 しかし「報告書」は、核持ち込みの密約――核搭載艦船の寄港を事前協議の対象としないという秘密の合意――があったとは、「狭義」であれ「広義」であれ認めておらず、逆に「今に至るもこの問題に関する明確な合意がない」とそれを否定しているのです。ここにこそ「報告書」の最大の問題点があるのです。

 「報告書」のこのレトリック(表現技法)にひっかかって、「『報告書』は核持ち込みについて『広義の密約』があったことを認めた」と報じてしまったら、とんでもない誤読にもとづく報道になります。

密約を密約と認めないと、それを廃棄することもできなくなる

 志位 核持ち込みの密約の存在を否定する立場にたつとどうなるか。今後の問題として、アメリカにたいして“何らの働きかけもしない”という立場になってしまうわけです。核持ち込みの密約の存在を正面から認めれば、その密約を廃棄するという働きかけをおこなう足場を得ることができるでしょう。しかし、核持ち込みの密約はなかったという立場にたってしまったら、アメリカに働きかける足場もなくなるわけです。ないものを「廃棄する」とはいえないわけですから。現に、今日(9日)の外務大臣の会見では、「今後アメリカに何らかの働きかけをおこなうのか」と問われて、“何もするつもりがない”という立場を繰り返しました。こういう立場に帰着することになるわけです。

 「討論記録」は核持ち込みの密約――核搭載艦船の寄港を事前協議の対象としないという秘密の合意だったということを正面から認めないと、これを廃棄することもできなくなる。密約を密約と認めないというのは、最悪の決着の仕方なのです。認めなかったら、対処しようにも対処ができなくなるのです。

核搭載艦が寄港しても、国民にはわからない状態がつづく

 問い 結局そういうことであれば、今後、核搭載艦が寄港したとしても、国民はわからないということになるわけですか。

 志位 わからないということになりますね。今回のような政府の立場でいきますと、これまでと何も変わらないということになります。

 「討論記録」――これは「安保条約を構成する文書群」の公的な一部とされているものですから、この核持ち込みの密約にもとづいて、アメリカは、核兵器を搭載した艦船を事前協議なしに寄港させることを、条約上の権利だと考えているわけです。アメリカは、ひきつづき条約上の権利の行使として、核搭載艦船を寄港させてくる。しかし、日本国民にはわからないということになります。

 外相は、さきほどの記者会見で、「1991年以降、米国は艦船への核搭載をやめている」とのべて、今後問題は起こらないかのようにのべましたが、核持ち込みの密約問題は、けっして過去の問題ではありません。アメリカは、水上艦艇からは核兵器を撤去しましたが、攻撃型原潜に必要があれば随時、核巡航ミサイル「トマホーク」を積載する態勢を維持しているのです。さらに、米国が「有事」と判断したさいには、核兵器の再配備をすることを宣言しているのです。核持ち込み密約を廃棄しなければ、核搭載艦船が寄港しても、国民にはわからない事態が、これからも続くことになるのです。

 日本の安全保障にかかわる大問題での虚偽が半世紀にわたってつづき、そして私たちが提起した「討論記録」という明白な核持ち込みの密約について、その文書の存在を認めざるをえなくなったけれども、それを核持ち込みの密約とは認めない。あくまで日米の理解には違いがあって、合意は存在していなかったといって歴史を偽造する。そして現状のままの自由な核持ち込み体制を続ける。これは許しがたいやり方だと思います。

密約を密約でないと偽る――新しい欺瞞

 問い 平野官房長官は、政権交代の成果だということをいったが。成果でもなんでもないということになりますか。

 志位 成果とはいえませんね。「討論記録」の存在を認めざるを得なくなったということは、たしかに一つの変化です。これまでの政府は、「討論記録」の存在自体を、わが党の不破哲三委員長(当時)が、10年前の国会で提起しても、「そんなものは知らぬ、存ぜぬ」といいつづけてきたわけですが、それが通らなくなったということは一つの変化です。

 しかし、「討論記録」の存在を認めた以上、これをきちんと密約だと認定して廃棄するということをやってこそ、「非核三原則」を保障する道が開かれるのです。それをやらない決着をしようとしているわけですから、これは非常に悪い決着です。「討論記録」という核持ち込み密約そのものについて、その存在を認めながら、「これは核持ち込み密約ではない」というわけですから、単に密約を隠すというのでなく、密約を密約でないと偽るという、新しい欺瞞(ぎまん)を始めようとするものです。

米国にモノをいいたくない――結論先にありきの「報告書」をつくった

 問い 政府がこういう決着に持ち込もうとした背景に何があるとお考えか。

 志位 この問題で、アメリカにモノをいいたくないのでしょう。つまり、政府が、仮に「討論記録」は核持ち込みの密約だと正面から認める、日米間に核持ち込みに関する秘密の合意――密約があったと認めたとすると、そのことと「非核三原則」との間には抜き差しならない矛盾が起こってくるわけですから、きちんとアメリカに問題を提起して、これを廃棄することをしなかったら、事が完結しなくなりますでしょう。

 しかし、核持ち込みの密約がなかったということにしてしまえば、アメリカにたいしてなにもモノをいわないですむ。現状が続けられる。私は、この「報告書」というのは、アメリカにモノをいいたくない、事を起こしたくないという結論が先にあって、それに都合のいい「報告書」をつくった。それが真相ではないかと思います。実際、そうとしか考えられないような、事実の乱暴な歪曲(わいきょく)だらけのものです。

 私が、とくに政府に言いたいのは、これだけ重大な問題を、「有識者委員会」なる学者の検討にゆだねて、それを政府として受け取って、きちんと中身の検討もせずに、それをそのままうのみにして発表する、これは政府としてまったく責任ある態度とはいえないということです。これだけ重大な問題が提起された。「有識者」に検討してもらうのはいいでしょう。しかし検討の結果がきたら、今度はそれを政府として徹底的に責任を持って検証して、そして政府の見解として明らかにするべきです。すべて「有識者」なるものに丸投げというやり方は、ほんとうに無責任な態度です。

 この問題は、「有識者」なるものにまかせて、その判断を丸のみすればいいという問題ではないのです。核兵器持ち込みという国民の安全と平和にかかわる大問題、しかも国民を欺きつづけてきたという大問題が提起されたのですから、政府自らが、自分で資料にあたって、究明しなければならない問題なのです。

核持ち込み密約を認め、きっぱり廃棄せよ

 問い あらためて、こういう問題をずっと引き継いできた歴代政権と外務省については、どのようにみているか。

 志位 歴代政権は、密約が存在しているにもかかわらず、ないとうそをつき続けてきた。この態度はもちろん許しがたい態度だと思います。今度は、「討論記録」という密約の動かぬ文書の存在を認めても、なおこれは密約ではないと、そういう歴史と事実を偽造することになりますから、いっそう深い罪になるのではないでしょうか。

 米側の文書を見ますと、「討論記録」の解釈について、日米間に完全な一致があったということが繰り返し出てきます。とくに1963年の大平・ライシャワー会談以降は完全な一致があったとされています。

 ところが、政府の今回のような立場にたつと、アメリカに話をもっていきようがないのです。もし、日本政府がアメリカに、「日米間には理解に違いがありました」というとするでしょう。そうすると、「そんなことありません。山ほど証拠があります」と、米側からただちにいわれることになります。政府のような立場に立つと、この問題の解決の道が閉ざされてしまうのです。

 「討論記録」の存在を認めた以上、これを核持ち込みの密約と認め、きっぱり廃棄するという対応をすべきだということを、重ねていいたいと思います。


 「討論記録」 1960年1月6日に当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使が頭文字署名した、核兵器持ち込み密約です。「討論記録」2項Aは、核持ち込みについて日本への導入(イントロダクション)は「事前協議」の対象になる規定。その一方で、同項Cは、「事前協議」について「合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない」と定めました。旧安保条約下で確立された核積載米艦船の日本寄港などを「事前協議」なしで継続できるようにし、自由な核持ち込みを認めました。



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