2009年1月24日(土)「しんぶん赤旗」

敗戦の前年に獄死した池田勇作とは?


 〈問い〉 山形県には戦前、獄死した池田勇作という忘れてはいけない先駆者がいると聞きました。どんな人だったのですか?(山形・一読者)

 〈答え〉 池田勇作は、戦前、弾圧に屈せず、反戦を訴え、プロレタリア文学を志し、40年6月に治安維持法違反で検挙され、1944(昭和19)年3月13日、東京・豊多摩刑務所で30歳の若さで獄死した人です。勇作の妻、郁(旧姓阿部、日本女子大卒、紀伊国屋書店勤務)も夫とともに検挙され半年後釈放されますが勇作の遺骨を抱いて故郷・余目町に帰り、終戦の3日前8月12日、過酷な取り調べのために発症した結核で病死します。

 池田勇作は1913年、鶴岡市で下級士族の家に生まれ、訓導をする伯母たちに支えられ旧制中学に学び、4年生(16歳)の時、仲間と共に社会科学研究会をつくります。その後中退し上京、電機学校(現東京電機大)に入学。東京では築地小劇場に刺激を受けますが伯母の死で学費が途絶えて31年春、帰郷。「荘内春秋」新聞の編集に加わり、「プロレタリアスポーツとは何か」など多くの記事を寄稿。その一方、プロレタリア作家同盟、演劇同盟、映画同盟また同文化連盟などの支部を鶴岡の町に次々と発足させ、それらの活動を「荘内春秋」や「荘内新報」に載せる活動を精力的におこないます。また、作家同盟機関誌『荘内の旗』を創刊しますが、多喜二労農葬の日(33年3月15日)に4回目の予防検束を受け、第1号はすべて押収され、第2号も所在不明。第3号の1冊だけが奇跡的に発見され、そこに多喜二への思いと虐殺への怒りをこめた作品「黙祷(二)」(筆名、浮田進一郎)をみることができます。この時期の著作には戯曲「遺族」(演劇同盟機関紙『鍬と銃』)など14編が見いだされています。

 36年2月、再び上京、岡部隆司らとともに日本共産党の再建運動に取り組む一方、雑誌『機械工の友』の創刊(38年9月)から編集に深くかかわり読者会を精工舎や東京計器など数社に組織、『中央公論』に「生田修」名で2編、ダイヤモンド誌に1編とほかに絶筆となる長編小説「河岸」を「最上駿作」名で発表しています。これらの作品は、「労働者の幸せのためにこそ新しき政治が打ち立てられるべき」(「一旋盤工の生活より」『中央公論』54年巻)という勇作の思想にそって、労働者の向上心と仲間同士の助け合い、励ましあい、家族への温かい思いやりの大切さ、を描いています。

 池田勇作は、これまであまり知られていませんでしたが、池田道正・山形大学名誉教授らの努力で、昨年春、遺作集『魂への道標―池田勇作と郁の軌跡』が出版され、ブログhttp://ikeda−yusaku.blogspot.com/もつくられています。(道)

 〔2009・1・24(土)〕


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