2009年1月5日(月)「しんぶん赤旗」

手持ち25円 ビラ見て来た 助けて

温かい支援 ホッと

派遣村


写真

(写真)炊き出しの昼食に並ぶ「年越し派遣村」の人たち。奥に見えるのが宿泊用テント。一部画像処理しています=4日午前、東京・日比谷公園

 日が落ちると急激に冷え込んだ四日の東京・千代田区の日比谷公園。「人間としての誇りをズタズタにされた」と訴える元証券マン。「友人のところにいましたが限界です」と、「年越し派遣村」を訪ねてきた日雇い派遣で働く女性(28)…。「派遣切り」とたたかう仲間の連帯の輪が公園を囲みました。

 「川崎市の三菱ふそうを十一月末に解雇された」という男性(37)は、「二十五円しか持っていません」といいます。

 男性は三菱ふそうで派遣労働者として働く二年半前までは、証券会社でサラリーマンをしていました。

 「証券会社で働いていたときは、睡眠時間は三時間から四時間。家族が崩壊し、会社を辞めて派遣に登録しました」

 派遣先では、トラックやバスのエンジンカバーを取り付ける作業。「汚い」「きつい」「危険」の3K職場でした。

 男性は「駅頭で『派遣村』のビラをもらい、歩いてきました。ここにきて生活保護を申請しました。もう失う物はない。希望をなんとか手繰り寄せたい」と、炊き出しの食事にホッとしていました。

 四日朝、「派遣村」に着き、生活相談を受けていた男性(35)は、派遣社員として愛知県の自動車下請け工場で、部品の設計をしていました。

 「乗る人の安全を考え、厳しい要求にもこたえてきたのに、非正規雇用だということで切られた」と、悔しさをにじませていました。「いまの生活は精神的にも苦しい。安定した暮らしがしたい」と話しました。

 「日本にこんなあったかい心をもった人たちがいたことに救われた思いがします」というのは、愛知県でトヨタ自動車の下請け工場で働いてきた二十七歳の男性派遣労働者。「ネットカフェなどで新宿や池袋で生活してきましたが、手持ちのお金はゼロに等しくなって、ここに来ました。東京なら求人があるだろうときたがだめでした。支援者に出会えてよかった」

 青森県出身の日雇い派遣の女性(28)。昨年三月ごろから仕事が減って、日雇いで働いてきました。「友だちのところにいたのですが、友だちから『派遣村』のことを聞いてきました。うつ病で働けません。助けてください」と、すがるように訴えていました。



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