2008年12月8日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

安房(あわ)を再発見

戦跡保存やガイド、合唱団

NPO法人安房文化遺産フォーラム 千葉・館山


 地域づくりをめざして千葉県の房総半島南部(安房地域)でNPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市、愛沢伸雄代表)が精力的に活動しています。戦争遺跡、中世の城跡、文化財の保存・活用、各種イベントから地域運動まで活動の幅を広げています。(上田明夫)


 活動の柱のひとつ戦争遺跡ツアーガイド(平和研修)は、フォーラム設立後の五年間で八百団体約二万人。最近の日程を聞くと―

 11月21日 労組の九条の会
 26日    全商連
 同      静岡地方のタクシー協会
 30日    政党関係者
 12月6日  旅行団体
 同      東京の労組
 7日     無料ガイド

 先月二十二、二十三日は若者向けに「戦国こすぷれ 里見八犬伝in館山」を主催。二十八日は「地域医療と看護学校問題を考える医師・看護師と市民の集い」もありました。十二月のこの後も東京の中学一年生四十人のガイドなどスケジュールはぎっしりです。

 戦跡ツアーの一つに参加してみると、ホテルの一室で映像を使った座学のあと赤山地下壕(ごう)へ。

 ガイドは、かつて釣りざんまいを夢見て移り住んだ小沢義宣さん(70)。六、七年前、愛沢氏らの戦跡調査の公民館活動に参加し「釣りができない日に歩いていると変なものに出合う。なんだろう、なんだろうと思っていましたが、案内と説明でそれがわかった」とこの道へ。

ウミホタルの歌

 青い光を放つウミホタル。館山は世界的にも有名な生息地ですが、戦時中、軍事利用で地元の子どもたちが採取を命じられました。平和研修で語り継がれ、生まれたのが合唱組曲「ウミホタル〜コスモブルーは平和の色」。NPO主宰の市民合唱団もでき、この十二月も三回の練習です。

戦国の城跡歩く

 戦国大名里見氏の史跡をめぐるウオーキング、空き店舗を活用した「まちかどミニ博物館」と多彩に活動する同フォーラム。一昨年、「あしたのまち・くらしづくり活動」で内閣官房長官賞を受賞、この十一月には千葉県知事から地域観光振興功労で表彰されたばかりです。

 事務局長の池田恵美子さんは「会員は二百人、ガイドは五十人ほどが活動しています。戦争遺跡とともに地域の有形無形の文化とその遺産を継承し、活用し、みんなが元気に、そして支え合う地域づくりをしたいですね」と話します。

平和、元気な地域づくり

NPO代表 愛沢 伸雄さん

 足もとの地域の人々の生活や文化を見つめ、再発見し、平和で元気よく住むことのできる地域社会にしたい。だれもが願うその思いから、「何もない」「保守的地域だから」ではなく、安房(「安らかな家」の意と解しています)という名に込められた地域を歩き、話を聞き、調査研究と運動を重ねると、その尽きせぬ魅力と特性を知ることができました。全国的にも貴重な戦争遺跡の再発見もその一つです。

 平和研修で訪れた方から自分の地域を見つめ直すきっかけになったという感想も寄せられています。この南房総を舞台に平和と地域活性化のネットワークがこれからも広がればすばらしい。地域コミュニティー、地域と地域、地域と世界を足もとからつなぐNPOの発展に力を尽くしたい。


太平洋戦争開戦の日 

要塞、特攻の軍都だった

 きょう十二月八日は、六十七年前の一九四一年、日本軍がハワイ真珠湾攻撃をした日です。主力は航空母艦と艦載機でした。愛沢氏らによると、軍都館山のシンボル館山海軍航空隊は空母パイロットの養成機関で、基地は「陸の空母」と呼ばれ、真珠湾攻撃とも深くかかわっていました。

 すぐ山側にある赤山地下壕は「住民から、ごみ捨て場で子どもが遊んで危ないという訴えがあった所」とフォーラム会員の神田守隆さん(元共産党館山市議)。市民とともに神田さんも議会で尽力し、今は館山市指定文化財として一般公開されています。

 調査で秘密のベールをはがし、総延長約二キロの地下要塞(ようさい)の姿を市民と全国に知らせ文化財にまでしたのが、当時県立高校で「世界史」を教えていた愛沢氏ら市民だったのです。

岬や海岸線には

 戦争遺跡は館山市だけで五十カ所近く。安房文化遺産フォーラムが出版した『あわ・がいど 戦争遺跡』を手に海辺を行くと、常緑のマテバシイの樹林、波打ち際、あるいは今は中学校のなかに戦争遺跡の数々が。

 南房総は明治期から「東京湾要塞地帯」に指定され、戦争とともに強化されました。指折りの景勝地、大房(たいぶさ)岬(南房総市富浦)は岬全体が要塞跡でした。

 南に行くと、太平洋諸島の上陸作戦訓練にはぴったりの平砂浦(へいさうら、白砂青松百選)を演習場にした館山海軍砲術学校跡。常時一万五千人が訓練したという当時の写真パネルが展示してありました。

本土決戦に備え

 海岸線を行くと、戦争末期の本土決戦に備えた水上特攻艇「震洋」などの特攻基地跡です。海から離れたところには本土決戦の切り札、ロケット特攻機「桜花」の基地跡も。

 南房総に展開した七万の軍隊が本土決戦・「第二の沖縄戦」の臨戦態勢のまま一九四五年八月に敗戦の日を迎えます。九月三日、米占領軍本隊約三千五百人が館山に上陸、四日間でしたが本土で唯一「直接軍政」をしきました。軍政解明のきっかけは「中学校の日誌で記述を発見したことから」(池田事務局長)といいます。

 要塞・訓練・特攻―サンゴの北限の温暖な気候と花、海水浴や釣りの観光とレジャーのまちのもう一つの顔です。

地図

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