2008年8月18日(月)「しんぶん赤旗」
「決定的場面」と日本共産党
後期高齢者医療制度 原型時から危険を見抜く
決議に反対厚労省資料も明記
七十五歳以上の医療を差別する後期高齢者医療制度について、日本共産党は、制度の原型が現れた当初から危険な本質を見抜き、たたかいの先頭にたってきました。「決定的な場面」で共産党が果たした役割は―。
包括・定額化
二〇〇〇年十一月三十日の参院国民福祉委員会(現在の厚生労働委員会)。この日、高齢者への定率窓口負担導入などを盛り込んだ健康保険法改悪案の最後の質疑が行われました。日本共産党の井上美代議員(当時)は、「お年寄りが生きていくことへの夢がなくなるような政府のやり方には納得できない」ときっぱりと反対討論。しかし、改悪法案は与党の賛成多数で採択されました。
その直後です。委員長が、民主党の柳田稔議員を突然指名。柳田議員は、「自由民主党、保守党、民主党・新緑風会、公明党、社会民主党・護憲連合、無所属の会及び二院クラブ・自由連合の各派共同提案による付帯決議案を提出いたします」として、案文の朗読を始めました。
「老人保健制度に代わる新たな高齢者医療制度等の創設については、早急に検討し、平成十四年度(二〇〇二年度)に必ず実施すること」
「特に、老人医療及び慢性期医療については、包括・定額化を更に進めること」
ここには、いま大問題になっている後期高齢者医療制度の原型になる考え方が明確に盛り込まれていました。
しかし、反対したのは日本共産党だけ。他の各派の賛成多数によって付帯決議は可決されました。津島雄二厚相(当時)は、委員会の場で、「ただいまの付帯決議につきましては、そのご趣旨を十分尊重して努力いたします」と表明。政府は決議をお墨付きに、後期高齢者医療制度づくりを急ピッチで進めることになります。
最近、厚労省は、「約10年以上にわたる抜本改革の議論」などとして、後期高齢者医療制度制定の経過を紹介する年表資料をつくりました。
“後期高齢者医療制度は、政府・与党が独断でやったのでなく、野党を含めて賛成していた”ことを証明する目的で作成されたものですが、その年表には「(二〇〇〇年の)附帯決議・共産党以外賛成」と明記されました。
制度づくりの画期となった決議に、日本共産党だけが反対したという事実は、厚労省も認めざるをえないことを示すものです。
約10年前から
高齢者を年齢で差別する医療制度構想が具体化してきた「約10年」、つまり一九九〇年代後半から、日本共産党は反対を貫いています。
九七年六月十二日の参院厚生委で「老人医療制度について、できるだけ早期に新たな制度の創設も含めた抜本的見直しを行う」という付帯決議が、自民、社民、さきがけ、平成会、民主党、太陽党(当時)の共同提案によって可決されました。このときも反対したのは日本共産党だけでした。
この決議を受け、小泉純一郎厚相(当時)は同年八月七日、「二十一世紀の医療保険制度(厚生省案)」を作成・公表しました。そこでは「新たな高齢者医療制度は、若年者の医療保険制度とは別建て」「全ての高齢者について保険料を徴収」という考えが打ち出されました。
日本共産党は、いち早く国民的な反対運動を呼びかけ、「しんぶん赤旗」は「新高齢者医療制度」の問題点を追及するキャンペーンを展開しました。
二〇〇〇年十一月の第二十二回党大会では、「二十一世紀の医療保険制度」に描かれている青写真が実行に移されれば、すべての高齢者から保険料が徴収されるなど「きわめて深刻な事態になる」と警告。「憲法二五条に保障された生存権の根本が脅かされることになる」と強調しました。
追及の先頭に
日本共産党にはこのような首尾一貫した姿勢があったからこそ、後期高齢者医療制度を盛り込んだ医療改悪法案の審議(〇六年二月―六月)では制度の根源を突く追及の先頭に立つことができたのです。
民主党は〇五年総選挙のマニフェストで「独立性の高い新たな高齢者医療制度の創設」を公約しました。医療改悪法案には反対したものの、「後期高齢者医療の新たな診療報酬体系」を求めることを盛り込んだ付帯決議には賛成しました(〇六年六月十三日)。この時も、付帯決議に反対したのは日本共産党だけでした。
当時厚労相だった川崎二郎衆院議員は、「朝日」コラムニストの早野透氏に「日本共産党だけはちゃんと本質をついていた」と語りました。
日本共産党のたたかいが、国民世論と結んで、野党四党共同による後期高齢者医療制度廃止法案の国会提出につながり、同法案の参議院での可決という歴史的な情勢をつくりだしたのです。
日本共産党は次の臨時国会で廃止法案を可決・成立させるために全力をあげています。

