2008年8月3日(日)「しんぶん赤旗」

主張

北京五輪

選手が躍動する平和の祭典に


 北京オリンピックが八日開幕します。アジアで三回目の大会には、史上最多の二百五カ国・地域が参加を予定しています。東京大会(一九六四年)が九十三カ国、ソウル大会(八八年)が百五十九カ国ですから、規模の拡大はホップ・ステップ・ジャンプの勢いです。

 この広がりは諸国のスポーツ水準が向上してきたあらわれですが同時に、戦争と暴力を排し諸民族の平和な共存を願う国際世論の高まりと深く結びついた流れです。二十一世紀の平和な世界の実現という見地からも、北京オリンピックの成功が期待されています。

人間の多様な可能性を

 競技の世界地図にも変化が起こりそうです。主催国中国とともに進境著しいカリブ諸国、アジアとアフリカ、バルト三国などがこれまでのスポーツ先進国に伍(ご)して台頭する予感がします。スポーツを通し人間の多様な可能性を切り開く大会になってほしいものです。

 日本は過去最多の三百三十九人(男子百七十人、女子百六十九人)の選手団を派遣します。連覇や雪辱をめざす有望選手の活躍のほかに、今大会で打ち切られる野球やソフトボールなどにも注目が集まります。すべての選手・チームが実力を存分に発揮し、「アジアの一員」として大会を盛り上げる役割を担ってもらいたいと思います。

 競泳の北島康介選手がTシャツに「泳ぐのは僕だ」と書きました。スポーツの原点を貫いて選手が躍動してこそ、人びとは共感と感動をおぼえるものです。この点で、政府などが口を開けば「メダル」を強要するのは、その原点をゆがめる発想だといえるでしょう。

 北京大会は今後のあり方を問いかけるオリンピックともなるでしょう。ひとつは、テレビ放映の問題です。巨額にのぼる大会運営費を確保するために放映権料が高騰し、それを買い占めたアメリカのテレビ局が、競泳全種目と体操の団体・個人総合の決勝を午前中に設定したのです。これには「選手の体調に悪影響をおよぼす」との批判が出されています。選手本位のプログラムの確立が真剣に検討されなければなりません。

 ドーピング(禁止薬物使用)とともに、新たに物議をかもしているのが競泳の水着などの用品問題です。「より速く、より高く、より強く」をめざして、選手の競技力の向上とともにスポーツの器具や用具の改良は必然性を持っていますが、高価で特定の選手に限定されるのであれば、競技の公平・対等の原則を切り崩すことになります。この点での基準や規制にはより厳密さが求められています。

 この間、「環境にやさしいオリンピック」への探求に力が注がれていますが、大気汚染や地球温暖化問題がいちだんと深刻になっているもとで、さらに抜本的な対応が求められています。大都市での一極集中の開催形態でよいのか、熱中症の危険もある高温多湿の開催時期がはたして適切なのか、正面から考えたい問題です。

平和のメッセージ発信を

 オリンピックは世界の競技者と人びとが一堂に会するスポーツの祭典です。それをテロで破壊したり、政治的に利用することはあってはなりません。

 北京オリンピックの十六日間が、人間的な感動にあふれ、平和のメッセージを発信する舞台となることを願ってやみません。


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