2008年5月30日(金)「しんぶん赤旗」

ネパール 共和制宣言

制憲議会 240年の王制廃止


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(写真)「共和国を確実に宣言せよ」と議会に訴えるデモ=28日、カトマンズ(豊田栄光撮影)

 【カトマンズ=豊田栄光】ネパール制憲議会は二十八日招集された初会合で、二百四十年近く続いた王制を廃止し、連邦共和制を宣言する決議案を可決しました。賛成五百六十、反対四の圧倒的多数の支持でした。

 議会はギャネンドラ国王に対し、二十八日から十五日以内にナラヤンヒティ王宮からの退去を要求し、二十九、三十の両日を祝賀のための休日とすると発表しました。

 新政府樹立をめぐる主要政党の協議の影響を受けて、この日午前十一時に始まるはずだった制憲議会は二度の延期を経て、午後九時十五分に開会。共和国に反対する議員の討論終了後の午後十一時十五分に投票結果が明らかにされると、議員たちは机をたたいたり、拍手をして喜びを表しました。

 早朝からデモ隊が制憲議会が開かれる国際会議場周辺に集結し、「きょう、確実に共和国を宣言せよ。新しいネパールをつくろう」などとシュプレヒコールをあげました。

 共和国宣言が可決されると、深夜にもかかわらず千人以上の人たちが祝賀集会に参加。「やったぜ! きょうから国王は一般人」。「民主主義を発展させるぞ!」などと歓声をあげました。


解説

歴史的転換 政府樹立は難航

 制憲議会が共和制を正式に宣言したことでネパールは歴史的な転換点を迎えました。しかし反政府武装闘争を進めてきた毛沢東派が制憲議会の第一党を占めていることなどが波乱要因となり、複雑な情勢展開も予想されます。

 ネパールでは民主化運動の結果、一九九〇年に政党活動の自由を認めた立憲君主制の憲法が成立し、政党が政府を組織するようになりました。しかし政権を担った政党は離合集散を繰り返し、国民の支持離れを招きました。他方、毛沢東派は九六年に反政府武装闘争を開始しました。

 ビレンドラ国王(当時)ら一族の虐殺事件をへて即位したギャネンドラ国王は二〇〇二年、政党政治機能不全を理由に下院を解散させ、〇五年には政党内閣を放逐して直接統治をとる暴挙にでました。

 ネパール会議派(NC)やネパール共産党(統一マルクス・レーニン主義=UML)など議会主要七政党は同年十一月、国王の直接統治終結、制憲議会選挙実施で毛派と合意。その後、民主化を求める国民運動が高まり、国王は〇六年四月、主権を国民に戻し、下院を復活させることを余儀なくされました。

 これによって成立したコイララ政権と主要政党は同年十一月、毛派と包括和平で合意し、今年四月に制憲議会選挙を実施。毛派は議席の三分の一強を占め、第一党となりました。

 共和国宣言を採択した制憲議会ですが、首相と新設の大統領選出を含め、政府の樹立は難航しています。

 毛派主導の政府を避けるため、第二党のNCと第三党のネパール共産党(UML)は、政府の発足と解任を阻止できる「三分の一」規定を「過半数」に変更することを図っています。(カトマンズ=豊田栄光)


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