2007年9月27日(木)「しんぶん赤旗」

ミャンマー 非暴力デモ弾圧

抑えられない軍政への怒り


 【ハノイ=井上歩】ミャンマーの僧侶を中心とした反軍事政権デモは日増しに規模が拡大し、二十六日には軍政治安部隊が僧侶や市民、学生などのデモ参加者に対する弾圧に乗り出し、僧侶が死亡という事態になりました。非暴力のデモに武力弾圧を加えた軍政への内外からの批判が強まることは必至です。

 デモの発端は、八月十五日にガソリンなど燃料費が大幅に値上げされ、国民生活を圧迫したこと。燃料費値上げにともなって物価も上昇し、先月十九日から値上げに抗議するデモが頻発。自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)メンバーの拘束も相次ぎました。

 五日には中部パコックで燃料費値上げに抗議する僧侶のデモに兵士が威嚇発砲し、拘束の際に僧侶に暴行、負傷させる事件が発生。僧侶たちは同事件に憤慨、軍政に謝罪を要求し、謝罪期限が過ぎた十八日から数千人規模のデモを各地で開始しました。

 デモは各都市に広がり、学生や一般市民が支援・合流。二十四日、二十五日には最大都市ヤンゴンで十万人規模にまで膨れ上がりました。

 デモの要求は、当初の謝罪要求、燃料費値下げだけでなく、「スー・チーさん解放」「民主化を」が加わり、軍政打倒の声もあがっているといいます。二十二日にはスー・チーさんの自宅前を通過したデモ隊の僧侶とスー・チーさんが対面し、僧侶が言葉をかけました。

 デモは、若手僧侶を中心にした僧侶団体の連合体「全ビルマ僧侶連盟」が主導しているとされます。同連盟は僧侶暴行事件を機に結成されたとされ、国民にデモ参加を呼びかけています。ミャンマーのニュース関連サイトには、「邪悪な軍事政権追放」を訴える同連盟のものとされる声明も掲載されています。


民主化の約束をほごに

 ミャンマーでは一九八八年に学生デモと民主化運動が高まり、大規模なゼネストが発生。これに対し国軍が同年九月にクーデターで全権を掌握し、抗議デモの学生、市民に発砲して推定千人以上を射殺しました。軍政は総選挙実施・民政移管を公約しましたが、九〇年五月の総選挙でNLDが80%以上の議席を得て圧勝すると、「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果の受け入れを拒否しました。

 軍政は選挙前の八九年から断続的にNLD書記長のスー・チーさんを自宅軟禁し、現在も二〇〇三年五月以来の軟禁が続いています。スー・チーさんの軟禁と身柄拘束は通算十一年を超えています。

 批判を強める国際社会に対して軍政は、二〇〇三年八月に民主化ロードマップを発表し、憲法の基本原則をまとめる「国民会議」の開催、新憲法国民投票、総選挙など実施していくとしてきました。

 「国民会議」は長期休会を繰り返し十四年以上を費やして今月三日閉幕しました。しかし合意された憲法基本原則は、軍の指導的役割を保証し、正副大統領三人のうち一人を軍が選出、議会定数の四分の一は軍が任命する、という内容となりました。

 ミャンマーの国民には、そもそも軍政が総選挙結果を拒否し、民政移管の約束をほごにしていることに根本的な不満がある上、経済の遅滞や生活環境の悪化、市民、活動家の相次ぐ逮捕・弾圧などで軍政への不満がさらに高まっているとみられます。

 「民主化プロセス」の一段階である国民会議閉幕と同時期に、八八年の民主化運動以来最大規模の反軍政運動が高まっているのは、国民の強い不満の表れだととれます。

 ミャンマーはおよそ五千万人の人口の約90%が仏教徒で、僧侶は国民の尊敬を受けています。軍政が二十四日に対抗措置をとるとの警告を出したにもかかわらずその後も僧侶主導の大規模なデモが行われ、軍政と僧侶、市民の対立構図は深まっています。(井上歩)


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