2007年7月15日(日)「しんぶん赤旗」

1922〜2007年 日本共産党創立85周年

党名に込められた願いと歴史


 日本共産党はきょう十五日、党創立八十五周年を迎えました。いまたたかわれている参院選挙で日本共産党は、「『ストップ貧困、憲法九条を守れ』の願いを日本共産党にこぞってお寄せください」と訴えています。この訴えは、党創立以来、国民のくらしと権利を守り、反戦・平和を貫いてきた歴史に裏付けられたものです。


反戦・主権在民 憲法に

 日本共産党は、一九二二年七月十五日、「侵略戦争反対、植民地支配反対」「主権在民」の旗を掲げて生まれました。天皇制政府のひどい弾圧のもとでも、侵略戦争に反対し、平和と民主主義の実現のために不屈にたたかいました。こういう歴史をもつ政党は、日本ではただ一つです。

 二三年の「綱領草案」で外国に対するあらゆる「干渉企図の中止、朝鮮、中国、台湾、樺太からの軍隊の完全撤退」を掲げました。

 これに対し、「政友会」「民政党」「社会大衆党」など、現在の自民党や旧社会党の流れをくむ民主党、社民党の先輩たちは侵略戦争を推進・協力しました。戦後、名前を変えて出発せざるをえませんでした。

 戦後、日本の政治体制をめぐって「国の主権者は誰か」が大きく問われました。日本共産党だけが四五年十一月に発表した「新憲法の骨子」で「主権は人民にある」と主張し、翌年六月に「日本共産党憲法草案」を発表しました。今の憲法の「主権在民」として実りました。

 日本共産党は綱領路線で、戦争を放棄し、戦力不保持を定めた憲法九条はもちろん、すべての国民に健康で文化的な生活をおくる権利を保障した二五条など、憲法のすべての条項を守り、生かす立場を明らかにしています。

 いま改憲の中心にいるのは、“アジア解放の正しい戦争だった”“従軍慰安婦はいなかった”という戦前・戦時の日本を「美しい国」だったという「靖国」派の人たちです。

 戦前から反戦・平和を貫く、たしかな政党、日本共産党の議席をのばすことが、憲法九条を守り抜き、戦争への道にストップをかけるたしかな力になります。

ストップ貧困 戦前から

 ネットカフェ調査をはじめ雇用問題の解決や「緊急福祉1兆円プラン」の実現などに全力をあげている日本共産党。「ストップ貧困」の精神・活動は、党創立以来の一貫したものです。

 日本共産党は創立翌年の二三年の第二回党大会で検討した「綱領草案」に、すでに八時間労働制の実施、失業者保険をふくむ社会保障制度の充実、最低賃金制の実施、税制の民主化などの課題をあげました。

 二六年秋から二七年にかけて「健康保険法」闘争がたたかわれました。当時の健康保険法は、資本家と労働者が半分ずつ保険料を負担するとしていました。日本共産党は資本家の保険料全額負担、傷病療養期間中の日給全額および療養費の支給の要求をかかげ、日本労働組合評議会(評議会)とともに、いくつかの工場では資本家の保険料全額負担、保険料分の賃金引き上げなどを実現させました。

 日本資本主義が激しい金融恐慌に陥った下、日本共産党は生活防衛の大闘争を呼びかけました。さらに、失業手当法、最低賃金法、八時間労働法、婦人青少年労働者保護法などの制定、健康保険法改正などを求める「五法律獲得」の運動を展開しました。

 戦後も、日本共産党は、党組織を再建する中で、「米よこせ」闘争など生活と権利のための国民的なたたかいの先頭にたちました。

 日本共産党が躍進した七二年の総選挙後には、大商社や石油元売会社などが、コメ、土地、木材、マグロ、石油などを買い占め、売り惜しみ、投機をおこなった問題で、総合商社六社代表をよんでの国会追及が実現しました。

 悪徳商法に対する国民の怒りは、経団連(現日本経団連)にもむかい、抗議のデモ隊がおしよせ、抗議文も殺到。日本共産党が経団連会長に直接談判するところまですすみました。

政治とカネ問題 腐敗と無縁

 「事務所費」疑惑など相次ぐ閣僚や自民、民主にまたがる「政治とカネ」問題。地方政治をみても、公明党区議団が政務調査費の不正使用で全員辞職に追い込まれる(東京・目黒区)など政治の不正・腐敗を正すことは急務です。

 「共産党の政治家は、政府に打撃を与える金銭スキャンダルを繰り返し暴露してきた。彼らは、権力からあまりに遠く離れた場所に身をおいており、日本の政治につきものの汚職に染まっていない」(米国週刊誌『タイム』のウェブ版記事)。日本共産党が海外メディアからもこう評されるのは、企業・団体献金も政党助成金も一切受け取っていない唯一の政党だからです。

 日本経団連は政治献金とひきかえに財界の要求を自民・民主両党に実行させるために両党の“通信簿”までつけています。

 政党助成金は、国民が納めた税金を政党が分け取りするもの。これまで三千七百億円以上もの税金を日本共産党をのぞく政党が分け取りしました。自民・民主の政党助成金収入は、それぞれ全収入の60%、83%も占めています。

 日本共産党は自らの活動の財政的基盤を、党費や個人のカンパ、そして「しんぶん赤旗」などの収入に置いている清潔な党です。


「共産主義」の意味

 「共産主義」を意味する英語の「コミュニズム」の語源は、ラテン語の「commune」(共同の)。フランス語では「コミューン」と読み、共同体を意味します。「コミュニティー」(共同社会)も、同じ語源を持つ言葉です。

 「共産主義」の本来の意味は、「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」(日本共産党綱領)をめざすこと。武力による衝突や人間による人間の搾取もなく、人間が互いに協力しあう新しい社会をめざす願いが込められています。

 「共産主義」を掲げながら旧ソ連は、国民への抑圧やアフガニスタン侵略など、社会主義・共産主義の本来の大義に反する重大な誤りを犯した結果、崩壊しました。

 日本共産党は、どの国の支配も受けない自主独立の原則を貫き、科学的社会主義の理論を発展させてきました。当面は資本主義の枠内での民主的改革をすすめ、将来、社会主義・共産主義社会をめざすことを展望しています。

海外から見た日本共産党

 「覇権主義に反対するたたかいで大変な戦闘力を発揮してきた党であり、人心を得ている」(二〇〇三年八月十一日に日本共産党本部を訪れた中国の李肇星外相=当時=が不破哲三議長=当時=との会談で)

 「私は、日本共産党について研究しました。一九二二年に党を創立されて以来、戦前の困難な時期、戦後の党内部分裂などをくぐり抜け、また二つの大きな共産党の干渉にもかかわらず、自主独立を維持してきました。チェコスロバキア、アフガニスタンへの侵略に対しても反対し、自分の頭で考え、自分の路線をさだめてきた政党だということを知っています。私は、あなたの党に最大の敬意の念を抱いています」(パキスタンのモハメド・ミヤン・スムロ上院議長、二〇〇六年九月十九日に同国訪問中の志位和夫委員長との会談で)

「にんげんをかえせ」 日本共産党員詩人 峠三吉

 「わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ」(『原爆詩集』序)

 この詩を書いたのは、原爆詩人と呼ばれた峠三吉(とうげ・さんきち、戸籍上は「みつよし」)です。今年は生誕九十年です。

 広島で、爆心から三キロの場所で被爆した峠三吉は、民主主義的文化運動に参加し、一九四九年四月、病床で日本共産党に入党しました。GHQ(連合国軍総司令部)下の日本は、朝鮮戦争を目前にし、「原爆反対」を口にするだけで共産党員とみなされる状況すらあった時代でした。

 「朝鮮での原爆使用を考慮中」という米大統領の声明(一九五〇年十一月三十日)を聞いた峠三吉は『原爆詩集』をまとめる決意をし、入院中のベッドの上で「にんげんをかえせ」を書きました。

 辞任した久間前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言に象徴される、アメリカの核戦略に追随する自民・公明政権の姿勢がいま問われています。

 峠三吉の詩は呼びかけています。

 「いまでもおそくはない/あなたのほんとうの力をふるい起すのはおそくはない」(同)


草の根の運動

 子どもの医療費――40年にわたる運動で無料化 新日本婦人の会が声をあげ、日本共産党が国会でとりあげた子どもの医療費無料化は全国で実現。「小学校卒業まで」「中学校まで」とさらに広がっています。

 少人数学級――46道府県で実現 「不登校が減った」「わかるまで学べる」と好評の少人数学級が小学校の9割、中学校の7割で実施されています。父母、教師の運動と日本共産党が協力した成果です。

 「サービス残業」――国会で280回以上の質問 無法な「サービス残業」=ただ働きの実態を国会で繰り返し追及。政府を動かして是正の「通達」を出させ、五年間で八百五十二億円の未払い残業代を支払わせました。「偽装請負」を追及し、直接雇用の道をひらきました。


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