2007年4月23日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

「9条の国」にあこがれて

自転車で日本一周「平和憲法守ろう」

英国から来日 チャーリーさん


 「憲法九条がある国に住みたい」―。イギリスから来たチャールズ・ワードさん(27)=チャーリー=は自転車で日本を回り、鶴に似た折り紙「きゅうちゃん」を配りながら平和憲法の大切さを話してきました。一年がかりで日本一周を終えた今も、きゅうちゃんの普及や講演会で九条の大切さを訴えています。(伊藤悠希)


「きゅうちゃん」

図

 きゅうちゃんはしっぽを引っ張ると羽が動く仕掛けになっています。羽をパタパタさせながら道行く人に話しかけるのがチャーリーさんのやり方です。

 三月上旬、観光客でにぎわう京都市嵐山。雪もちらつくなかの宣伝です。立ち止まった人に「これ、きゅうちゃん。なんでかわかる? 憲法九条から取りました。憲法九条知ってる? 変えられようとしているんだよ」と話を進めていきます。

 きゅうちゃんを受け取った、大学生の木下真希さん(19)と高島千尋さん(19)は「憲法が変えられようとしていることは知らなかった。知っておかんとあかんな」「九条に関心持っていかないとね。自分の国のことを知らないと外国にも行けないね」と話していました。

まずやってみる

 チャーリーさんが憲法九条を知ったのは高校生のとき。インターネットで検索をして発見しました。「戦争をしない宣言をするなんて、すばらしいな」と思いました。以来、平和憲法を持っている日本に行きたいと思っていました。実現したのは二〇〇四年。長野県松本市で一年半、英語の講師をしました。

 もっと日本のことを知りたくて〇六年四月、日本一周の旅に出ました。地球にやさしい、環境にいい農業を学ぶため、十八カ所の農家に泊まって、ボランティアで有機農業を体験しました。

 広島県三原市でお世話になった人から、初めて憲法が変えられようとしていることを聞きました。憲法九条を変えてアメリカと一緒に戦争ができる国にしようとしている人たちがいることも知りました。

 チャーリーさんの旅の目的がここから変わりました。「九条を守るために何かしたい」。きゅうちゃんが生まれました。

 「できるかどうかわからないから何もしないのではなく、まず何かやってみることが大事。やらずにはわからない。その後、よりよい方法が思いつきます。誰でもできることです」

 配り始めは大分県でした。沖縄へ行くまで約二千羽を配りました。一日二、三時間から始め、百円のカンパをもらったとき、「続けていける」と自信がつきました。五百円、缶コーヒー、千円のカンパが集まっていきました。予想以上の反応でした。

 配りながらさまざまな人に出会いました。九条のことを初めて聞いた人、無視する人、興味がない人、変えたい人、守りたい人、どっちがいいかわからない人。チャーリーさんが一番きついと感じたのは、「大丈夫。心配しないで、変わらないよ」という人でした。

 「憲法九条は私や日本だけの問題ではありません。平和をつくることは戦争をすることよりも知恵と勇気と努力がいることです。九条は戦争をなくすための解決策。九条を世界中で実現することはすべての人の願いです。変えられたらどうやって世界に広げられますか?」

一緒に頑張ろう

 チャーリーさんは街頭で宣伝するだけでなく、立ち寄った先の市役所や報道機関も積極的に訪問しました。地元のテレビ局や新聞に取り上げられたこともたびたびあります。

 沖縄では、米軍基地の多さに驚きました。憲法九条が生かされていないことも知りました。辺野古では新基地建設に反対して座り込んでいる人たちと交流し、ビデオ映画を作りました。

 改憲反対のポスターや署名用紙も作りました。少しでも多くの人に立ち上がってもらいたいからです。各地で協力者が広がっています。

 きゅうちゃんを広めつつ、沖縄から長野へ戻る道程では市民団体や共感してくれる人たちに呼ばれて講演もしました。日本一周の旅を終えた四月も、講演活動は続いています。

 「九条を持っている国は世界で一つしかありません。勇気を持ってください。みなさん一人ひとりの行動が世界平和にどう影響するか考えてみてください」と訴えています。

 チャーリーさんは言います。「『がんばって』と励ましの言葉をもらえるのはうれしい。でも『一緒にがんばろう』はもっとうれしい」


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挑戦をしたいけれど無難な道への思いも

  この春、就職したけど、実は大学院にも在籍中です。本当は、学生として挑戦したいことがあるのに、いろいろ考えすぎて行動に移せません。「このままでは後悔するだろうな」って思うけど、親や世間の求める“無難な道”も理解できて…。(25歳、女性。東京都)

「がんばれる困難な道」へ

  私も十年前にあなたと同じことを考えていました。就職するのか、大学で研究を続けるのか、あるいは家業の豆腐屋を継ぐのか、やりたかったボクシングを始めるのか…。

 そして、いろいろと考えて選んだ道が豆腐屋とボクシングでした。あのころの周囲の目はたしかに厳しかったですね。「おまえは道を間違っている」と言われたりしました。しかし、もし別の道に進んで、豆腐屋がつぶれてしまったり、あるいは年をとったときに「あのときボクシングやっていれば」などと考えている自分の姿を思い浮かべたとき、なんだかゾッとしました。

 たしかに世間で言われる「無難な道」というのもあると思います。とくに親がその道を求めるのもわかりますよね。でも「無難な道」というのは決して「楽な道」という意味ではありません。どんな道に進んでも大変なことは間違いありません。もしその「無難な道」があなたにとって「やりがいのない道」「がんばれない道」だとしたらきっと後悔するでしょう。それならばあなたにとって「がんばれる困難な道」に進んだらどうでしょうか。

 一番大切なのは最後は自分自身で道を決めることだと思います。その意思は苦しいときでもがんばれる力になりますし、たとえ失敗しても前向きでいられると思います。


第41代日本ウエルター級チャンピオン 小林 秀一さん

 東京工業大学卒。家業の豆腐屋を継ぎながらボクシングでプロデビュー。99年新人王。03年第41代日本ウエルター級チャンピオン。


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