2007年4月6日(金)「しんぶん赤旗」

コソボ問題 安保理で協議

独立めぐり賛否両論


 セルビア共和国コソボ自治州の最終的地位をめぐる国連安全保障理事会の協議が三日、開始されました。民族間の武力対立と北大西洋条約機構(NATO)の軍事介入を経たコソボ問題での結論は、諸民族が複雑に入り組んだバルカン半島だけでなく、世界各地にも波紋を広げることは確実。それだけに対立するセルビアとコソボのアルバニア系住民を含め、安保理が一致して合意に達しうるかどうか、予断を許しません。(パリ=浅田信幸)


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 安保理協議では仲介役を務めるフィンランド前大統領のアハティサーリ国連事務総長特使が「コソボの政治的安定と経済的実現性を確保する唯一の選択肢」として、コソボ独立を勧告した報告書と独立までの道筋を示した包括案を説明しました。

 安保理では、五常任理事国のうち米英仏が独立賛成、中ロが反対。十の非常任理事国ではインドネシア、南アフリカ共和国、コンゴが独立支持を表明しつつ、分離独立運動をあおる先例となることに懸念を表明しました。また複数の国が明確な態度を表明せず、対応は割れたと報じられています。

 報道によれば、コソボの最終的地位を定める安保理決議案についての交渉は、今月末以降になる見込みです。

 アルバニア系住民が90%を占めるコソボでは一九九〇年代末から武力闘争も辞さず独立をめざす動きが広がり、セルビア系住民へのテロに対する報復としてセルビア側が軍を派遣して戦闘状態になりました。

 セルビア側によるアルバニア系住民虐殺が広く喧伝(けんでん)される中で、「人道的介入」論をたてにNATO軍が九九年三月に対セルビア空爆を実行。二〇〇〇年以降、コソボに進駐したNATO軍を中心に国際安全保障部隊(KFOR)が治安を担当し、国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)の下で〇二年には自治州政府が成立しました。

 コソボは、十四世紀末から二十世紀初頭までオスマン帝国の支配下にありました。それ以前には中世セルビア王国の首都が置かれており、セルビア人にとっては「民族揺籃(ようらん)の地」ともいわれます。歴史的変遷の中で生じた民族構成の変化が、今日の問題解決を複雑にしています。

 将来的にセルビアもコソボも含めてバルカン半島全域の統合をめざす欧州連合(EU)は、安保理常任理事国の英仏を先頭に一応コソボ独立支持です。しかし域内に分離主義的な少数民族問題を抱えるスペイン、スロバキア、ルーマニア、キプロスなどは慎重な構えで、三月末の臨時外相会議では統一姿勢を打ち出せませんでした。


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