2007年2月19日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

バーで聞く 被爆者の人生

広島市 冨恵洋次郎さん 「毎月開催、身近に考えてほしい」


 米軍によって、広島に原爆が投下された8月6日にちなみ毎月6日、被爆者の話を聞く会を開いている青年がいます。広島市中区でバーを経営する冨恵(とみえ)洋次郎さん(27)。参加者は20代がほとんど。これまでに300人近くの人が参加しています。2月で1周年を迎えました。(伊藤悠希)


 二月六日、冨恵さんが経営する「スワロウテイルバー」。二十人ほどの参加者が被爆者の声に耳を傾けました。語り部の阿部静子さん(79)の声がしっとり伝わります。

 阿部さんは十八歳のとき、一・五キロのところで疎開作業中に被爆。右半身をやけどし、ケロイドで顔が変わってしまい毎日泣き暮らしたことなどを語りました。「自分も泣いたが親も泣かせてきました。親を泣かせることがあったら決して平和ではありません」

 友達に誘われて参加した会社員の女性(28)=広島県三原市=は「阿部さんはいじめも小さな戦争と。今は人間関係が希薄といわれてますが、つながりからつくっていかないといけないのかなと感じました」と話します。

気軽な感じ

 冨恵さんは広島市で生まれ育ちました。祖母が被爆した被爆三世です。高校卒業後、群馬県の大学に進学。半年で中退し、千葉のバーで働きながらバーテンダーの修業を積みました。

 「自分のやりたいことをやるためには自分の店を持つしかない」。地元に戻り二十歳で店を持ちました。

 広島には「平和」に関心がある人たちが県外から来ます。「観光客の質問に地元の人が答えられないようでは格好悪い」と感じていました。バーで話していても、「原爆はなぜ落とされたのか」「誰が開発したのか」「どの飛行機が落としたのか」などの質問に答えられず歯がゆい思いをしたこともありました。「相手は原爆のことを勉強したくて来てる。(小学校のとき平和教育があったから)勉強してたつもりだった」

 「広島好きというとる割には全然知らないな」と感じ、広島平和記念資料館に定期的に通いました。平和公園内にある「慰霊碑」を二十四時間で回ることも思いつきます。

 二階に店舗を拡大し、変わったことをしようと考えていました。客に話すと「原爆の語り部がいいんじゃない」。カチッとスイッチが入りました。構えなくてもいいように、自分のバーでやろうと考えました。テーマは「毎月聞ける環境にすること」「『そういえば今日、原爆の語り部やっとるけん行こうか』という気軽な感じにすること」。自分が聞きたいのはもちろん、お客さんにも聞かせたいという気持ちでした。

 企画書を書いて資料館に。資料館の担当者と話し合い、酒は出さない、営業時間外にやるということが決まりました。「被爆者の方が『いいよ』というなら僕は飲みたい。一杯程度なら、リラックスして聞けるし、質問する勇気が出るかもしれないから」

 初めは客を呼ぶのに必死でした。メールや電話をしたり、ブログに書いたり…。最近は呼ばなくても来てくれます。「興味がある人は増えてるんじゃないかな」

 八月六日はクラブでイベントを企画、約百人集まりました。平和の歌を歌う地元ミュージシャンを呼び、元原爆資料館館長の高橋明博さんが被爆体験を語りました。昨年、東京では知り合いのカフェバー(下北沢・フリーファクトリー)でも八月と十月に開きました。東京のスタッフも賛同し、これから定期的にやることが決まっています。

人に優しく

 冨恵さんが十四人の被爆者の話を聞き続けて、感じたことがあります。同じ被爆者なのですが、十四通りの話でした。「被爆後、こうやって生きてきたという、生き方を聞くのが楽しい。あの時代に生きた〇〇さんの話を聞く感覚になり、被爆体験以上のものが聞けるから、毎回聞く」

 冨恵さんは毎回、被爆者に「僕らに協力できることはありますか」と尋ねます。ほとんどの方が「目の前の人に優しくして。けんかはしないで」と言います。「戦争と原爆でめちゃくちゃにされた人たちが今の時代の僕たちに人間対人間の根本的なこと、思いやりが大切と言ってくれるのでわかりやすいですね」

 冨恵さんは被爆体験を子どもたちに継承することを考えています。被爆者の平均年齢は七十五歳。直接聞くことは難しくなります。「僕らが伝えるしかなくなる。次の世代が引き継げるかどうかはどれだけ僕たちが聞けるかにかかっています」

 初めのころから証言者の反応は変化しています。「気持ちよく話せた」と手紙や年賀状をくれる人、終わってから一緒に飲んでくれる人。「ここでは目の前に客がいるし、質問もすぐ出ます。反応がすぐ伝わるのがいいのだと思う」

 ずっと続けていくことが冨恵さんの目標です。「うちに来て平和の問題に目覚めたり、活動したいと思えばやればいい。毎月来て、身近なところから平和を考えてもらえばうれしいですね」


お悩みHunter

彼は「入籍」のぞむが名前は変えたくない

  同棲(どうせい)して八年、三月に結婚を控え籍を入れるべきか悩んでいます。彼は「五十年前の感覚の中で生活している人と親せきと対等に付き合うため籍に入ってほしい」と。私は慣れ親しんだ名前のまま一生を過ごしたいと考えています。周囲からは私がわがままを言っているように扱われて不快です。(31歳、会社員。奈良県)

夫婦のあり方、ゆっくり考えて

  名前は、その人のアイデンティティーの象徴とも言えるものですから、名前を変えたくないという気持ちは当然だと思います。私の周りにも「名前を変えるのはイヤ」「仕事・人間関係が切れる」と夫婦別姓を選択する夫婦はたくさんいます。名前を変える不利益を女性だから、慣例だからという彼の考えこそ変えてほしいところですね。

 ただ現在では、籍を入れないことで、税制上の配偶者控除制度が使えない、夫の死亡時の相続権などが当然には認められないなどの不利益があります。しかし、上記の点も、配偶者控除の適用のない夫婦には関係ありませんし、相続権については遺言しておくなど不利益を避ける方法もあります。「入籍」しなくても相手方の親せきとのつきあいでは、通称として相手の姓を名乗る方法や、「入籍」して戸籍名とは別に通称として今の姓を名乗る方法もあります。

 夫婦のあり方や周囲とのつきあいは、二人の仕事や子どもの有無など時間とともに変わります。

 あなたたちは長年同棲してきて、結婚後の生活の実質はそれほど変わらないでしょう。「入籍」はいつでもできます。それに選択的に夫婦別姓にできる法制度も将来的には実現すると思います。

 別姓を実行している人などの意見を聞きながら、ゆっくり考えて決めてはいかがでしょう。


弁護士 岸 松江さん

 東京弁護士会所属、東京法律事務所勤務。派遣CADオペレーター、新聞記者などを経て弁護士に。好きな言葉は「真実の力」。


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