2007年2月3日(土)「しんぶん赤旗」

ワールドリポート

独仏共同の歴史教科書

学んで広い視野の人間に


 十九世紀後半以来、三度も大戦争をたたかったドイツとフランスの専門家が、歴史認識の違いを越えて共同執筆した歴史教科書が刊行されてから半年。教科書は、ドイツでは昨年八月の新学期から一部の学校で使用されています。ベルリン市内のギムナジウム(大学進学希望者が通う中等教育機関)、リュッカート高校の教室を訪ねました。(ベルリン=中村美弥子)


 訪れたのは、フランス語で授業するバイリンガルのクラス。各学年に一クラスだけ設けられています。最終学年の生徒数は約二十人。仏語版の教科書を使用しています。

 この日の授業のテーマは、ナチの戦争犯罪をどういう形で記憶、継承していくのか。教科書には、ベルリンのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念碑やパリのショア記念館など、ホロコーストを追悼する世界五カ所の記念館のカラー写真が掲載されています。

 メンツェル先生(37)が生徒に発言を促すと、次々と手が挙がります。「記念館を実際に訪れると心が揺さぶられる。知識としての記憶にとどまらず、感情を伴った豊かな記憶になる」―一人の生徒が発言しました。

複眼的に学べる

 これまで同クラスではフランスで作られた教科書で歴史を学んできました。これでは、どうしてもフランス側の立場から歴史をみることになります。メンツェル先生は、補助的な資料を使い、ドイツの出来事も紹介して均衡をとるようにしていたと振り返ります。

 共同教科書の使用によって、両国の戦後史を初めて複眼的に学ぶことができるようになりました。メンツェル先生は、「独仏共有の歴史を学ぶことで広い視野を持った人間に成長してほしい」と期待します。

 「広い視野を持つ」は、生徒たちの実感です。

 「どちらか一方だけに偏っていないので客観的な見方ができる」とウルリケさん(19)。フェリクスさん(20)は「独仏の歴史に対して深い認識を持つことができる」と語りました。

 ハーディさん(20)も、「以前に学んだのはフランス側からみた戦後史で、愛国心が前面に出ていた。今は中立的な立場から学べる」と教科書を歓迎しています。

 共同歴史教科書の使用には難点もあります。教育制度が異なるドイツとフランスでは、学習計画やカリキュラムに違いがあります。メンツェル氏も、「ドイツのカリキュラムに合わせて教科書を使用するのは難しい」が、工夫次第で乗り越えられると話します。

「革命的なこと」

 教科書は、第二次世界大戦終結後の現代史を扱っています。フランス革命以後の十八世紀から一九四五年までを扱った近代史編と、歴史の始まりからフランス革命までの古代・中世史編が、今年から来年にかけて刊行される予定です。

 共同歴史教科書の構想は二〇〇三年一月、独仏両国の和解の基礎をつくったエリゼ条約(独仏友好条約)四十周年を記念してベルリンで開かれた独仏高校生五百人による模擬国会で打ち出されました。当時のシュレーダー独首相とシラク仏大統領が合意し、具体化されました。

 両国の歴史学者と歴史の教師五人ずつが、〇五年五月に共同編さんを開始。両国は何度も戦火を交え、歴史的出来事をめぐり見解の違いがあります。粘り強い議論を重ね、共通の認識を書き込むことができました。共同歴史教科書の出版は、両国の相互理解を通じて地域全体の平和に寄与したいという執筆者の思いを体現したものでした。

 「革命的だ」。ドイツのグローザー欧州担当政務次官は昨年九月、両国間の異なる歴史認識を克服しただけでなく、両国の高校生が発案したという点を挙げ、共同歴史教科書の出版をこう形容しました。

長い和解の基礎

 独仏共同教科書の出版を可能にしたのは、独仏両国政府の協力関係があったからです。

 「高校生の発案だとはいえ、出版までこぎつけ、実際に授業で使用されるのには、政治レベルでの信頼関係が不可欠。ドイツとフランス両国には、戦後五十年以上かけて築いてきた和解の基礎があった」―メンツェル氏は説明します。

 昨秋、共同歴史教科書の発表会見の際に訪独したシェイクス仏トゥール大学教授も、「共通の歴史を一冊の本にまとめ、両国の若者がそれを学ぶということは、両国が和解の最終段階に達したということを意味する」と力を込めました。


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