党大会での討論
日本共産党第21回大会
いくぞ!香川からも国会へ
香川 白川 容子代議員
1997年9月26日付「しんぶん赤旗」
私は、きたる参院議員選挙で、いまのところ全国最年少の三十一歳の予定候補者です。不破委員長の中央委員会報告、「必勝区と非必勝区との垣根をとりはらう」提起を熱烈に歓迎し、「行くぞ香川からも国会へ」のテーマで発言します。(笑い、拍手)
私は、二歳の子どもと党町議の夫を持つ身としても苦難の日々を過ごしていた(笑い)わけですが、医療従事者として今回の医療改悪はどうしても許せないという気持ち、子を持つ親として、ガイドライン見直しなど、本当にこの日本はどうなってしまうのか、こんなに人が大切にされない世の中が子や孫の代まで残ってもいいのかという思いに後押しされ、立候補を決意しました。
とはいっても、立候補者としての決意はあっても、国会議員になるという決意は、まだまだなかったわけです。(笑い)
それを変えたのは、まわりの人びとの期待の声でした。立候補の記者会見以来、本当にたくさんの方から激励の声をいただき、「私たちの生活を守るためには、日本共産党のあんたに出てもらうしかない」との党への期待の大きさは、想像以上のものでした。
四国2議席実現し党への期待広がる
先の衆院選では香川は得票を参院選の二・一倍にし、四国で夢の二議席を勝ちとりました。四国ブロックから春名なおあきさんを国会に出し、自前の国会議員を持つことができたのです。
一方、かつて“社会党王国”だった香川で社民の議席はゼロになり、国政とのパイプをもつ党は自民党と共産党しかないという、まさに自共対決時代にふさわしい構図となったのです。
自前の国会議員を持ったことは、無党派との接近・共同を強める成果と同時に、影響力の大きさを実感させられました。
党国会議員団事務所開設レセプションには、県下五市三十八町の四分の一にあたる首長が出席したりメッセージを寄せ、文化人や新聞社支局長、そしていままで一度も党との結びつきのなかった方がたも多数参加されました。
町長や住民運動をすすめている方がたとの懇談も次つぎに開いています。ある町で開いた国政報告会には、会場いっぱいの八十四人が参加し、活気あふれるものでした。町の助役や保守の議長もあいさつし、「春名さんと白川さんに期待する」との発言もありました。
観音寺市で開かれた農民連の大会で私が農政問題や農協との協力・共同の党の政策にふれてあいさつすると、出席していた農協幹部が、「農協は甘すぎる。共産党の方がよっぽど農協の将来を考えてくれている」(笑い)と力説されました。
ワクワクするような選挙戦をくりひろげ
中央委員会報告では、衆議院で百を超え、参議院で数十の議席を、数回の選挙で獲得しようとのべられました。香川でも国民にたいして負っている重大な責任を果たす立場に立つならば、比例を軸にたたかい、「わが選挙区でも一回の選挙で国会へ行く」という気合の入った選挙戦を(笑い)たたかわなければならないと肝に銘じています。香川でも参院選の候補者はわが党が一番早く名乗りをあげ、マスコミからも注目をあびています。
いいポスターもでき、印刷会社で「はじまって以来の出来」と太鼓判を押していただきました(爆笑)。「ポスターより本物がいい」(爆笑)といってくれる人も。同志も「このポスターを町に張り出すだけで、世の中明るくなる。どんどん張ろう」(笑い)といってくれます。
八年前に医療改悪に怒りをもって入党した初心を胸に、ワクワクするような選挙戦をくりひろげていくことを宣言して、発言とします。(拍手)
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