党大会での討論
日本共産党第21回大会
高知の党を開眼させた20回大会決定の方針
高知 浦田 宣昭代議員
1997年9月25日付「しんぶん赤旗」
党大会決議案は、冒頭で「第二十回党大会いらいの三年あまりのたたかいは、日本共産党の新しい躍進の時代をきりひらくものとなった」とのべていますが、これは高知で三年間のたたかいをすすめてきた日本共産党員の強い実感です。
小選挙区制が通り意気消沈したが…
前回大会の直前に、小選挙区制が導入されて、マスコミをはじめ県民のなかに「これで高知から共産党の議席が消える」という声が広がりました。党内の一部にも「たたかっても無駄だ。山原さんはもう勝てない」という敗北的な気分も生まれていました。
それだけが原因とはいえませんが第二十回大会決定の読了と討議がすすまず、支部の「政策と計画」づくりも遅れて、党中央から厳しく批判されるという状況でした。
そこからはいあがって、総選挙で小選挙区の高知一区で山原さんの勝利、比例四国ブロックで春名さんの当選という画期的な勝利を勝ち取りました。革新・民主の自治体を十二まで拡大し、次の参院選に元社会党参院議員の西岡るり子さんを推薦して一人区の勝利をねらう体制を築きあげることができました。
その力と教訓がなんであったか。それは第二十回大会決定であり、それを学び身につけながら必死でたたかった全県の党支部と党員の奮闘であったと思います。なにより、革新三目標で一致にいたらない人びとをふくめ「ますます広範な国民的共同が可能な時代になっている」として「悪政に反対する広範な人びととの共同を発展させる」という思い切った方針を提起したことが、高知の党を開眼させ、エネルギーを引き出したといってよいと思います。
どうすれば党と山原さんの議席を守り抜くことができるか。これが最大のテーマで使命でした。いっせい地方選などもたつきもありましたが、総選挙の本格的な時期に、県内の一連の自治体で、首長のリコール、汚職・腐敗、病気などで突然の首長選挙がたたかわれることになり、ここで従来の革新的な人びとだけでなく、保守勢力の一部とわが党が共同してたたかうという体制が一気にできあがるという注目すべき出来事が相次ぎました。
これが総選挙にむけての山原さんの支持とも結びついて急速に広がったのです。
不破委員長が総選挙の応援で来てくれたときに話したところ、地方では永田町より政党の崩壊現象が激しいこと、「社会党の基盤の変化と自民党の基盤の変化の両方が、大きくすすんでいるのは、日本でも高知が典型」などの分析と評価をしていただきましたが、こうした党中央の指導、激励が大きな力になりました。
高知は選挙戦で成果をあげて政治的にははいあがることができましたが、党建設での立ち遅れをはじめ財政問題など大きな課題を抱えています。この点の自己分析も深め、第二十一回大会決定の実践のなかで必ず前進的に打開して量、質ともに強大な党を建設する決意です。
西岡さん勝利へ幅広い人々の期待
こんどの大会決議案は「日本の現状を憂い、その改革をもとめるエネルギーが、これまでの枠をこえて、奥深くひろがっている」ことを指摘しています。参院選でわが党が西岡さんを推薦して勝利をめざしたとりくみが幅広い無党派の人びとの期待と運動の盛り上がりにも示されています。
決議案につづいて中央委員会報告でも「高知選挙区の特別の重要性」を強調していただき、参院選では「比例区を軸に」たたかって必ず日本共産党の躍進をかちとるとともに、一人区の選挙区でも西岡さんを必ず勝利させ、党躍進の大波をつくりだし、二十一世紀へ向かうたたかいの先陣を切り、民主的政府を樹立するたたかいで“幕末的先進性”を発揮する決意を表明します。(拍手)
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