党大会での討論
日本共産党第21回大会
“得票の1割の党員、5割の機関紙”を年内に
北海道 大竹 登 代議員
1997年9月25日付「しんぶん赤旗」
第二十回党大会までに機関紙陣地を三倍化し、第二十一回大会へむけ、行政区で党員を倍加した経験について発言します。
空白を克服して町政大きく変える
農村の空白自治体を克服するため、由仁町へ移住するよう、要請があり、七年前、家族と移住しました。
亡くなった先輩同志の遺言は「この町に党の議員を誕生させたい」ということ。当時の機関紙は有権者比率で〇・九%。選挙まで五カ月。町民から「来るのが遅かったのでは」といわれるなかで、宣伝紙を支部の同志と手分けして配り、訪問する毎日でした。翌年四月の選挙時には、亡き同志の遺影を事務所にかかげ、陣地を二・五倍にひろげ、得票三百四票、有権者比率五%で、町政史上はじめて共産党議員誕生を実現させることができました。(拍手)
共産党議員の誕生は町政を大きく変えました。全道一高かった水道料金の引き下げ、公営住宅料金の据え置きなどです。
第二十回大会時には住民要求実現を背景に党員一・五倍、機関紙三倍、有権者比率二・七%まで前進しました。
急速な陣地拡大は、議員などの過重負担となり、支部で改善を討議。読者の方に、一部二部の配達、集金をお願いすることにしました。読者のなかから、協力者が生まれ、親せきの集金を担当するようになった四十代の婦人が入党しました。(拍手)
第二十一回党大会へむけ入党した農民老夫婦や、その後入党した同志を含め、入党歓迎会を開きました。古い同志も、若い四十代の婦人が何人か参加しているのをみて、「うちの町も本当に変わってきた。変わったのは東京や大阪の方だと思っていた(笑い)が、こんなにたくさんの人が党に入ってきて、本当によかった」とのべ、別の同志は「由仁の暗かった空に光がさしはじめた」と語りました。
昨年入党した婦人の同志に「だれか対象者がいないか」とたずねたところ、「うちの父は、長く炭鉱で社会党支持だったから、駄目かもしらんけど、母なら、話を聞いてくれるかもしれない」という。さっそく、翌日訪問してみると、母さんだけでなく父さんと息子さんもいました。
一人だけに訴えるのは差別(笑い)になるので、三人に訴えると、父さんは「もう社会党もなくなった。これからは、共産党に頼って生きるしかない」と当たり前の顔で入党を決意(笑い)、母さんと息子さんを含め三人が入党。こちらの方が驚き(笑い)ました。七月に病院から退院してきた息子さんの夫人も入党し、第二十回大会から党員が行政区で倍加(笑い、拍手)しました。今月、四十代の婦人が入党し、三倍化へむけ踏みだしました。三倍化すれば、行政区で得票比率一割の党となります。(「ほおー」の声)
医師会関係者や元助役も読者に
機関紙陣地は道党会議(先週)で有権者比率三%に到達、きょうで三・一%を突破、得票比率五〇%まで、あと十三部に接近中で(「ほおー」の声)、今月にはいって新たに一〇%前進させたことになります。
新しい読者は、医師会、郵便局、農協、信金信組支店などの関係者や元助役などです。
八月二十四日には待望の年金者組合が組織されました。組織率は六十歳以上人口比全国一の夕張の二・三%につぎ、一・七%で、あと七人で二%になります。
全分野での前進、とくに、得票の一割の党員、五割の機関紙を、年内達成をめざしがんばる決意です。(拍手)
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