2003年5月28日(水)「しんぶん赤旗」
![]() |
| ごみが散乱する道路に集まってきた子どもたち=バグダッドのラシード通りの横道で(岡崎衆史撮影) |
米軍占領下のバグダッドは今、四〇度近い暑さ。砂ぼこりが舞い、ごみが散乱。破壊された建物のわきを米軍のジープや装甲車、戦車がわが物顔に走っています。
バグダッド北東部のファトマ・カティーブさん(71)の家庭を訪ねました。
「イラクはもともと石油の出る豊かな国なのです。それが見てください。このひどいありさまを」――。案内してくれた運転手のラアド・ハーディさん(50)が言いました。
家の中には砂が入り込み、ほこりでのどが痛くなるほど。汗のにおいも鼻をつきました。電気はつかず、日の光が入る窓際以外は、薄暗い状態です。水道がでるのは一日数時間。シャワーも満足に使えません。
停電は記者が宿泊するバグダッドの代表的ホテルでも日常的です。電話はほぼ全域で使えません。
市中心部の繁華街ラシード通りの横道で、マジド・カリームさん(62)が店員や隣人と話し込んでいました。五月半ば、一九九一年から開いてきた機械部品の店を再開したばかり。「治安が悪くて客がほとんど来ない」と途方に暮れています。今、戦争前に蓄えた少しのお金に頼って生活しているといいます。
「真っ昼間に、若い夫婦の乗った車が二人の男に襲われたのをみた。男たちは、夫を銃で撃って、妻を乗せた車ごと連れ去った」―。店員のジハード・タレクさん(32)が話します。
記者がアンマンからバグダッドへ陸路で入る途中、いつ強盗に襲われるか分からない緊張状態が続きました。不用意に下車すれば格好のえじきになります。写真を撮るのにも細心の注意が必要です。これらを振り切るため、車のスピードは、百五十キロ以上が普通です。
実際、バグダッドに同行したベテラン運転手のサイード・アルリファエさん(36)は、五月半ば、援助団体の米国人男性二人を乗せてバグダッドに向かう途中、銃を持った数人の男たちに襲われました。その際、米国人らは、八千ドルを奪われたといいます。とりわけ、治安が悪いのは、バグダッド西方のファルジャからバグダッドまでの五十数キロで、サイードさんら運転手は、仲間内でここを「“アリババ”がよく出る場所」と呼んでいました。
バグダッドで最初に目に付くのは、ガソリンスタンドに並ぶ長蛇の車の列。その理由は失業です。
イラクでは戦争とその後の政権崩壊、治安の悪化で、多くの人が失業しました。こうした人々が、戦争の影響で手に入りにくくなったガソリンを買い、闇で高く売ろうと並んでいるのです。唯一の収入源を手に入れるため、ガソリンスタンド前で十時間以上待っている人もざらにいます。
その他の物資も軒並み高騰。家庭用のガスは、百二十倍の値がします。
「米軍は、戦争で町を破壊しておきながら、治安の回復も、インフラ復旧も、失業問題への対処もしない」。何度も繰り返し、怒りをあらわにしたファトマさんの言葉が、よみがえってきました。 (バグダッドで 岡崎衆史、小泉大介)