2003年5月29日(木)「しんぶん赤旗」
バグダッドから西に五十キロの町、ファルジャ。アルカエド小学校(全生徒約千五百人)の校庭に集まった女子生徒たちにカメラを向けると、十歳前後の彼女たちが一斉に叫びました。
![]() アルカエド小学校の女子生徒たち。米軍はこの無邪気な子どもたちの心にも深い傷を負わせました=バクダット西部のファルジャ(小泉大介撮影) |
「ノー、ノー、ブッシュ!」「ノー、ノー、ブッシュ!」
校内の黒板には「アメリカを倒せ」の文字も――。
事件はバグダッド陥落から二十日過ぎた米軍占領下の四月二十八日夜におきました。同小学校周辺に集まった千人以上の市民に、米海兵隊が学校の屋上から無差別に銃撃を加えたのです。十五人が死亡、百人以上が負傷しました。
「学校を占拠した米軍はコーランを破り捨て、世界地図からアラブ地域を抹殺し、そして住民に発砲したのです」「米軍は動物と同じです。イラクから米軍が出ていかないのなら、私たちはパレスチナ人のように石を手にして抵抗しなければならないでしょう」
アルカエド小学校の女性校長、ヘリアル・マフムードさん(50)は語りました。
同校長によると、五十人以上の米兵が四月二十四日に突然やってきて学校を占拠し、屋上から機関銃を手に街の監視をはじめました。生徒は登校できず、誰も学校に近づけなくなりました。
住民の不満は高まりました。占拠から四日目の二十八日夜、学校近くの通りに人が集まり、学校に向け「生徒たちに学校を返せ」「米軍はこの街から出て行け」と叫びながらデモ行進をおこないました。
ヘリアル校長は、「デモ行進は平和的におこなわれました。住民の当然の訴えに銃弾を浴びせる米国のどこに民主主義があるというのでしょうか」「米軍が学校を去った後も、生徒の約半分は恐怖から登校できないでいます」と沈うつな表情でいいました。
![]() 米軍の銃撃で右足を失ったモサンナ・サレさん=バクダッド西部のファルジャ(岡崎衆史撮影) |
モサンナ・サレさん(41)はその道十五年のタクシー運転手でした。彼の家を訪ねると、薄暗い部屋のベッドに横たわっていました。
モサンナさんの家はアルカエド小学校の目の前にあり、デモが起こった当時は家の中からその様子を見ていました。突然右足に激痛が走り、気がつくとひざから下が無くなっていました。
デモ隊に発砲した銃弾が窓ガラスを通してモサンナさんの足を貫いたのでした。普通の銃弾ではありません。残虐なダムダム弾かショットガンの銃弾でしょう。
「ドライバーの私が足を失ってどう生活していけばいいのでしょうか。私には上は十五歳から下は六歳まで七人の子どもがいるのです。米軍は補償はおろか、いまだに謝罪にもきてません。これが米国のいう自由と民主主義なのですか」
負傷したモサンナさんを病院に運ぶため車に乗せようとした二人の弟にも米軍は容赦なく銃撃を浴びせました。腰に銃弾を受けた六歳年下の弟は重傷を負い、一歳年下の弟は胸に浴び、そのまま帰らぬ人となりました。
「弟は私のために命を落としたようなものです。この気持ちをどう表現すればいいのでしょうか。米軍は私たちの生活すべてを壊してしまいました。その米軍がイラクに存在することを許せるはずはありません」
ファルジャの街はいまも米軍戦車がわが物顔で往来し、住民監視の目を光らせています。(ファルジャで岡崎衆史 小泉大介)