第21回党大会にたいする中央委員会の報告(1)

日本共産党中央委員会幹部会委員長 不破 哲三

1997年9月22日

 日本共産党第21回大会の1日目(22日)に、不破哲三幹部会委員長がおこなった「第21回党大会にたいする中央委員会の報告」(1)は、つぎのとおりです。


 代議員のみなさん、評議員のみなさん、そして全国の同志のみなさん。

 私は党中央委員会を代表して、第二十一回党大会にたいする報告をおこなうものであります。

 七月末に大会決議案が発表されて以来約二カ月、全国の党組織では、決議案について大変熱心な議論がかわされてきました。そしてこの決議案の反響は、党の外の方がたのあいだでも、非常に大きなものがありました。

 「政治の現状はこれでいいのか」、大会決議案のこの提起には、非常に熱心な共感が各方面でよせられました。同時に、「どんな日本をめざしたらいいのか」の問題についても、多くの賛同の声があげられたところであります。

 実際、決議案は、いま、日本国民の利益と自民党政治との矛盾が極限ともいえる状況に達しつつあることを、政治、経済、社会のさまざまな角度から解明しました。そして、この二カ月足らずのあいだにも、情勢のこの特徴が一段とはっきりしてきたことは、みなさんが毎日の活動のなかで痛感されていることだと思います。

一、日米安保条約の大改悪に反対する

 さて情勢の問題ですが、私はまず最初に、日米安保条約の問題、いわゆる「ガイドライン(日米防衛協力の指針)」見直しの問題から報告をおこないたいと思います。

日本国民の歴史的な経験から

 安保条約の問題では、日本国民はこれまでに、二つの重大な歴史的経験をへてきました。一つは、一九五一年、まだ日本がアメリカの全面占領下にあったときに、最初の日米安保条約を占領軍権力をもって強権的に押しつけられたという経験であります。二つめは、一九六〇年、日米両国政府によって、日米共同作戦の条項をふくむ改定安保条約がもちだされ、これに反対する全国的な闘争が歴史上かつてない規模で日本列島をゆるがせましたが、民主主義をふみにじる暴挙でこれが強行されたという、大変苦い経験です。 そして、こんどの「ガイドライン」見直しであります。

 いますすめられている「ガイドライン」見直しは、六〇年の安保改定を上まわる日米安保条約の大改悪そのものであって、二十一世紀の日本を、平和と戦争の問題で、取り返しのつかない危機的な状態におとしこむ、きわめて重大な内容をもっています。しかし、相手側はこれを、「ガイドライン」見直しという専門用語に隠れて、いかにも何かごく部分の手直しをしているかのような装いですすめようとしています。そのことにごまかされず、この言葉のかげで、日米両国政府がすすめつつあるたくらみの危険な内容をあきらかにすること、そして二十一世紀に日本がどんな道をすすむべきかという問題を真剣に考えることが、日本と国民の将来にとって、いまきわめて大事になっていることを、私はまず訴えたいのであります。

日米軍事同盟をどう変えようとしているか――これをつかむことが重要

 ですから、「ガイドライン」見直しの問題では、自民党政府が、これによって日米軍事同盟、日米安保条約をどう変えようとしているのかをつかむことが、なによりも重要であります。

 日米軍事同盟は、これまでは、「ソ連の脅威」論を口実に「日本の防衛」のためということが最大の存在理由とされてきました。それがもし本当のことであったなら、ソ連が崩壊した今日では、これを解消する方向で再検討することが、政府・自民党側の論理からいっても当然のなりゆきとなるはずです。ところが、ソ連が解体して、アメリカが地球上唯一の超大国となったという情勢のもとで、世界のどんな問題でも自分の利益と主張を押しとおそうという、アメリカの帝国主義的、覇権主義的な世界戦略は、いっそうむきだしのものになりました。これがいわゆる「世界の憲兵」戦略であって、自分に気にいらないことがあれば、地球上どこでも軍事干渉に訴える、という体制であります。

 日本の自民党政府はこれに追従して、「日本防衛」というこれまでの表向きの目的などかなぐり捨てて、日米軍事同盟を、アジア・太平洋地域での軍事干渉のための軍事同盟に、根本的な衣がえをしようとしています。それが「ガイドライン」見直しの中心内容であります。それは、文字どおり、反対闘争が日本列島全体をおおった一九六〇年の日米安保条約改定以上の大改悪であります。

 何がどう変わるのか、それを具体的にみてみましょう。

第一。アメリカの無法な干渉作戦に参加する

 第一に、こんどの見直しでは、「周辺有事」に対応するということが、なによりの問題になっています。この「有事」ということの意味ですが、これはまず、日本の「有事」、つまり日本が外国から侵略を受けたりその脅威を受けたりする「日本有事」ではなく、海外で起こる「有事」に、日米共同で対応しようというのが中身であります。

 国連憲章では、各国の武力行使が許されているのは、外からの侵略に対抗するときだけであります。自分の気にいらないことが起こったときにそれを有事だと解釈して、勝手に対外的な軍事行動にでる、というのは、それ自体が、国連憲章にも反する国際的な無法行為にほかなりません。

 アメリカは一体、これまでに何を「有事」としてきたでしょうか。六〇年代、七〇年代には、ベトナム侵略戦争でした。八〇年代には、八三年のグレナダ侵略、八九年のパナマ侵略がアメリカの「有事」でした。九〇年代には、湾岸戦争が終わったあと、昨年九六年九月にアメリカは一方的なイラク攻撃を強行しました。これらのどの事態についても国際社会はこれを是認しませんでした。とくに、グレナダやパナマの侵略にたいしては、国連総会で、アメリカの武力行使を不法な侵略・干渉行為として糾弾する非難決議まで採択されました。しかし、いまでも、アメリカの政府、軍部にはその反省がないのであります。とくに、ベトナム侵略戦争にいたっては、この戦争は、アジア・太平洋地域の米軍が今後ともその伝統を受け継ぐべき輝かしい歴史だということを、公式の文書にあからさまに明記しています。

 これは、過去の歴史の評価という問題にはとどまりません。今後の世界でも、自分に気にいらないことがあれば、同じ性質の無法をくりかえすということの表明であり、これがアメリカの政府、軍部の公式の方針だということであります。ですから、日本がこの無法に参加するとすれば、それは、日本自身がアメリカの覇権主義に加担して、国際秩序の侵犯者となることを意味する、そのことはまったく明白ではありませんか。

第二。日本が引き受けるのは戦争行為そのもの――自動参戦体制

 第二に、では、日本がどんな行為でアメリカの武力行動にくわわるのかという問題であります。日本の参加の内容については、いまいろいろな線引きがされ、これは憲法上可能だとか、いろいろな勝手な解釈がおこなわれています。しかし、掃海艇を派遣しての機雷の掃海行為、戦争中の米軍への物資の補給、米軍に日本の港湾や空港を提供するなど、どの項目をとっても、これはすべて戦争行為そのものであって、それをやるということは、日本が参戦国の立場にたつことであります。

 しかも、「ガイドライン」の見直しというのは、この参戦のプログラムを、平時から、いつでも発動できるようにすっかりととのえ準備しておくということですから、「有事」となれば、この参戦プログラムは、自動的に発動されることになります。実際、そういう事態になったときに、武力介入をするかどうかの決定権をだれがもつかといえば、それがアメリカであることを、政府自身、国会答弁で平気で認めています。そうなればみなさん、国民の世論はもちろんのこと、国権の最高機関である国会でさえなんら介入する余地のない、文字どおりの自動参戦の装置・しくみができあがるではありませんか。このようなしくみは、ヨーロッパのNATO諸国をはじめ、アメリカのどの同盟国にも存在しないものです。

第三。「周辺」とは、アジア・太平洋地域のどこでも

 第三に、「周辺」とは何かが、問題であります。この点について政府は、今日にいたるまで責任ある説明をなんらしておりません。これがくせものであります。もともと日米安保条約にはなんの規定もない「周辺」という概念を、にわかにもちこんできたというのは、安保条約に現にある「極東」の概念ではまにあわないからであります。「極東」の枠をはずし、日米軍事同盟の発動の範囲をアジア・太平洋地域の全域にひろげる、これが、あからさまな思惑であります。

 「周辺」というこの地域には、ペルシャ湾の湾岸地域も――これは在日米軍の担当地域でありますから――、事実上ふくまれています。現に、二カ月ほど前、ある新聞紙上に登場したアーミテージ元国防次官補は、「もし湾岸戦争の時にこの合意(つまりガイドライン)があったら……合意のなかのいくつかを実行しない手はなかったろう」、つまりこれがあったら、当然、日本も参戦していたはずだという意味のことを語っています(日経新聞九七年七月二十日付)。

 また、政府側は、こんどの「ガイドライン」見直しは、朝鮮半島の緊急事態に備えるためだといわんばかりの言い方をしきりにしています。これも実は、アジア・太平洋地域の全域にわたるこの危険なしくみを、国民に押しつけるための方便であります。朝鮮で危険な事態が起こったら、目と鼻の先の事態だから、日本の安全のためにこれくらいのことはやむをえない、そういう形なら、アメリカの武力介入政策や日本の軍事参加を国民に押しつけやすいだろう、そういう思惑からの便法であります。

 実際、この問題で、最近、日本の交渉当局者のある言明がマスコミで報道されました。これはきわめて注目すべき言明であります。朝鮮、朝鮮といっているが、実際には、そんな事態はあまり想定していない――「現実に南進(南進、つまり北が南に攻めこむこと)があるとは思っていない」といったうえで、「朝鮮有事を描いた第一の理由は、可能性の大小ではなく、日米防衛協力のあらゆる項目を包含できる基本になるからだ」、そのための方便だということをはっきりと認めています。朝鮮有事というのは「対米支援項目を網羅的に導き出すためのシナリオ」として便利だからだ、そこまであけすけに語っているのであります(朝日新聞九七年八月十五日付)。

台湾海峡への武力介入の権利は世界のいかなる国にも与えられていない

 この「周辺有事」の「周辺」のなかに、台湾海峡、台湾がふくまれているかどうかが、重大な国際問題になりました。政府・自民党はいろいろと矛盾した言明をくりかえしたあげく、最近では、それにたいする弁明として、「地理的規定ではない」という言葉をふりまわしています。これは言い訳にならないものであります。

 地理的に無規定、無限定だということは、地理的な制限はないということではありませんか。だからアメリカが一方的に「有事」と認定したら、どの地域でも日米共同作戦の発動の対象になる、そこに制限はない、ということにほかなりません。

 しかも、台湾問題と日米安保条約の関連については、すでに昨年のいわゆる“台湾危機”のさい、アメリカ側のいろいろな意向が伝えられました。

 たとえば、アメリカの国防総省のアワー元日本課長は、こういう注目すべき言明をおこないました。アメリカの空母インディペンデンスが横須賀から台湾海峡に派遣されたときのことでありますが、「唯一残念な事は、日本が海上自衛隊の護衛艦の一、二隻を送って、米空母インディペンデンスとともに地域の安定のために米国と協力しなかった事である」(産経新聞九六年四月八日付)。ここには、こういう場合は、日本も出動するのが同盟国として望ましいし、あたりまえだというアメリカの政府・軍部の思惑が語られているのであります。

 しかも、そのとき、護衛艦の出動こそなかったが、日本の航空自衛隊と海上自衛隊は「情報収集態勢の強化」という名目で厳戒の態勢をただちにとりました。このことは当時の国会で防衛庁側が言明したとおりであります。つまり、台湾問題についても「ガイドライン」見直しにそった軍事行動はすでに先取り的に開始されているのであります。

 日本が「中国は一つ」という立場をとる以上、台湾問題が中国の内政問題だということは、避けるわけにゆかない結論であります。どのような事態であれ、そこに武力介入をくわだてることは、各国の主権と独立の尊重を柱とする世界の平和に真っ向から挑戦し、みずからを世界の無法者の立場におくことにほかなりません。

 ここには、さきにみた干渉主義――アジア・太平洋地域でなにか自分の気にいらない事態が起きたら、「有事」と称して武力介入をくわだてる、そういう覇権主義があからさまにあらわれているのであります。

 もちろん、内政問題だからといって、中国が何をやっても勝手だということにはなりません。戦乱という不幸な事態となれば、それは、アジアと世界の平和に重大な否定的な影響をおよぼすからであります。平和的な手段による統一、台湾住民の意思の尊重などは、この問題に対処する原則とすべきであって、台湾問題がそういう方向で解決されるように、あれこれの国が外交的・政治的努力をつくすことは当然であります。しかし、この問題を軍事介入の対象とする権利は、世界のいかなる国にもあたえられていません。政府は、そのことを明確にすべきであります。

第四。いまの見直しは第一歩、しかも実戦的な具体化が先行

 第四に、日米両国政府が、いまの「ガイドライン」見直しを、当面の第一歩と位置づけていることが重要であります。そしてこれを突破口として、日本の自動参戦体制のひきつづく拡大強化を予定しています。ですから、今回の見直しの結果として提起される問題がかぎられたものであったとしても、これはあくまで第一歩であって、それにはかならず第二歩、第三歩がつづく、これが彼らの時間表であります。

 現に政府関係者自身がある雑誌の対談で“これだけ重大な問題なのになぜ国会にかけないか”と問われたときに、こういう回答をしています。「状況にあわせてつねに見直していかないといけない」ものだから「国会承認になじむものではない」。つまり、いったん国会で当面の第一歩の線引きを確認してしまったら、簡単に動かしようがなくなる、これからさらに拡大するつもりなんだから国会承認はなじまない、こういう言明であります。

 しかも、現実はつねに、条項上の見直しよりも先行しています。実際、「ガイドライン」の見直しは形式的にはまだ作業段階ですが、これが提起されてから、実戦的な具体化がつぎつぎと進行して、国民を毎日のように驚かしているではありませんか。実績づくりだけをめざしたカンボジア問題での自衛隊機の派遣。インディペンデンスの小樽寄港をはじめ民間港湾のあいつぐ利用。きょうはベローウッドという強襲揚陸艦が鹿児島港に入ったそうであります。昨日は、軍港でありますが原子力空母ニミッツが横須賀軍港に寄港して、「ガイドライン」の先取りといわれました。米軍による民間空港利用もほとんど日常体制化しています。自衛隊機による米軍の輸送。日米共同演習がどんどん拡大する。さらに、わが党国会議員団が最近あきらかにしましたが、米軍は全国の民間空港や港湾の詳細な調査をかさねてきています。

 これらは、自衛隊を動員するだけでなく、「有事」には、民間をふくめた総動員の体制をつくろうとしていることのあらわれであり、しかも、その具体化がすでにきわめて大規模に始まっていることを実証するものであります。

自民党政治には、主権回復への思いも軍国主義への反省もない

 以上、四点にわたってみてきましたが、問題の核心は、アメリカの覇権主義の戦略にあります。そして、アジア・太平洋地域のどこであれ、アメリカが武力介入に打って出ようというときには、日本は、その忠実な同盟者として、共同して武力介入に参加する体制をととのえるとともに、日本の自動参戦のしくみまでつくりあげる。これが、「ガイドライン」見直しがめざしているものにほかなりません。

 まさに、日米安保条約の大改悪の計画であって、戦力の保持を禁止すると同時に国際紛争における武力の行使、威嚇を禁止した憲法第九条を全面的にふみにじるものであります。アジア・太平洋諸国が新たな脅威をそこにみて、大きな警戒の声をあげているのは、当然であります。

 もともと、日米安保条約のもとでの日本の地位は、世界でも例のない異常な従属の体制です。

 沖縄は県ぐるみが基地化されているうえ、東京をふくむ首都圏が、沖縄につぐ第二の米軍基地集中地帯になっている。そこには海兵隊と空母機動部隊という海外遠征を主任務にする二つのなぐりこみ部隊が常駐基地をかまえている。その米軍が事実上の自由行動権をもっていて、しかも米軍基地の体制は、基地の施設建設費を全部日本が負担していることをはじめ、今年度分は二千七百九十八億円、過去から合計すれば二兆六千七百九十一億円にものぼる、条約上の義務もないばく大な「思いやり」予算によってささえられている。こういうことは、どれ一つとっても、世界で他に例がないものであります。

 私は先ほど、国際社会が承認しなかったアメリカの一連の無法な侵略行動についてのべましたが、その無法な軍事介入のすべてについて、日本政府はつねに無条件支持の態度をとってきました。このことは、主権国家ではありえないこととして、世界でも驚きと軽べつの目でみられているのであります。

 その従属の状態にさらにくわえて、こんどは、アメリカの武力介入作戦への自動参戦装置までつくろうというのであります。

 自民党政治には、日本の主権の回復への思いがまったくないといわなければなりません。(拍手

 アメリカの対外干渉主義への批判も、日本の軍国主義的過去への反省もまったくないといわなければなりません。

 こういうなかで、国会では、憲法問題の委員会設置を要求する議員連盟の結成にまでことがすすみました。これは、憲法の明文改悪まで日程にのぼせようとしているものとして、重大であります。

 みなさん、戦争と平和という、国のもっとも重大な問題からいっても、二十一世紀を、自民党政治にこのまままかせるわけにはゆかないではありませんか。(拍手

 私たちは、決議案で、二十一世紀の日本がすすむべき進路――独立・主権・非同盟・中立の道を明確にしめしました。

 自民党の安保堅持・アメリカ追従の道が日本と国民をどこに導くのか、それがあからさまな姿であきらかになったいま、国民の先頭にたって、このくわだてをうちやぶるたたかいに力をつくすとともに、日本の新しい進路への国民多数の共感と支持をかちとる努力を、決定的につよめようではありませんか。(拍手)



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