2004年11月7日(日)「しんぶん赤旗」
新潟県中越地震で大きな被害を出し、一時孤立した同県川口町に一番に救援入りしたのは東京・狛江市の救援隊でした。矢野ゆたか市長を本部長に災害救援本部を立ち上げ、地震発生の翌十月二十四日昼には余震が続く現地へ救援物資を載せたトラックを走らせました。地割れした道に石を敷き詰め、道をふさぐ倒木はチェーンソーで切り払い、駆けつけた二十七人に、同町の町民から感謝の声が寄せられています。
「必ず届ける。困っている町民がいるのだから、引き返すわけにはいかない」。第一次隊で派遣された同市職員は、この一念で困難な道のりを突き進んだといいます。狛江市は一九八七年、川口町とふるさと友好都市防災協定を結び、市民まつりや児童キャンプなど交流を続け、市職員と顔見知りの町民もいます。
同市は、地震から一夜明けた二十四日昼すぎ、市職員、消防団員二十七人を第一次から三次にわたり送り出しました。トラックには、毛布七百二十枚、仮設トイレ五十八基、使い捨てカイロ二千八百個、飲料水二リットルペットボトル百本余などを積み込みました。現地から、粉ミルクが不足しているという知らせが入り、関越道を途中でおりて、ほ乳ビンとともに購入。ポンプ車も二台出動させました。
関越道、国道17号など町までの道路は寸断され、大型トラックは通行できませんでした。そのため、途中で軽トラックなどに積み替えました。一次隊が到着したのは午後五時すぎでした。仮設トイレを避難場所に設置するなど作業を終え、持参したテントで横になったのは午前四時を回っていました。二時間後の大きな余震で起こされ、六時過ぎには救援作業を再開しました。
職員らは、庁舎や学校など公共施設の整備、救援物資の仕分けや避難所への運搬などを担いました。
現在も十人が派遣され、他自治体関係者とともに救援にあたっています。