日本共産党

2004年9月20日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

野宿生活者これでいいの?


 リストラや解雇などで増え続ける日本のホームレス(野宿生活者)。政府の調査(2003年公表)でも、全国で2万5千人を超えました。そのホームレスの支援活動に参加する若者たちがいます。彼らはホームレスと向き合い、何を思い何を得たのでしょうか。小川浩記者


悩みながら寄り添う

東京都 吉田亜矢子さん(21) 学生

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知人の野宿生活者と話す吉田さん=東京都内

 私立大学四年の吉田亜矢子さん(21)は、東京都渋谷区内でホームレスに食事支援をしたり、夜回りをするボランティアをしています。昨年七月からは、生活が苦しい人の自立のための便利屋とリサイクルショップ事業にも参加。リサイクルショップを運営する一人になり、一年ほど前から給料が少しでるようになりました。

 ボランティアのきっかけは「小さな経験の積み重ね」でした。十代の後半のこと。大雪が降った新宿駅前で、ホームレスと思われる男性が倒れていました。吉田さんは何もできずに通り過ぎました。「あの人は死んでもいいんだと、自分は認めていないか…」。自問自答しました。

 大学生になり、ボランティアサークルの旅行でフィリピンの現実を目の当たりにしました。ショッピング街で買い物を楽しむ人たちと、その一方でごみの山と暮らすスラム街の人たち。貧富の差に大きなショックをうけました。

一緒に「拾い」

 帰国後、貧困にあえぐ人たちのことが頭から離れませんでした。大学のゼミの教授に教えられ、渋谷区内の公園へ。炊き出しや夜回りに参加するようになりました。

 四十代の男性に付き合い、食べ物や生活用品を得るためゴミ置き場をめぐる「拾い」をした時のことです。あっけにとられる吉田さんをよそに、男性はちゅうちょなくゴミ袋に手を入れました。彼女もやってみたものの恥ずかしくなり、惨めにもなりました。

 ホームレスといっても、一人の人間であることを強調する吉田さん。彼らと接してきた経験を自分の生き方にも置き換えています。いままでの自分は、「進学の目的は?」とか「やりたいことを見つけなきゃ」などの考えにとらわれていました。飾らずありのままのホームレスの姿に、「そうじゃなくていいんだ」と教えられました。

 ボランティアを続けながら「これでいいの? と自問し、マイペースでやります。亀ぐらいの速さで」。


自立支援に乗り出す

名古屋市 山田壮志郎さん(27) 大学講師

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野宿生活者のテント前に立つ山田さん=名古屋市内

 四月から大学の講師になった名古屋市の山田壮志郎さん(27)は、五年前からホームレスの支援に取り組んでいます。

 昨年七月、山田さんがまとめ役となり、生活困窮やホームレスを脱して公的年金や生活保護を受けて暮らせるようになった人たちの就労・求職、収入状況、健康状態などを聞きました。調査で、ホームレスから脱したものの孤独やお金のやりくりなどの問題を抱えている人たちがいることも明らかになりました。そこで、支援の手を差し伸べる取り組みもはじめています。

 山田さんは、生活保護を受けるだけでは問題は解決しないことを強調します。「アパート暮らしは決してゴールではありません。人のきずなをつくるなど、必要に応じたサポートをしていきたい」と話しました。

出会いは裁判

 ホームレスとの出会いは、生活保護制度を学ぶ大学のゼミでした。教授に連れられて、生活保護却下の取り消し求める裁判(林訴訟=〇一年敗訴)を傍聴し、関係者の話を聞きました。このままでは、生活困窮者の保護と自立を助ける生活保護の制度が「だめになってしまう」という思いを強くしました。

 九九年、大学院に進学後、社会保障制度の研究と同時に、ホームレスと本格的にかかわることを決意しました。ホームレスの健康・生活相談をする市民団体、名古屋市の笹島診療所の活動に参加。炊き出しをする野外での生活相談や生活保護で入院した人のお見舞いなどを通じ、当事者の実態を知りました。

 九九年から二〇〇〇年の年末年始、餓死・凍死者をなくす目的で行われる「越冬」活動に初めて参加しました。名古屋駅に近い公園で、連日のように生活の相談に応じました。

 山田さんには、今でも忘れられない光景があります。二〇〇〇年の一月十日早朝、年末年始を名古屋市内の一時宿泊所で過ごした人たちが、名古屋駅近くの交差点に戻ってきました。行政が用意したバス数台が止まり、続々と降りてきます。彼らは、再び野宿生活に戻るのです。「一時宿泊施設に入る前と後では何が変わったのか」。一時保護の限界を感じました。

 山田さんはいいます。「行政が責任を果たし、生活保護の制度が有効な手段になってほしい」


お悩みHunter

教職を続けたいが、病気になり不安募る

  私立女子高の講師をして六年。仕事量は専任教師なみですが、専任にはせず、首にもしない生殺しの状態です。病気になり、入院、手術をしなければならなくなりましたが、三カ月以上の長期休暇は解雇になります。年休は十日を超えると減給です。できれば辞めたくありませんが、三カ月以内で病気回復が可能か、など不安なことばかりです。

 (ジュン 28歳。埼玉県)

今、最良の選択してほしい

  悲しい事態です。学校という場所では、生徒たちはあてどもない未来を前に、不安の中で暗中模索しています。そんな彼らにとって唯一の案内人である教師が、不安と隣り合わせの状態の中で、生徒たちと向き合わざるを得ない。とても悲しいことです。

 教育は「経済」ではありません。合理化や節約よりもまず、前提として大切なことがあるはずです。それを理解していないということが、とても悲しくてなりません。

 一つだけ確認したいことがあります。あなたの一番の望みは専任教師になることですか? それとも今、勤務している学校で、どんな形であろうとも教師を続けることですか? もちろん、両方がかなえば一番いいでしょう。でも、あえてどちらかを考えたとき、あなたはどうでしょうか?

 もしも前者ならば、あなたは別の学校を探すべきでしょう。あなたのキャリアを評価し、あなたを必要としてくれる学校はきっとあると思います。また、あなたが後者ならば、組合などに相談して具体的な行動を、今すぐ起こすべきです。きっと力になってくれるはずです。今できる最良の選択をしてほしいと切望しています。


 ヤンキー先生 義家 弘介さん

 明治学院大学法学部卒。99年から母校北星学園余市高校教諭。テレビドラマになった「ヤンキー母校に帰る」の原作者。



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