2004年9月5日(日)「しんぶん赤旗」
十一人が死傷した福井県美浜町の関西電力美浜原子力発電所3号機の蒸気噴出事故で、福井県警敦賀署捜査本部は四日、業務上過失致死傷の疑いで、同発電所の家宅捜索を始めました。破れた配管から噴き出した高温の蒸気で、作業員五人の命が奪われた国内最悪の原発事故は、刑事事件として関電の安全管理体制が追及されることになりました。
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捜索対象は、同発電所内にある関電事務所と日本アーム(大阪市北区)美浜作業所。捜査員百五十人態勢で着手しました。
破損した二次系配管は、一九七六年の運転開始から一度も肉厚の検査が行われていませんでした。捜査本部は押収した資料を基に、問題の個所が検査対象リストから漏れた経緯や、関電側が事故を予見できた可能性などを調べます。切り出した破損配管も同日中に押収し、鑑定のため茨城県東海村の原子力研究所に運びました。
これまでの調べなどによると、破損した配管の肉厚は、最も薄い部分で○・六ミリになっていました。安全上は四・七ミリ必要とされ、水流の乱れにより配管内部が削られる「減肉」が進み、破裂したとみられています。
八六年に米国で類似の事故が起きたため、関電は九○年、原発メーカーの三菱重工業とともに二次系配管の管理指針を作成。これをもとに委託を受けた三菱重工業が検査リストを作りましたが、破損個所がリストから抜け落ちていました。点検業務を引き継いだ日本アームは昨年四月、リスト漏れに気付き、十一月に関電に点検を提案したといいます。しかし、関電は「リスト漏れの説明はなかった」としています。
事故は八月九日午後三時二十分すぎに発生。直径約五十六センチの配管が破れて約八百トンの熱水が蒸気となって噴出。下請けの木内計測(大阪市天王寺区)の作業員五人が死亡し、六人が重軽傷を負いました。
「とことん調べて、責任の所在を明らかにしてほしい」。関西電力美浜原発3号機の蒸気噴出事故で、破れた配管から突然噴き出した高温高圧の蒸気を浴びて死傷した作業員十一人の遺族は四日、祈るような思いで県警の強制捜査を見守りました。
亡くなった五人の中で最年少の高鳥裕也さん(29)は、高校時代はラグビーの全国大会にも出場したスポーツマンでした。父実さん(60)は「息子の結婚や孫の顔を見ることができなくなったのは悔しくてたまらない」と、今も無念の思いです。
事故後、県に強く求められるまで稼働中の他の原発を止めて点検しようとしなかった関電の対応に触れ、「ごう慢で謙虚さがない」と怒りを隠しません。
「やるべきことをやっていれば、事故は防げた。関電は捜査に協力して、正直に非を認めてもらいたい」と強い口調で語りました。
死傷した十一人は全員、検査会社「木内計測」(大阪市天王寺区)若狭支社の社員で、美浜3号機の定期検査を控えた準備作業中に被災しました。関電が定期検査のコスト削減のため、運転停止前に現場に作業員を入れ、検査期間の短縮化を進めていたことが大事故につながったとの指摘もあります。
自身も同じ職場で働いている遺族の男性(33)は、「肉親を含め同僚五人を失ったショックは言葉では言い表せない」と声を詰まらせます。その一方で、「(関電批判を)口にしにくいという面もないとは言えない」と語り、下請け会社で働く複雑な胸中をのぞかせます。
男性は「事故が起こった以上、今までのコスト低減と短縮点検が間違っていたことは確か」と語り、「県警はとことん調べ、(事故の)責任の所在を明らかにしてほしい」と話しました。