2004年7月27日(火)「しんぶん赤旗」
| 新 潟 |
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豪雨災害被害の大きかった新潟・三条市の商店街では、家屋の泥の除去などは進んでいるものの、営業再開の見通しはいまだ立っていません。精神的ストレスもたまっています。借金をしたとしても返す見込みがなく、「どうやって生活しろというのか」との嘆きが聞かれます。
飛岡製帽店の飛岡幸(さち)さん(66)は、夫婦で手作りの帽子屋を営んでいましたが、営業再開の見通しはまったく立ちません。暮らしの支えといえるのは、月十万円ほどの夫婦の年金だけです。「最初のうちは一生懸命掃除するんだけど、何日かすると、先のことを考えてやりきれなくなるのよ」と肩を落とします。
水害で、商品はもとより帽子の生地、ミシンなどの工具一切がダメになりました。店舗に付随した住居も被害を被りました。寝起きはできても、食事は市からの配給頼り。室内の改装や工具などの修理にいくらかかるのか、見当がつきません。「当座の資金を借りたって返すあてがない。借金を山にして死んでしまうだけ。(首相の)小泉さんがきたけど、『ご苦労さま』の一言で終わらせてほしくないわ」と憤まんやる方ないようすでした。
店の掃除をしていた割烹(かっぽう)店の中山洋子さん(59)は「商売になりませんよ。冷蔵庫もない、電器製品もエアコンもダメ。肝心の台所まで水につかったんだから」。一時は畳の上にもテーブルの上にも十センチ近くの泥がたまっていました。一つひとつ洗いましたが、なかなか曇りがとれないといいます。一番の悩みは収入がないこと。「かといって電気代や水道代は取られるしね。ご飯の配給がなければやっていけません」
「精神的に参っている。正直、あれこれ考えて何日か眠れない夜も続いた」という自営業の男性(53)もいました。被害総額も、復旧の見通しも立ちません。「一番の心配は、お客さんが帰ってくるかということだね。いまだかつてこんなことはなかったんだ。帰ってくれると信じて頑張っているけど…」。疲れきった表情でした。
営業再開に必要なのは運転資金や購入資金などの資金です。父と二人で金物屋を営む内山健介さん(35)は「(無利子無担保など)条件のいい融資があれば借りたいけど、返済期間が短かったりするとどうかな。今までの不景気で貯金はないし」と話します。今後は商売を縮小せざるを得ませんが、なんとか来月ごろには再開したいと考えています。「店をしめるところも何軒か出てくるでしょう。へたをするとうちだって、再建できるかどうかわかりません」
商店街に住む六十代の男性は、不況で落ち込んでいた地域経済に追い打ちをかけたのが水害だったと指摘します。「三条駅前の小売店はすでになくなっている。細々と営業を続けてきたのに、こんな事態になったら商売をやめるしかない」といいます。
商店街の聞き取り調査をしていた同市商工会の職員は、業者が行政に望むこととして「援助資金がほしい、というのが本音」と話していました。
和田肇記者
| 福 井 |
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「家族の生活をどう取り戻すかで精いっぱい、仕事をどうするかまで、とても頭がまわりません」
豪雨水害から一週間以上がたった二十六日、福井県池田町で養殖業を営む江戸義人さん(59)は、営業再開のメドもたたないなか、自宅の後片付けなど生活再建に追われていました。
池田漁業生産組合の組合長。「池が流され、多くの魚が死んださびしさ、五十年近くやってきて開拓したお客さんにもご迷惑をかけてしまって…」
七、八月は最盛期のはずでした。豪雨の二日前から稚アユを養殖池に入れはじめたばかり。隣接する部子(へこ)川があふれ、流れこんだ土砂で、窒息死したり流されたりで魚は全滅。江戸さん自身、「あと一分遅ければ、命がなかった」といいます。
養殖池を埋めた土砂もそのまま。「自分で始末するしかないが、とても手がつきません。もし、仕事を再開しても、お客さんがついてくれるかどうか」。被害額の予想さえつかないまま、不安だけが募ります。
福井県対策本部によると、豪雨による被害は、死者三人、行方不明二人、重軽傷者十七人、住宅全壊六十九世帯、半壊百四十世帯など。二十六日午前八時現在、三市町で避難勧告が継続され、自主避難も含め百四十一人が避難生活を強いられています。
福井市中心部では、ゴミやドロの回収が進んでいますが、梅雨明け後、乾燥したドロが巻き上げられたり、床下の回収しきれなかったドロで、「においがひどくて眠れない」(春日地区、高齢の女性)といった健康面での“二次的被害”が出ています。
その一方で避難勧告が続くなか、住宅に入ったドロの除去がようやく始められた美山町など、重機の投入が必要とされている地域も残されており、被災地域差もみられます。