日本共産党

2004年5月4日(火)「しんぶん赤旗」

抗日戦争参加者を

ロック好きな青年が支援

戦争体験聞き、歌い、カンパ活動 中国


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写真

集いで演奏するロックバンド

 中国ではロックミュージックは「揺滾楽(ヤオクンユエ)」と呼ばれ、青年の人気を集めています。北京でこのほど、五十人を超えるロック愛好者が集い、日本軍による強制連行被害者の体験を聞くとともに、抗日戦争に参加した人で生活苦にある高齢者への支援を決めました。(北京=菊池敏也 写真も)

 市内のある郷土料理店内に、六十枚近い写真が展示されています。中国の抗日戦争当時の貴重な写真です。「ロックの精神を発揚し、愛と良識を呼びかけよう」と書かれた横断幕もかかっています。

 主催者を代表し、韋志華さん(女性)が「私たちは、平和な時代に生きています。でも、抗日戦争は私たちと無関係ではありません。痛苦を伴ったあの歴史を忘れてはいけません」とあいさつします。

生活を支援

 韋さんたちは、数カ月前から抗日戦争に参加した雲南省に住む高齢者の生活を支援する活動を始めました。毎月の給料から五十元(一元は約十三円)をカンパし高齢者に送ろうというものです。この地域の住民は日本軍の侵略に対して国民党の軍隊に加わり抗日戦争をたたかいました。

 しかし、八路軍など共産党の軍隊に参加した兵士は高く評価され、手厚く保護されていますが、国民党軍の兵士にはこれまで十分な関心が払われませんでした。北京の抗日戦争記念館や雲南省保山市の調査によれば、現在、現地に約四十人の元将兵がいることが判明しています。

 雲南省保山市からやってきた同市党幹部の李義欽氏は、「首都のみなさんが遠く離れた雲南省の抗日のたたかいと抗日戦争参加者に関心を持たれていることに、たいへん感動しています。これは私たちがお互いに信頼しあっている証しです」と語りました。

 この日、ロック愛好青年による抗日戦争参加の高齢者支援の運動が正式に発足しました。

証言を聞く

 集いの参加者は、日本へ強制連行され鉱山や工事現場などで働かされた人々(北京市在住)の体験を聞きました。

 趙忠義さん(84)は、日本の中国侵略戦争が始まると、一九三八年、河北省で八路軍に加わりました。数年後、六人の仲間とともに日本軍に捕まり拷問されました。「手足をしばられ、唐辛子の水を流し込まれた」と言います。北京の監獄に移され、五年の刑を言い渡されました。四三年九月、日本へ移送され、福岡、長野を経て、北海道へ。飢えと寒さに襲われる非人道的な扱いを受けました。

 李良傑さん(75)は、福岡に強制連行されました。現在、福岡高裁で争われている強制連行福岡訴訟の原告です。

 李さんが強制連行されたのは十四歳の時。天津・塘沽の収容所でカビが生えたマントウ(小麦粉でつくった蒸しパン)を食べさせられ、腸がやられて苦しんだこと、輸送船では衰弱した十数人の中国人が海に捨て殺されたことなどを昨日のことのように話しました。

 李さんは帰国後、国民党の軍隊に参加。しかし、上官の腐敗ぶりを目にし、共産党の軍隊に加わりました。

 このあと、ロックバンドが熱演。会場は熱気であふれました。

 参加した女性は「私たちはロックの愛好者です。ロックの平和愛好の精神で、抗日のたたかいに参加した人々を支援したいと思ったんです」と言います。青年の熱意が伝わってきます。

大きな一歩

 集いに参加した作家の方軍氏(邦訳『私が出会った日本兵』の著者)は、こうした支援活動について、「民間で生まれた小さな活動ですが、歴史の大河の流れから見れば大きな一歩です」と高く評価しました。


八路軍

 日本の中国侵略戦争とたたかうためにつくられた、中国共産党が組織した軍隊。おもに華北地方で活動しました。


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