日本共産党

2004年3月18日(木)「しんぶん赤旗」

マスメディア時評

間違いを間違いとなぜ言えない

イラク侵略戦争1年


 アメリカがイラクへの攻撃を開始して、まもなく一年を迎えます。

 この一年、アメリカが攻撃の口実とした「大量破壊兵器の脅威」に根拠がなかったことは誰の目にも明らかになり、暴力と報復の連鎖によって、事態は泥沼化の一途をたどっています。こうしたなか、日本の小泉政権は、アメリカなどの不当な占領を支援するため、第二次世界大戦後はじめて、重武装の自衛隊をイラクに派兵しました。

 最近のNHKの世論調査でも、イラク戦争に「正当性がなかった」が63%を占めます。国際秩序を踏みにじって無法な戦争を開始したアメリカと、憲法違反の海外派兵でそれを助ける小泉内閣の責任が、一周年を機にあらためて問われなければなりません。

言論機関としての責任

 マスメディアも当然、その責任追及を免れません。

 開戦当時、「読売」は社説で「責任は“決議愚弄”のイラクにある」(昨年三月二十日付)と書き、「産経」は主張で「国連決議に従って武装解除していれば、とっくに解決していたはず」(同十四日付)とのべました。両紙をはじめ、多くのメディアがこの一年、アメリカのイラク攻撃を支持しあるいは是認する立場からの報道と論評を続け、自衛隊のイラク派兵にたいしても容認し、ときにはあおってきたことはくりかえし本欄でも批判してきました。

 とりわけ問題なのは、「大量破壊兵器の脅威」というアメリカのイラク攻撃の口実に根拠がなかったことが明らかになるなかで、これらのメディアがとっている態度です。

 開戦後のイラクで大量破壊兵器の調査団長を務めたアメリカのケイCIA顧問の「大量破壊兵器はなかった」という議会証言は、開戦の根拠を決定的に突き崩すものとなりました。この証言に対し「読売」社説は「『増大する脅威』こそ大義だった」(二月十四日付)とごまかし、「産経」にいたっては「戦争の大義 正邪ではなく国益で語れ」(同二十三日付)と、「国益」まで持ち出して、戦争の大義を問うことさえ否定する論評を掲げたのです。

 「毎日」も、記者の署名入りコラムである「記者の目」で論説委員が「イラク戦争の大義 大量破壊兵器だけが問題か」(同十三日付)と、大量破壊兵器が発見されないから戦争の大義がなかったというのは「短絡的」だと非難しました。

 これらのメディアはなぜ、自ら攻撃を支持した根拠が根本から崩れつつあることに、正面から向き合おうとしないのか。自らの主張に責任を負うのは言論機関として最低限の責任です。開戦の際には盛んにイラクが大量破壊兵器廃棄の国連決議を守っていなかったと非難しておいて、その根拠が成り立たなくなると、今度はそれはたいした問題ではなかったといいだすのでは、真実の報道と公正な論評の名に値しません。

 「産経」のように、戦争の根拠や大義が失われてもそれはどうでもいい、「国益」で判断すべきだというのは、侵略者の無法を認める勝手な理屈です。「国益」の名でアジアを侵略した戦前さながら、ジャーナリズムを外れ、「大本営発表」を流し続ける国策報道の道を突き進んでいるといわなければなりません。

座標軸失ったメディア

 次々と起こる事象を、事実にもとづいて検証し、真実を追究して、国民の「知る権利」にこたえることこそ、マスメディアに求められる重要な役割です。この点で、戦争の大義や開戦の根拠をあいまいにすまそうというメディアの姿勢が、結局は状況に流されるだけの最悪の現状追認に陥っているのは重大です。

 「毎日」はことし一月一日付の社説で、自衛隊のイラク派兵について「基本的に同意する」と、賛成する態度を明らかにしました。「毎日」の派兵賛成は、メディアの世界でも大きな議論を呼びました。

 その「毎日」の論説委員長が、日本新聞協会の機関誌『新聞研究』三月号や「毎日」三月十一日付特集で語っているところによれば、「自衛隊派遣については戦争そのものへの評価とはまったく別に考えた」「戦争そのものを正当化することとは別だ」といいます。しかし、戦争の結果としての占領の支援に派兵するのに、「戦争とは別」などといういいわけが通用する余地はありません。問題の根本をあいまいにしたまま、ずるずると政府の政策を支持していくのでは、メディアの役割を果たすことはできないでしょう。

 この一年をふりかえると、イラク攻撃や自衛隊派兵に批判的な態度をとる「朝日」を含め、ほとんどのマスメディアが、アメリカのイラク攻撃を「侵略」だと真正面から批判せず、占領の中止を求めることにちゅうちょし、内外の戦争反対の世論と運動についてはまともに報道してきませんでした。なにが正しく、なにが間違っているのか、座標軸を国民に示せなくなっているといわれても弁解のしようがないでしょう。

 イラク戦争後の論壇で、アメリカの一極主義と小泉内閣のそれへの追従にきびしい論陣を張ってきた評論家の加藤周一氏と寺島実郎氏が最近のある対談で、「知的活動」を先に進める上で必要なのは「知的能力」だけでなく、「人間的な感情」だと語り、「目の前で子供を殺されたら、怒る能力がなければなりません」と、不条理に勇気をもって立ち向かう重要性を話し合っています。

 日本にいま求められるのも、国民の立場に立ち、問題の根本に迫って、正しいことは正しい、間違ったことは間違っていると堂々と主張できる、しっかりした座標軸を持ったメディアなのではないでしょうか。

 (宮坂一男)


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