日本共産党

2004年3月14日(日)「しんぶん赤旗」

女性が「いま平和のために」

反戦短歌はがき4700枚普及

病院の掲示板にも展示


東京・三多摩

写真
「この額がはがきの原稿です」。左から佐藤、本郷、長谷川、池田、細野、蔵元のみなさん

 有事三法の成立と新たな法案提出、自衛隊イラク派兵、自民党、民主党、公明党の憲法改悪の動き…。「いま平和のために何かしなきゃ」と東京・三多摩の女性たちが「徴兵は命かけても阻むべし母・祖母・おみな牢(ろう)に満つるとも」の短歌はがき(写真)を印刷し、すでに四千七百枚広げました。

 この短歌は、一九七八年、福田赳夫首相が、有事立法の研究を指示する情勢のもとで東京都の石井百代さん(当時・七十五歳)が詠んだもの。石井さんの、兄、おい、二人のいとこ、義弟が戦死しています。

 はがきづくりは、昨年十二月中旬、山崎真秀元国分寺市長主宰の「国分寺・市民憲法教室」の学生・佐藤洋子さん(62)=国分寺市=と書家・長谷川澄湖(ちょうこ)さん(75)=同=の散歩での対話が発端。二人の友人の女性八人が運動に賛同しました。長谷川さんが短歌を毛筆で書き、まず千枚を印刷。同月下旬から普及しています。

 池田敬子さん(78)=国分寺市=は、一九四五年四月十三日の米軍の東京空襲で家を焼かれた体験の持ち主。「病院に受診にいって院長にはがきを見せたら『この短歌は知っています。みなさんに教えます』。次にいったら掲示板に展示してありました」

 本郷みどりさん(71)=立川市=は、戦争中は大元帥の天皇を神と思い込まされていました。終戦後、そうではないということを知ったときの「えっ!」という驚きをいまも思い起こします。「イギリスに住んでいたことがあります。その時の友人にも英訳をつけて送りました」

 蔵元良子さん(62)=昭島市=は、東京空襲下、いつでも逃げられるようにげたを履いて寝ていた体験の持ち主。「知り合いの女性に、このはがきを出したら九十枚ほしいと申し込みがありました。いく先々で勧めています」

 一月にタウン紙に紹介され「注文の電話が相次ぎました」と、細野アケミさん(70)=国分寺市。「足が痛くてデモに参加できなくてもんもんとしていました。はがきを書くことはできますので、みんなに送ります」という電話の男性の言葉が印象的でした。

 印刷を重ね、計五千枚を発行。残りは三百枚です。

 このはがきは、一枚五十円。問い合わせは、Eメール  yoco.s@jcom.home.ne.jp


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