2003年12月26日(金)「しんぶん赤旗」
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中国残留孤児に対する国の「棄民政策」の責任を問い、老後の生活保障制度の確立を求めて、大阪府在住の帰国孤児百十一人が二十五日、大阪地裁へ国家賠償請求訴訟を起こしました。
原告は、国が中国残留孤児を早期に帰国させる義務、帰国後の自立した生活を支援する義務を怠ったため、祖国日本で「日本人として人間らしく生きる権利」が侵害されたとして、一人三千三百万円を請求しています。
昨年十二月、六百数十人の帰国孤児が東京地裁へ集団提訴したのを皮切りに、全国各地で提訴が進められ、今回の大阪地裁への提訴で、原告総数は千五百人を突破しました。約二千四百人の帰国孤児の六割をこえる人びとが加わる大型訴訟となり、政府の中国残留孤児政策が根本から問われています。
提訴後、原告を代表して松田利男(67)=堺市=、田中靖子(61)=大阪市=、式見秀子(60)=吹田市=の三氏が記者会見。原告団長の松田さんは、「年金生活世代となった私たち残留孤児には、あまり時間がありません。老後をどう生活していけばいいのか、言いようのない不安におそわれています」と訴え、国の責任を明確にする「公正かつ迅速な」判決を求めました。
身元未判明孤児の式見さんは、一九八八年に帰国してから、日本語と就職という「二つの難関」に直面し、「四十五年間の空白を埋めることがどれだけ難しいかを知りました」と語りました。夜間学校に通いたいという要求も聞き入れられず、「帰国者は働きたがらず、生活保護を受けることばかり考えている」との心ない言葉に、「人格がひどく傷つけられた」と訴えました。
原告ら百五十人は、提訴を前に大阪市内をデモ行進。帰国者の生活困難と老後の生活保障の要求を日本語と中国語で市民にアピールしました。中学三年生の孫を連れて参加した千野正雄さん(65)=大阪市=がハンドマイクを握り、中国語で「政府はわれわれに謝罪し、精神的損失を償え」と訴えました。
2002年12月20日
東京地裁(1次・2次) 629人
2003年8月20日
鹿児島地裁 21人
9月24日
東京地裁(3次) 330人
名古屋地裁 141人
京都地裁 90人
広島地裁 51人
10月29日
徳島地裁 4人
10月31日
高知地裁 45人
11月26日
札幌地裁 80人
12月25日
大阪地裁 111人
原告総数 1502人