2003年6月2日(月)「しんぶん赤旗」
四月七日付の「ゆうPRESS」で紹介した日本映画学校の卒業制作「熊笹の遺言」。群馬・草津町にある栗生楽泉園(くりうらくせんえん)に暮らすハンセン病元患者たちを追った作品です。「撮影に協力してくれた皆さんに見てもらいたい」。五月二十四日、撮影した青年たちの願いが実現し、楽泉園での上映会となりました。
園内にある福祉会館の部屋には暗幕が張り巡らされ、畳に座布団を敷いて、にわか「映画館」のできあがりです。集まったのは、元患者、職員、「群馬・ハンセン病裁判を支援し、ともに生きる会」の人たち。映画は、標高一二〇〇メートル、四方をクマザサに覆われた楽泉園の四季を通じて、そこで暮らす元患者の姿を追います。主な出演者は、ハンセン病違憲国賠訴訟の原告でもある鈴木時治さん、浅井あいさん、谺(こだま)雄二さん。それぞれのふるさとへの思いが描かれています。
前日から楽泉園に泊まり、上映会の準備をしたのは、映画を撮影した、今田哲史さん(27)、剣持文則さん(27)、原田扶有子さん(22)、大池正芳さん(22)の四人。この春卒業し、それぞれの道を歩み始めています。
どちらかというと口の重い四人。上映会での歓待ぶりとは裏腹に、撮影はスムーズとはいきませんでした。そんな四人の様子を、出演者の鈴木時治さんは、「泥棒みてぇだと思ったよ」と振り返ります。ハンセン病のことをほとんど知らない、「どんな映画になるんだ?」と聞いてもはっきりした答えが返ってこない……。口数少なく、大きなカメラをかついでもくもくと通ってくる四人が、“泥棒”のようだったというのです。
それでも四人は、不自由な手に絵筆をくくりつけて絵を描く時治さんに向かって、カメラを回しつづけました。次第に理解した時治さんの絵のモチーフ。自殺した妹と去らざるを得なかったふるさとへの思いでした。それは、家族をも偏見・差別で苦しめ、帰郷さえ許されない隔離の厳しさを物語るものでした。
ぶっきらぼうな物言いの時治さんと無口な四人の距離が縮まったのは、ふるさとの川での撮影でした。冬が近づいた寒い日、より良い撮影を実現するために、一人がじゃぶじゃぶと川に入りました。その熱意は鈴木さんに届きました。「いやぁ、あそこまでやるとは思わなかった」。後日、鈴木さんが友人の谺さんに語った言葉です。
こうした地道な関係づくりは、映画に生きていました。上映会を見にきたのは、撮影した四人よりはるか前から時治さんを知っている人たちです。その人たちが、口をそろえて言いました。
「時治さんの飾らない姿がよく出ている」
かつて「療養所には突破口がないと思っていた」という時治さん。カメラに向かって、夢を語っています。いま七十七歳。もっと生きて、絵をやりたいんだよ、と。
時治さんは、映画の感想をこんなふうに表現しました。「へたくそかもしれない。だけど、本当に一生懸命にやってたんだ。やっぱり才能があるのかもしれねぇな」
撮影した大池さんは「一年でこんなにたくさんの人と出会ったのは初めてです。おもしろいだけじゃなくて、怖かった」と語りました。担任の先生から「生きている人間と向き合え」と言われ続けてきた四人の、率直な思いだったでしょう。
今田さんは「ハンセン病療養所はいつかはなくなる。遺言を残すんだと、その気持ちだけは忘れずにやってきました。懲りずに足を運びます」。
子どもをもつことすら許されなかった元患者たちが四人に向けるまなざしはあたたかです。
上映会には、映画のなかで浅井あいさんとの交流が描かれた石川県の小学生の姿もありました。「時治おじいちゃん」と、すぐひざの上にのぼります。
「オレはこいつらのことがかわいくてしょうがねぇんだ。他人なのにこんな思いになるなんて、不思議だな。人生が広くなったような気がするよ」。ほどよくアルコールのまわった谺さんが、豪快に笑いました。
上映会の翌日、時治さんのアトリエには、青年たちの姿がありました。最近、色彩が明るくなり、響きあうように変化してきたという時治さんの絵があふれるアトリエ。
「あんたたちのこと友だちといっていいのかわからねぇが」。時治さんが続けます。「友だちになってもらって、良かったと思っているよ」
学生の奨学金制度を支えてきた日本育英会を廃止し、新たに「学生支援機構」を設立する法案が国会で審議されています。全日本学生自治会総連合(全学連)は三十日、「学生の学ぶ条件を奪うな」と衆院文部科学委員会の審議の様子を傍聴しました。参加した学生たちに思いを聞きました。
小田前恵子さん(22)=阪市立大学四年=
いくら審議を聞いても「なぜ日本育英会をなくすのか」という疑問の答えになっていないと感じました。「育英会の理念は生かします」といいながら、具体的な中身に話がおよぶと「努力します」などとごまかしていました。このまま法案が通されたら国民のための奨学金にならないのでは、という不安を感じました。
大学とは、自主的に学ぼうと思えばなんでも学べる場所。それは、自分の専門学問を深めるというだけでなく、人類の幸福にもつながると思います。奨学金制度の後退でそういう場所を奪ってはいけません。
明石共世(ともよ)さん(20)=日本福祉大学三年=
私も奨学生です。私の周りにも奨学生がたくさんいます。“財政が厳しいから取り立てをさらに厳しくする”といっていますが、今は就職難、卒業しても収入が得られるかどうか分かりません。それなのに何百万円もの借金を抱えるなんてとても不安です。返済のためにサラ金から借りろとでもいうのでしょうか。
関耕平・全国大学院生協議会(全院協)議長=一橋大学=
今回の法案では、大学院生の奨学金返済免除規定が大幅に改悪されます。現在、一般的な院生の奨学生は、博士になるまでにおよそ八百五十万円の奨学金を借りています。研究職に就いた場合の返済免除規定があるからこそです。しかし研究職についても、免除の対象を“世界的にすぐれた発明や発見のあった者”だけにしたら、今までより枠が狭められてしまうのは明らかです。
大学の独立行政法人化とあわせて、育英会の廃止は「学問の存亡」にかかわります。全院協として、全国の院生の実態を広く知らせていく運動をしていかなければと考えています。
日本学生支援機構法案は、日本育英会を廃止して新しい独立行政法人をつくるもの。与党三党と民主、社民などの賛成で参議院を通過しました。日本共産党は反対しました。いま衆議院で審議されています。問題点は――
▽教育を受ける権利を保障すべき奨学金事業を「効率化」や「経費削減」を優先する独立行政法人に委ねるため、銀行の教育ローンのようになりかねない
▽「機関保証制度」を導入して、保証機関が審査。パスしても年間二万四千円から三万六千円の保証料を払わなければ奨学金が受けられない
▽大学院生の返還免除制度をなくす。免除されるのは「世界レベルの発明、発見があった場合」(文部科学省)だけ
長時間労働になる正社員(単位:万人) | |||
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週当たり就業時間 | 雇用者 | 正社員 | パート・アルバイト |
全体 | +41 | ▲129 | +170 |
30時間未満 | +78 | ▲1 | +80 |
30〜40時間 | ▲12 | ▲40 | +28 |
40〜50時間 | ▲82 | ▲127 | +45 |
50〜60時間 | ▲0 | ▲9 | +9 |
60時間以上 | +56 | +49 | +7 |
「国民生活白書」(2003年版)から 注1青年の週当たり就業時間別雇用者数の変化 (1995年〜2001年) 注2 対象は、15歳から34歳の人 |
このほど発表された「国民生活白書」(二〇〇三年版)によると、フリーターの7割が正社員を希望しているのに、その正社員は数が減って長時間労働になっています。
フリーター(十五歳から三十四歳のうち、働く意思はあるが正社員として就業していない人)は一九九五年の二百四十八万人から二〇〇一年には四百十七万人に増加。正社員は十五歳から二十四歳の層で二百七万人も減っています。新卒採用の削減が影響しているとみられます。
週当たりの就業時間を九五年と〇一年とで比較すると、正社員では「六十時間以上」が四十九万人増え、三十時間未満から六十時間未満の人はすべて減少。パート・アルバイトでは逆に、五十時間未満の人が百五十三万人増加しています。(表参照)
白書は「若年の正社員がやるべき定例業務を少数の正社員で行い、一人当たりの仕事が増加したため、若年の就業時間の長時間化が進んでいる」と指摘しています。
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