日本共産党

2003年4月8日(火)「しんぶん赤旗」

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母娘2人夜逃げ、路上生活までしたサラ金地獄

「キャベツ食べ信心しろ」と創価学会員

必死に生きる人が報われる社会にしたい


娘の言葉に

 インタビューの最中、元創価学会員の川名芳江さん(60)のほほに涙が流れ落ちました。

 「雨の日に傘を差して帰る家がある人はいいなぁ」。娘がふと漏らした言葉を思い出すと、今も涙がこぼれるのです。

 娘と埼玉県川口市のJR川口駅近くでホームレスをしていたときでした。雨でびしょぬれになり、寒さをしのぐ親子の前を傘をさして家路へと急ぐ会社員や若者たち。「ひもじくてもじっと耐えている娘。切なさが胸に迫った」。そのときの娘の言葉は一生忘れられません。

 「貧しい人が不安なく暮らせる社会に。この党を大きくしなければ」と、日本共産党後援会の活動をしている川名さん。選挙は初めての体験です。

 夫のサラ金が原因で、昼も夜も働きづめの生活になったのは四年前。当時、知人らから無理やり創価学会員にされた川名さん。その周りの学会員は「キャベツを食べていれば生きていける。信心する時間がとれなくなるから夜まで働くことはない」としか“助言”しませんでした。

 それでも「働かなければ生きていけない」と、死に物狂いで働いた川名さん。夫は、ヤミ金融まで借金。心労が重なり、亡くなりました。

 「娘を売り飛ばせ」「じん臓売れ」「目ん玉売れ」と脅迫のとりたてが川名さんまで及びました。亡くなった夫は、本人が知らないうちに妻の名義でもサラ金から借りていたのです。

 おびえる十六歳の娘。夜逃げを決行。一時友人夫婦宅に身を寄せたものの、三年前の十二月三十日から母娘で路上生活を余儀なくされました。女性と分かると危険なので目深に帽子をかぶり、拾い集めた週刊誌などを売ってしのぎました。

 夜逃げをしてから九カ月。凍える寒さ。一日カップラーメン一個。「帰る家がある人はいいなぁ」とつぶやいた娘の言葉で、「福祉のお世話にはならない」とかたくなに思い込んでいた殻を破って市役所を訪ねる決心をしました。保証人がなくてもアパートを貸してくれる不動産屋の社長さんと巡り合い、生活保護を受けることができたのです。

友人の窮地

 日本共産党との出会いは、昨年九月のことでした。働いていた会社が倒産した友人。蓄えもなかったためにホームレスになる事態に。

 ホームレスのつらさを身にしみて知る川名さん。友人救出に奔走しているとき、「共産党に相談したら」と知人から言われました。「朝、駅頭で演説している女性が共産党だから」と教えられ、河村かつ子埼玉県議や星野洋子川口市議と出会ったのです。

 日本共産党の両議員は、川口生活と健康を守る会と連携、その友人も生活保護を受けることができ、ホームレスから社会復帰できました。

 「私たちに分け隔てなく接し支援してくれる。貧しい人のためにこんなに親身になってくれる政党はありません。私の心の支えです」と川名さん。「この党ともっと早く出会っていたなら私も娘に惨めでつらい体験をさせずにすんだと思います」と涙で語りました。

 「貧しくとも必死に生きる人が報われる政治にしてほしい」。そんな熱い思いで、初めて日本共産党後援会の活動をする川名さん。

 「『福祉の党』という公明党の人たちは私たちの苦しみに何も手を貸してくれませんでした。そればかりでなく医療費の三割負担に賛成。福祉の切り捨てを与党として推進してます。日本共産党しかないと実感しています」と話しています。(菅野尚夫記者)


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