2003年3月2日(日)「しんぶん赤旗」
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千葉県柏市北西部の柏の葉地区。広びろとした公園には、池やスタジアム、グラウンドがあり、まわりには大学や研究施設、住宅が立ち並んでいます。この地は、旧日本軍の飛行場跡地を米軍が接収し、通信基地として使用されていましたが、一九七九年に返還され、市民のために利用できるようになりました。基地返還には、日本共産党が大きな役割を果たしました。(原田浩一朗記者)
広さ百八十八f、東京ドームの約四十倍の広大な土地。その返還は地元住民、柏市にとっても宿願でした。
ところが、七七年八月、在日米軍がここにロランC基地を建設すると発表。柏市議会は、ただちに「米軍柏通信所調査特別委員会」を設置し、ロランCについての調査を始めました。
日本共産党、社会党、柏地区労働組合協議会のよびかけで市内十三団体が参加する「米軍基地をなくす柏実行委員会」が結成され、現地調査、街頭宣伝や署名、学習会などをすすめました。
党柏市議団は市議会でくりかえしロランC基地の危険性を追及。市長に基地建設反対の立場に立つよう求めました。
七八年二月、不破哲三書記局長(当時)が衆院予算委員会でこの問題を取り上げました。ロランCは米軍の原子力潜水艦への通信を任務とする基地で、核攻撃の指令もそこを通じて出されること、そのため、相手側からの核攻撃の第一目標にされ、首都圏の一角という人口密集地への建設は世界で例がないこと。こうした事実を米軍の内部資料や関係者の証言をもとに明らかにし、計画の再検討を迫りました。これには、当時の福田首相も「とにかくよく調査して決定する」と再検討を約束せざるをえませんでした。
当時、党柏市議団長だった千葉和郎さん(74)が振り返ります。「不破さんの質問の衝撃波はすごかった。関東一円から反響がよせられ、当時の市長からも『この問題を国会で取り上げてくれてありがたい。不破さんにお礼をいってください』と電話がありました」
地元の反対世論と運動が大きくなる中、市長もロランC建設中止を防衛施設庁に申し入れるなど姿勢を変え、七九年二月には米軍が建設計画を撤回し、八月に基地が全面返還されました。
それがいまの住民にとって豊かな実りにつながっています。
柏市議を一九七四年から七期二十五年、議長もつとめた野口英雄さん(73)が、当時をふりかえっていいます。
「当初、私たち保守の人間は、『安保条約を認める以上、ロランCの建設は容認せざるを得ない』と思っていました。最後には、市議会も市長も市民も基地の全面返還を求めるなかで実現したと思います。そのなかで、日本共産党がいちはやくロランCについての情報をつかんで、市議会で口火を切り、くりかえし質問したこと、国会から地方議会まで一貫して追及する姿勢には感心しました」